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2011年11月13日
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カテゴリ:近代別荘・別邸史
星野岩松1845年弘化2年.07.05~1910年明治44年12月1877年明治10年星野岩松は「土木受負の志を起して建築工事に従事し専ら外務省の工事を受負ふ」また、音二郎もいたパリ万博に「在横浜の仏国郵船会社々員の依託を以て日本建築中殊に精巧美麗を以て称せらるゝ寺院の山門を模造し」「『パノラマジオラマ』会社に装置して観覧者の大喝采を博したる」1900年明治33年04~11京浜実業家名鑑(1907) 水沢富士夫氏調査2011年

かれは、この茅ヶ崎に数々の土地を所有していた。川上音二郎・貞の所有地の隣、南湖小山敬三別荘の近隣など幾つかの登記が確認されている。別荘誘致等の不動産事業のさきがけとも言える行動が気になる。


星野岩松パリ万博出展P8S8W.jpg

星野岩松画2.jpg

その後、支点中村楼は大阪の鴻池家とその経営する鴻池銀行(後の三和銀行の前身)の整理、再建に当った際、原田二郎に慰労金五十六万円と茅ヶ崎の敷地三万坪を静養の地として贈呈され、関東大震災を茅ヶ崎出で経験し建物は全壊した。1919年大正8年に鴻池の建て直しに成功してその職を去ったが、翌1920年大正9年、積年の計画であった原田積善会を設立。

原田二郎、1849年嘉永2年10月10日、松阪市殿町で同心(清一郎)の長男として生れた。21才のとき松阪出身の勤王志士 世古延世 (せこのぶつぐ)に随行して京都に上り、更に23才のとき維新後間のない東京に遊学して英語と医術を学んだ。

中村楼・原田別荘 1.jpg

その後大蔵省に勤め、31才で横浜の第74国立銀行(現在の横浜銀行の前身)の頭取となり手腕を発揮するが、事情があって職を辞し松阪に戻った。その後37才で東京に居を移して療養生活(胸部疾患)を送ったのち、1902年明治35年54才の時、明治の元勲の一人である 井上 馨 の依頼を受け、家運の傾きかけた大阪の鴻池家とその経営する鴻池銀行(後の三和銀行の前身)の整理、再建に当った。

中村楼・原田別荘 2.jpg

震災前の中村楼2張り付け用.jpg

画集大正時代我町ふるさと 茅ヶ崎の思い出 井沢正一 画 

原田二郎.jpeg

写真 原田二郎

1919年大正8年に鴻池の建て直しに成功してその職を去ったが、翌1920年大正9年、積年の計画であった原田積善会を設立。その後10年間財団の代表者として運営に当ったが、1930年昭和5年5月5日、82才で死去した。ここに中村楼→鴻池銀行→原田別荘があった事がわかった。これについては、恐らく別荘史では新発見といえる。






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最終更新日  2011年11月13日 10時27分13秒
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