突然ですが、バキュームカーについて
昨日のブログの挿絵に「バキュームカー」という表現を使用したあと、ふと考えた。「バキュームカー」を知らない人が多いのではないか?そこからは発展し、バキュームカーを知る世代と知らない世代、また、知ってる地域と知らない地域ということで比較してみると、ひとつの文明論になるのではないか。というわけで、アカデミックにはじめたい。バキュームカーを知らない人のために、その説明をしておくと大辞林によれば、「〔和 vacuum+car〕真空タンクを備えた自動車。特に屎尿(しによう)をくみとる車。」とある。トラックの荷台がタンクになっており、そこから延びた蛇腹状のホースで水などを汲み取ることができるようになった車である。であるから、その作業そのものを「汲み取り」と読んでいた。辞書にあるように、いわゆる「ぽっとん便所」に溜まったし尿を汲み取る用途に用いられるため、水洗便所が普及した今日では見かけることすら少なくなっている。私がまだ小学生だったころは「汲み取り」が一般的だった。修学旅行で初めて洋式便所に出会うというケースも多い時代だ。地面に穴を掘り、ビー玉遊びをしていても「汲み取り」は何よりも優先される。「バキュームカーが来たで!」と誰かが叫ぶと、ゴルフのパターのように目印をつけて大事なビー玉を回収する。さもないと、太くうねり狂う大蛇の如きホースの餌食だ。昔は道も整備されていなかったので、細い路地をホースを延ばしつつ「汲み取り」をする。長く伸びた太いホースは時に予測不可能な動きを見せ、子ども達にとっては大蛇も同然だった。バキューム、と聞いただけでノスタルジックな切ない気持ちになられる方も多いと思う。かつての日本では、バキュームカーは日常風景であったのだ。バキューム、すなわち「真空」という意味だが、小学生だった私はそれを知る由もない。当時、「ウオルサム・バキューム」という時計のCMをしていた。ウオルサムといえば、今ではバキュームカーよりも有名なスイスの高級時計メーカーだが、私にとってはバキュームのほうが重要だった。内部が真空であるため、空気の影響さえ受けない「超高級時計」のコマーシャルなのだが、私の耳には「ウオルサム・汲み取り」としか聞こえなかった。今でも「ウオルサム」と聞くと、汲み取りを思い出してしまう。「ウオルサム」の方には大変申し訳ない話だが許されたい。