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カテゴリ:日記
前回のブログで、地球温暖化に触れたので
そこからちょっと連想したお話です。 昔、秋川雅史さんの『千の風になって』という曲が大ヒットしました。 紅白歌合戦で初めて聴いた時は瞬時に魅了されましたねぇ。 (^^ゞ 元々はアメリカ合衆国で話題となった『Do not stand at my grave and weep』 という詩が元ネタだそうです。 千の風になって・・・・いい歌詞じゃないですか。 私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を 吹きわたっています 実は、科学的に言ってもこの歌詞は当を得ています。 人間に限らず、生物は死にます。 日本人なら法律で火葬されます。この場合は亡くなった方の肉体は 燃焼して二酸化炭素となります。まぁ、骨のカルシウムが若干残るのですが これは残り物という事で置いておきます。 土葬した場合は地中の微生物により分解され、最終的には二酸化炭素となって 排出されます。 つまり・・・・人は死んだらどうなるか。 答え:二酸化炭素になる。 風というのは空気の流れのことだから二酸化炭素も含まれます。 つまり、私はお墓にいません。風になっていますというのは実に正しいのです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ さて、歌や詩ではここまでですが、 風になった二酸化炭素はその後どうなるのでしょうか? こんな事は小学生でも知ってますよね。 そうです、植物に吸収されます。 別の言い方をすると、二酸化炭素は植物の食べ物となります。 植物は二酸化炭素を食べて太陽のエネルギーを使って 自分の体をつくります。 二酸化炭素は植物の茎になり葉になり実になります。 そして、その植物の葉や実を動物が食べてその動物の身体となります。 仏教で輪廻転生という言葉がありますが まさしく、人は死んだら二酸化炭素になり、植物になり、動物に生まれ変わります。 運が良ければまた人になれるかもしれません。 仏教の教えも科学的にも当を得ているのです。 さて、ここでやっと地球温暖化の話になるのですが、 最近では、二酸化炭素の事を温室効果ガスなんて言って 悪の元凶みたいな言い方が定着していますが、ワタシ的には こんな言い方にはものすごく違和感があります。 死んだらみんな二酸化炭素になるのです。 人間に限らず、すべての生命は死んだら二酸化炭素になります。 そして、二酸化炭素は地球の生物のすべての元になるのです。 太陽も水も大切ですが、二酸化炭素もそれに劣らず大切な存在なのです。 もう少し敬意を払って欲しいとさえ思います。 前回のブログでも書きましたが、ワタシはどちらかというと 地球温暖化懐疑派です。 地球が温暖化していると言ってる人たちの理屈がどうにもおかしい 筋に合わない。胡散臭いと常々感じているからです。 そういう(胡散臭い)人たちの影響か テレビやマスコミでは二酸化炭素と言わずに温室効果ガスなどと言って 毛嫌いしています。 そうじゃないんです。 二酸化炭素は毒ガスなんかじゃないんです。 もちろん、二酸化炭素が多すぎると動物は死にますが、それは水や酸素でも同じこと 過ぎたるは及ばざるが如しです。 二酸化炭素はすべての生命の源 これが事実です。 ちなみに、こういった考え方の延長に合致するかもしれませんが 森林葬というのがあるそうです。 一人一人にお墓を建てるのではなく、森全体をお墓とする考え方だそうです。 人が亡くなったら森に埋める。 すると、亡くなった方は森として転生するという訳です。 亡くなった方に会いたくなったり、墓参りをしたくなったら 森に行けばOK! お墓掃除なんて面倒な事はありません。 埋めた遺骨は自然分解して跡形もなくなってしまうので 埋める場所に困るなんて事もありません。 森は地域の方みんなで管理するって方法でいいでしょう。 昔は死んだら先祖代々のお墓に入って 子孫はそのお墓を永遠に守らねばならない なんて感じでしたが、 ワタシは正直言って子どもたちにそんな負担をかけたくありません。 死んだら二酸化炭素になって、森になって たまには森に来て空気を吸って思い出してくれれば満足です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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二酸化炭素になる、本当にそうですね。
全く癒されませんがそれが事実です。 植物がそれを吸って酸素をだして、それを動物がすって、と考えると永遠にいき続けることになるのですが、残されたものは寂しい気持ちのまま。 それでみんな、お盆とか何らかのイベントを信じて癒されようとするのですよね。残された者はつらいです😭 (2021.03.19 23:11:34)
えみまーさんへ
お気持ちお察しします。 亡くなられた方の二酸化炭素がご遺族の方の周りに存在しているのは 紛れもない事実です。 守護霊という考え方と似通ってるかもしれませんが 亡くなられてもなおかつ、近くで見守ってくれているというのは 大きく間違っていないと思います。 あとは、こちら側の考え方次第ですので 時折思い出して語りかけてあげれば良いのではないでしょうか? (2021.03.20 10:01:13) |