カテゴリ:哲学・思想
マイケル・ポラニー「人間の研究」・・・個人的知識の序説
訳は、沢田允夫・立山善康・吉田謙二。 ポランニー一族の夢の後・・「ドラッカー わが軌跡」 を読んで、 ポラニーの本、無性に読みたくなりました。 でも、本棚探しましたが「暗黙知の次元」は発見されず・・ 代わりに?! 「人間の研究」を手に取りました。 マイケル・ポラニーが、1958年に行った 英国ノース・スタンフォードシャーのユニヴァーシティー・カレッジで 行われたリンゼー記念講演。 「個人的知識―脱批判哲学をめざして」の序説の位置づけにあたります。 個人的知識 冒頭の一文・・ 「人間の思考能力は、人間のもっとも顕著な特質である。 だから、人間について語る者はだれでも、ある段階で人間の知識について語らなければ ならない。」 知識は2つに分けられる。 陽表的知識 explicit knowledge ・・普通の知識 と 暗黙的知識 tacit knowledge ・・明確に定式化されず、公的で客観的な性格を欠くが、 経験を包括的に把握し、経験の意味を理解する基礎となるもの ・・「わたしたちは自分たちの知識が真であると思っていることをつねに暗黙的に知っている」 「暗黙知がじっさいあらゆる知識の支配原理であり、したがってこの原理を拒絶すれば、 どんな知識であれ、知識というものを自動的に拒絶することになるのを示して ・・ この見解になじんでいただくことである。」 「暗黙知の構造がもっともはっきりと示されるのは、理解という行為においてである。 それは、包括的把握の過程、つまり、 ばらばらになった部分を包括的全体へと把握することである。」 ・・その一例は、ゲシュタルト心理学 「・・理解を知識の妥当な形態として承認すれば、 わたしたちにはすべての人間経験を本質的には同じ方法で研究することが許されるであろう・・」 「「個人的知識」の理論によれば、 すべての意味は、首尾一貫した存在による一組の個々の項目の包括的把握 ー けっして形式的捜査に置き換えることのできない個人的な行為である包括的把握にある。・・」 物理学や化学と、工学の比較・・ 機械についての真の知識とは、 「それを達成するための 目的と合理的手段についての理解である。 一方、その物理学的で化学的な機構に関する知識は、 それ自体では無意味である。」 また、「生物と生命の過程は、 包括的把握という個人的な行為によって、わたしたちに知られる」 「包括的存在というものは、その定焦点的に、すなわちそれ自体として 知られているその存在の個々の項目とは別のなにかである」 「包括的存在についての知識は、ある種の理解であり、潜入であり、 評価である・・ 個人的知識のこうした位相は、密接に織りなされたものである・・」 ポラニー曰く、 「自然の研究と人間の研究との間のどんな不連続性をも否定するものである・・ すべての知識が理解に依拠し、その意味で知識は現実の存在のあらゆる水準で 同じ種類のものである・・」 以下、物理や化学等科学的知識と、歴史学の比較・・・について論じられるのですが、 自然科学の研究方法を基に、歴史研究が創発される・・という指摘は、 意外でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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