カテゴリ:哲学・思想
小阪修平「はじめて読む現代思想(2) 展開篇―相対主義を超えて」(GEIBUN LIBRARY)
芸文社 1995年刊 現代思想の問題は、現代における「自由」のありかたであり、 絶対的な価値や基準にあたるものがない、という相対主義という問題である。 デリダ・・ ナチズムを生んだ西欧の知的抑圧をつくり出している精神をいかに解体するか? デリダは、「賭」「戯れ」「差異」「ずれ」「遊戯」などという言葉を使って、 脱中心化を図ろうとする。 ドゥルーズ、ガタリ・・ 『アンチ・オイディプス』 「いくたの革命家がどうかんがえているにしろ、 欲望はその本質において革命的なのである。 革命的であるのは欲望であって、左翼の祭典なのではない」 ボードリヤール・・ ボードリヤールは、シニフィアンとシニフィエとを切り離して考える。 シニフィエと切り離されて消費されるため、どんなシニフィアンもこの消費社会のなかに 閉じ込められていく。 バルト・・ テクストとは、テクスチャ(織物)からでてきた言葉。 織物とは、縦糸と横糸があり、そのなかにはいろんな作者自身も気がつかないことが 織り込まれている。 「読む」ということが、たえず新しい解釈をもたらす。 フーコー・・ 『言葉と物』・・いろんな時代のエピステーメをテーマにしたもの。 エピステーメとは、「ある時代、時代の総合的な知のありかた」をさす。 人間は、エピステーメを離れて自由には思考できない。 相対主義でもいい・・わけではない。 ≪ぼくは、相対主義というのは言葉の力の問題だろうとかんがえています。 人びとは恣意的に生きていいわけですが、 人びとは恣意的には他人と関係できないわけですね、 関係するということは、必ず人間の恣意を超えたレベルを含んでしまいます。≫ <目次> 第1章 デリダ―真理の批判と脱構築 第2章 ドゥルーズ=ガタリ―自由な欲望の空間へ 第3章 ロラン・バルトとボードリヤール―記号論による社会分析 第4章 フーコー―近代的な知と主体の変換 第5章 現代思想の可能性―相対主義を超えて
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最終更新日
2011.05.06 19:59:37
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