小さな目標
新型コロナ感染者数はとどまることを知らずといった状況で伸び続けている。3度目のワクチン接種や治療薬開発などの遅れをあざ笑うかのように強かに拡大していく有様は、この先どうなっていくのかと不安に思ってしまう。先が見えないということは予定が立てられない、希望が持てないということである。ほぼ2年近く都内には出かけていない。旅行はもちろんのこと親しい人との会食や、家族の誕生日を祝う食事会だけでなく、コンサートや美術館巡りなどもすっかり遠のいてしまった。 この年になれば実家に帰省することもないが、大阪にある父母の墓参りや独り暮らしをしている86歳の従妹の顔を観に行くことさえもできなくなった。ようやく行けそうになったかと思っていると、またしても新しい変異株の出現で足止めを食らい、気持ちの持って行き所がない気分になる。 自分でいうのもなんだが、順応性のある性格なので与えられた環境の中で機嫌よく生きていくのは人よりは得意だと思っているが、何しろ期間が長すぎることと先の見通しが立たないことが堪える。どんな小さなことでも先に何か楽しいことが待っていれば、それだけで心が弾む。人と会う約束やコンサートのチケットを持っているだけで幸せなのである。去年の2月以来、我が家を訪ねてくるのは離れて暮らしている娘と息子の家族以は、近所の人とジャムを買いにきてくれる人、宅配業者だけである。 そんな中でも新しい出会いがあり、我が家でランチをしながらおしゃべりを楽しむ人ができた。こんなことをいうと相手の方に失礼かもしれないが、同じ風に吹かれているような感じである。仲良しの隣人が入院加療のため寂しい思いをしていたのでほっとしている。私よりも年上で、働く女性というのは憧れの存在である。 だんだんと体力・気力が衰えていく自覚があってのコロナ禍である。いろいろな行動制限を受けているうちに動けなくなってくるんではないかと思っているのは私だけではあるまい。そんな時に娘から「8月に北海道へ一緒に行かない?」と誘われた。いつもなら迷うところだが、「コロナが収束していたら行きたい」とすぐに返事をした。これを断ったら次に旅行に行けるかどうかわからない。膝を傷めてから独りでの遠い所への移動はちょっと不安になってきている。私にとっての残り時間はどれくらいあるのかわからないが、グズグズしているとどこへも行けなくなってしまうのは間違いのないことである。行けるかどうかはともかく、目標として北海道旅行は夢がある。親しい友人とのランチというだけでも一つの目標として気持ちに張りが出てくる。最近の口癖は「あと何回食事ができるかわからないのに、不味いものを食べている場合ではない」と、自分のために一回一回丁寧に料理をしている。「だから、そういう人に限って死なないの!」という声がどこかから聞こえてきそうではあるが…。