217 ビワ(Eriobotrya japonica)
ネットについて勝手に語る(その4)
議論と煽(あお)り
(この日記の前提)
勝手に私が思うところを書いているだけで、なんの権威も根拠もありません。
特定の方を想像したり、非難するために書いているものではありません。
ブログの内容があらゆる年齢層向けで、さらに、コメント意見も大募集で、それらにそつなく対応しているブログがあります。
これは賞賛に値する本当にすごいことで、説教くさいおっさん目線で、閉鎖的な臭いがする私のブログと比較すると、月とスッポンです。ごめんなさい。
若者のブログでも、私のような昭和の教育を受けたおじさんと違うのか、「議論」することに割と積極的な姿勢があるように感じます。
読者の意見を求む!って感じのブログの管理人さんも素敵だし、ハンドルネームを名乗った上で、自分の考えを主張するコメントも、例えその内容が過激であろうと、それはそれで素敵なこと。
ただね、議論上等みたいなスタンスをとっていながら、いろんな人からの意見で旗色が悪くなると、まるで今までの議論が、存在しなかったかのように振る舞う人もたまにいるようです。
私には、これが残念なんだなぁ。
もちろん、匿名の人から不毛な悪意のコメントをしつこくされて、ブログを荒らされているのなら、誰だってスルーするし、それが正しい対処法だと思います。
私がいっているのは、そんな例ではありません。
自分に落ち度がないのに不条理な攻撃を周りがするとか、この場では説明することができない(しないが)が自分が正しい理由がある・・、そんないい訳で、自分を正当化して、議論を拒否するのは、残念なことです。
それから、「議論」そのものについてなんだけど、私の経験上、最強の弁者は、「相手の意見を聞かない」人です。
私の仕事の関係で、「そこをなんとか」おじさんって私が呼んでいる人がいます。
こちらが、こうしてほしいとか、これはこういう理由で駄目だとか、何をいくら説明しても、最後に「そこをなんとか」と返されます。
こうなると、話は噛み合わず、絶対に勝てません。(負けもしませんけど(笑))
ただね、こういうやり方って、何も生み出さないし、見ている者がつまらないんだよね。
つまり、「議論」とは、お互いに意見を言い合って、よりよい、より正しい結論に至るためのものでしょということ。
難しい単語を連発したり、聞き慣れない引用や、こねくりまわした言い回しで煙に巻いて相手をまるめこんでも、議論としてはつまらない。
私の中では、それは単なる煽り、アジテーションで、議論ではないのです。
(今日の結論)
勝ち負けではなく、意見を交わして建設的な議論を!
「なかったこと」や「そこをなんとか」論法は勘弁してください。
ネットについて勝手に語る
(その1)ブログは誰のものか
(その2)相互リンクは誰のため
(その3)通りすがりの人たち