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カテゴリ:子供を亡くした親
昨日は福井県から帰って来てぼーっとその余韻に浸りながら過ごしました。
生命のメッセージ展本開催に初めて参加した感想はたくさんあるのですが、今まではお会いしたのは最大でも50名のメッセンジャーでした。入れ替わりはあるもののそのほとんどが交通事故による被害者が多かったのですが本開催は今所属している147名すべてのメッセンジャーと初めての対面でした。さえりんは3年前の2020年11月7日にメッセンジャーになりましたがナンバーは219番です。それ以降にも数名入って来られたので生命のメッセージ展の20年という長い間には辞められたり卒業されたメッセンジャーたちも多くいるということも初めて知りました。 メッセンジャーたちは交通事故だけでなく、殺人、一気飲みによるアルコール中毒、リンチ少年事件、いじめ自殺、中には行方不明で未だ見つかっておらずもしかしたら拉致されたかもしれないという方もみえるのだそうです。そして年齢も様々で生後数か月の赤ちゃんから90歳近くの方もいらっしゃいました。本当に様々な事情の中で共通しているのは「理不尽に命を奪われたという事実」です。 そして代表の鈴木共子さんはこう言われました。「私は息子の事を誰よりも愛していて一番大切なんです。だからこうして生命のメッセージ展をはじめたのも長い年月続けてこれたのも全部息子のためなんです。『生命』と書いて『いのち』と読ませることも姿形は無くともまだこの人たちは『生きている命』なのだというこだわりがあるからです。何年何十年経ったからといって決して乗り越えることも落ち着くこともできないけれどこのメッセンジャーと、息子と共に生きていくことが私の生きる道なのだから」と。息子さんへの愛がたくさん溢れる強くて逞しくて優しいお母さんの顔がすごく印象的でした。きっとここにみえるメッセンジャーのご家族はどなたもそうなんだと思います。今は亡き家族を心から愛しているからメッセンジャーとして、この先も共に人生を歩んでいきたいという強い願いと希望を持って参加されてみえるのだと。私もその考え方に賛同できるからこうしてさえりんもメッセンジャーの仲間に入れていただいたのです。みんなそれぞれ考え方は当然違いますし、家族が納得できる形が一番良いのだとそう思います。何一つ強制されるものではありませんから。 今回の本開催で様々な形でのメッセンジャーたちと出逢ったり、参加ご家族の方とお出逢いして強く感じたことは「どうして家の娘だったんだろうか??」ということです。タラレバをいっても仕方ないことは充分わかっていますが、たった一瞬の出来事で生死を分けたその結果、九死に一生を得る人もいれば、そこで人生が終わってしまう人もいる。ではなぜ家の娘はこんなめに遭わなければいけなかったのでしょうか??大型トラックに巻き込まれてもケガだけで済む人もいれば、娘みたいに即死の人もいる。それはただ運が良かったか、運が悪かったの問題なのでしょうか??娘や私の日頃の行いがいけなかったのでしょうか??そんな答えの出ない疑問が私の頭の中を渦巻いています。きっと他の参加ご家族も同じだと思います。 実は私たちが主人の実家を出てマンションに引っ越すことを決めてそのことを義母に伝えた時こう言われました。「栄子ちゃんはいつも自分の思い通りにする子だね。嫁に来たときから私たち親の言うことを聞かなかったからいつか何か起きるんじゃないかと心配していたけど、だからさえちゃんが事故に遭って死んじゃったんだ」と。私は物凄くショックでした・・・義母は私のことをそう見ていたんだと。そして紗愛理が亡くなったこともやっぱり義両親は私のせいだと思っていたんだと。可愛い可愛い初孫の紗愛理を愛してくれていた義両親だからそう思われても仕方がないことかもしれませんが、やり場のない悲しみの矛先は嫁の私に向かっていた事実が哀しかったのです。義父の態度から気付いてはいましたが義母にはっきりそう言われてこの溝はもう埋まることはないんだと思い知らされたのです。義母は溺愛していた孫のさえりんを亡くし最愛の息子(さえパパ)まで家で出て行くことになってしまった寂しさから出た言葉だったことは充分に理解はしていますが。 そのこともあって「どうして家の娘だったんだろう」という答えの出ない疑問は私の頭から離れなくなっているのです。もし本当に私が義両親の言うことを聞かない悪い嫁だったからさえりんの命を奪われてしまったのなら本当にごめんね(>_<) 私は答えの出ない疑問と愛娘の死という重い十字架を背負いながらも、それでもこうしてさえりんがメッセンジャーとして頑張っている限り、私も前に進んでいこうと決意するのです。今回生命のメッセージ展で様々な事を体感しいろんな人と出逢ってあらためてそう思ったのです。私もかけがえのない愛娘さえりんと共に!! 昨日は次女の仕事が休みだったので一緒に近くのヒルズウォークへ買い物へ行きました。お昼はフードコートで私は丸亀釜揚げうどんを、さえパパと次女は寿がきやラーメンを食べて、帰りに食品スーパーで食料品を買いました。次女が「最近秋になってきたからかお汁粉飲みたいんだよね」と言うので家にあんこの缶詰があったので切り餅を買って、我が家でお汁粉を作って食べて、福井県で皆さんからいただいたお土産を食べながら3人でまったり過ごして、夕方次女をアパートへ送りました。本当に家が近いと何かと便利だなあっと実感しています。 これも全部さえりんからもらったギフトだったんだと感謝しています。この4年3カ月の間には本当に人生が変わるほどのいろんなことがあったけど、今こうしてさえパパと仲良く2人暮らしが出来ることも、次女とすぐに関われる距離にいることも、日々心穏やかに生活できることもやっぱりさえりんがくれた宝物です。そしてなによりさえりんはいつも傍にいるんだと感じて暮らせる今が幸せです。 さえりんこれからもずーっと一緒だよ!!いつもありがとう(⋈◍>◡<◍)。✧♡ (さえりん生後10カ月) いつも温かいコメントありがとうございます さえママへのメールはこちらから にほんブログ村、応援おねがいします!! この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、 交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!! さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村 さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!! さえりん動画はこちら にじいろ会公式ホームページが完成しました!! よろしければ以下のリンクからご覧下さい。
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