カテゴリ:哲学・思想
石井郁男「鴎外「小倉左遷」の謎」 葦書房 1996年刊 明治32年、鴎外森林太郎が、小倉の第12師団に異動となる。 森家も、林太郎本人も、さらに陸軍省医務局関係者一同も、 都落ちの左遷と考えていました。 「これは明らかに左遷人事だ。 なぜ自分が左遷されねばならぬのか。 軍医の仕事での失敗は何もないはずだ。 本業以外の文学などで目立ち過ぎる仕事をしたためなのか。 どう考えてもそのために睨まれたとしか考えられない」 鴎外の懊悩は深かった。 鴎外37歳、まだやりなおしのきく年齢だった。 しかし、この左遷人事には、陸軍省として、隠されたある意図があったのではないか? その謎とは何か? 鴎外は、小倉にいたほぼ3年のうち、2年を割いて、 クラウゼヴィッツの『戦争論』を師団の将校たちに講義し、翻訳している。 当時の日本に『戦争論』を知るものは陸軍の中にも少なく、 またその難解さゆえ、翻訳はなかった。 クラウゼヴィッツは、カント学徒であり、 『戦争論』は、クラウゼヴィッツ自身が12年間収集したヨーロッパの戦争資料を カント哲学によって学問的に整理したものであった。 そのため、当時、『戦争論』を翻訳できる人物は、鴎外以外に考えられない と、思った人物がいた。 ≪実は『戦争論』の正確な翻訳を軍が入手したいがために、 鴎外を小倉に動かしたのではないのか。 これが本書がこれから挑む謎である。≫ 冒頭の解説にも、こうあります。 ≪クラウゼヴィッツを自家薬籠中のものとすることによって、近代日本は日露戦役に 勝利をおさめることができた。 その筋道が、鴎外-田村恰与造-小倉在勤に淵源とすることを、 本書は速断を避けた謙虚な筆致で説いている。≫ 【中古】鴎外「小倉左遷」の謎 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.04.04 23:26:23
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