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2015.04.04
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カテゴリ:哲学・思想
鴎外「小倉左遷」の謎

石井郁男「鴎外「小倉左遷」の謎」

葦書房

1996年刊




 明治32年、鴎外森林太郎が、小倉の第12師団に異動となる。

 森家も、林太郎本人も、さらに陸軍省医務局関係者一同も、
 都落ちの左遷と考えていました。

「これは明らかに左遷人事だ。

 なぜ自分が左遷されねばならぬのか。
 軍医の仕事での失敗は何もないはずだ。
 本業以外の文学などで目立ち過ぎる仕事をしたためなのか。
 どう考えてもそのために睨まれたとしか考えられない」

 鴎外の懊悩は深かった。

 鴎外37歳、まだやりなおしのきく年齢だった。


 しかし、この左遷人事には、陸軍省として、隠されたある意図があったのではないか?

 その謎とは何か?

 
 鴎外は、小倉にいたほぼ3年のうち、2年を割いて、
 クラウゼヴィッツの『戦争論』を師団の将校たちに講義し、翻訳している。

 当時の日本に『戦争論』を知るものは陸軍の中にも少なく、
 またその難解さゆえ、翻訳はなかった。

 クラウゼヴィッツは、カント学徒であり、
 『戦争論』は、クラウゼヴィッツ自身が12年間収集したヨーロッパの戦争資料を
 カント哲学によって学問的に整理したものであった。

 そのため、当時、『戦争論』を翻訳できる人物は、鴎外以外に考えられない
 と、思った人物がいた。


≪実は『戦争論』の正確な翻訳を軍が入手したいがために、
 鴎外を小倉に動かしたのではないのか。
 これが本書がこれから挑む謎である。≫

 
 冒頭の解説にも、こうあります。

≪クラウゼヴィッツを自家薬籠中のものとすることによって、近代日本は日露戦役に
 勝利をおさめることができた。

 その筋道が、鴎外-田村恰与造-小倉在勤に淵源とすることを、
 本書は速断を避けた謙虚な筆致で説いている。≫


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最終更新日  2015.04.04 23:26:23
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