テーマ:日本史(21)
カテゴリ:日本史・世界史
日本王権論 網野善彦・宮田登・上野千鶴子 春秋社 1988年刊 上野さんの問題提起から、宮田さんと網野さんがその答えを 引き継ぐかたちで対談が進みます。 アメリカで日本研究・記紀研究をして上野さんが発見したこと。 それは、「天皇は<ヨソモノ>」だったということ。 天皇は、日本人の常民の祖先だったのはではなく、 <ヨソモノ>だった・・・と、記紀を通じて、天皇制のイデオロギーは 繰り返し言っている。 また、天皇制は、他のユニークな王権とも比較することができないと いわれることがあるが、比較文化の立場からすると、世界的には同種の 構造がある。 オセアニア圏と非常に似た王権だといえる。 さらに、天皇制のアイデンティティ。本当に一貫性があるのだろうか。 応神朝の時にも、継体の時にも、はっきりした断絶があり、 桓武の時にも、はっきり変わっている。 なのに、明治期の天皇に、カリスマ的な呪的霊能・・古代の記紀が達成しようとした 神聖王権のイデオロギーが千年以上も死なずに生きていたということになるが、 本当にそうなのか。 能、お茶、お花、庭園、歌舞伎・・ 能は猿楽、 お茶は、賤視されていた宮籠、 お花なども、婆娑羅の芸能の流れを汲む。 庭園は、「山水河原者」という非人によって担われていた。 つまり、日本独特の文化と言われているものは、 みな非人ないしそれに準ずる人々によって担われていた。 これらに対する聖から賤への転換が、 南北朝動乱を境に起こっている。 日本の「民族史的」変換の時期といえる。 後醍醐天皇は、人間のいちばん奥底にある力、セックスを王権の力とし、 非人を軍事力として動員した。 しかし、後醍醐天皇の王権は、3年でつぶれる。 天皇王権の一貫性というのは、「失敗した王権としての一貫性」といえる。 もし後醍醐天皇の王権が20~30年続いていたら、後醍醐亡き後、 天皇王権そのものも消滅してしまっていたかもしれない。 「敗れた王」は、<祭司王>となる。 以降、<世俗王権>と<祭司王>との二重王権となる。 宮田さん曰く、 ≪僕は、女性と妖怪と日和見と、「長者殺し」によって、 天皇制は解体できるというコードを持ってるわけ(笑)。≫ 網野さん曰く、 ≪<小さな神々>とオカルト、それだとしたら、天皇に置き換わる力には ならないんじゃないかな。 もし<大きな神>が過去にあったら置き代わっていたと思いますよ。≫ <目次> 第1章 古代王権のコスモロジー―王権と「外部」 第2章 後醍醐の新政と民族史的転換―〔聖〕と〔賎〕の変化 第3章 王権の変質―天皇制はいかにして存続したか 第4章 近世社会における天皇の位置―フォークロアの中の天皇 第5章 江戸王権の支配構造―階級社会と「礼」の構造 第6章 現代の民俗コードと天皇制 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.12.14 23:07:40
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