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“しょう”のブログ

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地球環境、エコロジー

2022.02.14
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 1月23日の拙 blog記事『人新世の資本論』について(総括)〕を読んでくれた知人から、次のような意見をもらった。

「HPの総括も拝読しました。斎藤氏は確かに生産様式変革の重要性を強調しますが、単純な経済決定論になっているとまでは思えないのですが…。資本主義的生産を問題にしないで環境問題を取りあげるのは所詮擬制に過ぎない、本気で取りあげるなら生産のあり方まで問題にしなければならない、そのことを力説するために、少し極端な言い方になってしまっているという印象があります。」 

 なるほど、「世界の認識」-「めざすべき方向」を考えていくためには、著者の意図をしっかり汲んで発展的に活かしていくことが望ましいと私も考える。前回の「総括」で私は、きちんと引用をつけないまま斎藤の考え方についての「判断」を発信した)ので、その点は反省しつつ、もう少し検討していきたい。 

※〔「総括」の記事:一部〕資本制生産様式というこの経済体制の中で、「非資本主義的な法・制度は基本的に存在しえない」(・・・)、したがって「資本主義体制下で気候危機は原理的に解決不可能だ」‐ほぼこういった内容を斎藤は断定的に主張しているかに見えるが、それは土台‐上部構造論を硬直した形で受け入れた誤謬ではないのか。

  その知人へは、次のように返信した。

 「斎藤の論考にたいするSさんの好意的な見方も、建設的な行動につなげていくためには大切なように思います。ただ、私の見方について、単なる誤解とは思えない記述も『人新世の資本論』の中に散見できます。」 

​拙blog記事に対するSさんの感想を受け、あらためて考えてみたが、「限りなく経済決定論に近い」と思われる発想は斎藤の中に厳然とあるのではないか、と考える。例えば『人新世の資本論』130131頁で、ジジェクの引用をしながらノーベル賞を受賞した経済学者のスティグリッツを批判した箇所。これは、斎藤の主張でもある。​ 

〔スティグリッツは「社会的共通資本」を提唱した宇沢弘文の基本的な考えを受け継ぎながら「市場原理主義」を厳しく批判し、より好ましい資本主義社会の在り方を具体的に提案。以下は、それに対するジジェク-斎藤の批判。〕

​「そもそも、法人税の増税や社会保障費の拡充が可能であれば、とうの昔に行われているのではないか。・・・かつての水準か、それ以上のレベルまで規制を強化したら、資本主義は崩壊してしまうのではないか。それを資本主義が受け入れるはずがない。
 
スティグリッツが求めている「改革」は、資本主義そのものを維持することと相いれないからこそ、絶対に実現できないのではないか。そのような「改革」を・・・大真面目に掲げるスティグリッツは、真の「空想主義者」というわけだ。

​このように「法人税の増税や社会保障費の拡充」は資本主義を維持することと相いれないから「絶対に実現できない」‐スティグリッツは真の「空想主義者」と断定しているあたり、「資本主義体制では改革は不可能という経済決定論」に陥っているように見える。このような考えが事実であれば、高度な社会保障制度を確立した北欧諸国は、資本主義体制が維持できず、とっくに崩壊しているはずだろう。しかし、現実には一人当たりのGDPで日本を上回るなど、しっかりと国際競争力も維持している。市場原理主義が資本主義社会の真の(唯一の)姿だ、と断定する根拠はまったくないのだ。

​また、すでに指摘したように、「障害者」の人権保障要求運動や反公害闘争によって障害者差別解消法や公害対策基本法(⇒環境基本法)が制定された。これらは資本主義的な「利潤追求」の原理からは出てこないものだが、現代の「社会構成体」の中で法制化されたのである。法人税の最低基準の国際的合意も、斎藤の論旨からすると「資本主義では不可能」だったのではないか?​ 

​​ちなみに、斎藤が批判したスティグリッツだが、私はかなり評価している。
 宇沢弘文の愛弟子だった彼は、2016年に行われた宇沢の追悼講演で気候変動対策に触れているが、彼の構想は二つ。
1、高率の二酸化炭素税を導入する。導入しない国に対しても「その国の製品に対して国境で課税し、炭素排出削減に協力できるようにする。」こうした税制はWTOでも法的に認められると考える。そして、このような税制は国の政治・経済を変える。
(上記の考え方は、EUによって具体化されつつある。)
2、グリーンファンドを創設する。温室効果ガスを抑制することで起こった影響(とりわけ「発展途上国の経済に与える負担」)を軽減するための基金。「先進国」が二酸化炭素税で得た税収の2割でもグリーンファンドに回せば「差異ある責任分担」を実行に移すことができる。
 斎藤はスティグリッツの考え方を「空想的」と断じるが、充分に現実的ではないか? 斎藤の論は「マルクス主義の悪い面」(私は現実的で相手は空想的といった思考)を受け継いでしまっているように見える。​​

以上のように、斎藤の主張に関して批判すべき点は多々あるが、「ひたすら利潤追求を重視する資本主義を問題にしなくてはならない」という主張については私自身も同意する。しかしながら、近代市民社会(その延長上にある現代社会)という「社会構成体」のなかで、資本主義を問い直すことは可能なのだ。宇沢もスティグリッツも「市場原理主義」を厳しく批判し別の道を示す、という点では資本主義を問題にしているとも言えよう。

なお、宇沢弘文が「新古典派経済学」を根本的に問い直すきっかけとなったのは「公害問題」だった。四大公害裁判の判決も、「高度経済成長の根本的問い直し」(さらには、ひたすら利潤を追求する企業活動の問い直し)の意味を持つ画期的なものだったと考えている。経済決定論では説明できない「司法判断の自律性」の一例ではないだろうか。

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Last updated  2022.02.23 07:16:34
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2022.01.23

 『人新世の資本論』について(1)  

  『人新の資本論』について(2)  

 私は、二度にわたって『人新世の資本論』について検証してきた。このたびはさらに、『国家と文明』(竹内芳郎著)の理論内容とからめて批判的にまとめておきたい。

ここで強調したいのは「マルクス主義の史的唯物論」の受け継ぎ方として、『人新世の資本論』にはどのような意義と問題点があるか、という観点である。(一部、重複するが・・・)

〔意義〕

第一に、史的唯物論の公式にとらわれず、(特に晩期の)マルクスがロシア農村共同体の研究を通して『資本論』をも問い直そうとしていたこと、​精神労働と肉体労働の対立(分業)の克服​、都市と農村の対立の克服について言及していたこと(308頁)、労働者たちの能力の全面的な発展をめざしていたこと、など重要な点をとりあげていることがある。

 第二に、生産力発展論こそが定式化された「史的唯物論の大きな柱」だったわけだが、この​生産力主義をマルクス主義から切り離そう​という斎藤の試みは評価できる。これは、『国家と文明』(竹内芳郎著)で展開されている論と共通する視点だともいえる。

〔問題点〕

 上記のように斎藤は、史的唯物論を硬直した公式ではなく、晩年のマルクスや『資本論』を踏まえて柔軟に問い直そうとしているにも関わらず、史的唯物論の第一の公式である「土台‐上部構造論」については無批判に(硬直した形で)受け入れてしまっているように見える。

 ここではまず、「土台‐上部構造論」に関する過去記事の一部を採録しておこう。

 土台とは何か? 社会全体を規定する生産様式(=経済の構造・仕組)

 上部構造とは? 社会的、政治的、精神的生活の全体(生産や経済以外の領域)具体的には「社会・政治制度や文化、人々が共有する価値観など」 

Q 土台・上部構造論とは?

 生産様式(経済の構造)こそが土台となって、それが上部構造である社会的・政治的・精神的生活の全体を規定(決定)する、という仮説

Q なぜ生産様式が重要なのか?

A マルクスの回答

 「人間たちは〈歴史を作る〉ことができるためにはまず生きることができねばならない(・・・)したがって、最初の歴史的行為とは、こうした欲求(食うこと・住むこと・着ることなど)を充足させるための諸手段を産出すること、物質的生活そのものの生産である」⇒ どんな社会でも生活するために必要な物資の「生産と分配」といった経済的要因が社会を根本的に規定する。

Q 土台・上部構造論の問題点は?

 経済的な生産様式とそれ以外の人間的諸営為とを截然と分け、「土台(経済的な要因)が上部構造(他の要因)を決定する」という仮説にはかなり無理がある。

Q それはなぜか?

 人間においては生産と分配(経済)の根底にある物質的生活や物質的欲望そのものがその社会における文化によって全面的に規定されているからである。

例1)衣類の生産は生きていくために不可欠な「物質的生活そのものの生産である」と同時に、その民族の宗教や慣習、美的なものを求めるファッション(すべて広義の文化)と不可分である

例2)熱帯アフリカに現在も残っている部族共同体の場合も、生産様式(経済的要因)とその他の要因は切り離すことができない(未分化である)。 

 仮に、この未分化の状態から経済の近代的な概念に当てはまるものだけを抽出し、それと 「その他のもの」との関係を調べてみても、現実には同一の土台(経済)の上に異なった上部構造を見出す例は多い。例えば熱帯アフリカの土着民の経済生活はほとんど同じであるが、婚姻関係の慣習等がしばしば異なっている。

Q 理論再構築の道は?

「生産様式」を科学的抽象によって(社会全体から経済的要因のみを抽象することによって)成立するもの、としてはっきりと位置づける ⇒「生産様式」と「社会構成体」(その時代の社会の総体)とを理論的に峻別する

・生産様式・・・人間の社会から物質的生産に関わるものだけを抽象して成立する単層的カテゴリー(経済構造)

(例)農奴制生産様式、資本制生産様式

・社会構成体・・・経済生活だけでなく様々な社会諸制度、文化、人々が共有する価値観などを重層的に含みこんだ「社会の総体」

(例)中世封建社会、近代市民社会

Q 生産様式は社会の他の要因を規定・決定するのか?

 生産様式は他の要因(例えば社会制度)を因果的に決定しないとはいっても、かなりの程度規定する重要なポイントだ といえる。

(現代の例 : 日本の国会で制定・改定(規制緩和)された「労働者派遣法」は「市場原理主義的な資本制生産様式」によって、強く規定されている。) 

 過去記事の採録は以上 

 さて、史的唯物論の公式である「土台‐上部構造論」を斎藤は無批判に受け入れている、というのが冒頭における私の主張だが、それはどういうことだろうか?

要するに、「資本主義体制下で気候危機が解決可能だという主張は、非現実的な空想に過ぎない」、という斎藤の断定の中に誤謬があるのではないか、斎藤は「経済的土台である資本制生産様式」と「近代市民社会という社会構成体」とを混同しているか、前者が後者を因果的・全面的に決定するという機械的な理論(硬直した土台‐上部構造論)の立場に立っているのではないか、ということである。 

 竹内芳郎による理論再構成のpointは、1,「生産様式」(経済の構造‐例:資本制生産様式)と「社会構成体」(例:近代市民社会、その延長上にある現代社会)とを峻別すること、それによって、2,「生産様式」が「社会構成体」のあり方を因果的・全面的に決定するのではないという現実を認めることであった。つまり、政治・社会諸制度、文化、人々が共有する価値観などはある程度自立したものとして(非資本主義的要素も含めて)「社会構成体」の中には重層化して存在しうるのである。 

そうでなければ、「universal designの実現や公害問題の解決に必要な法整備」は、この体制下では不可能だったろう。ところが、現代の社会構成体の中には、「障害者差別解消法」や「改正された公害対策基本法」(→「環境基本法」)、「二酸化炭素税」などの非資本主義的な法制度(利潤追求の原理自体からは出てこない法律)が、存在している。
 そもそも「労働者の権利を含む人権思想」などは、利潤だけを考えるのであれば、邪魔ものでしかなく「経済構造によって思想・文化も決定されるとすればこの社会には存在しえないもの」ということになってしまう。しかし、「人権思想」はこの社会に存在し、それに基づいた法・制度はいくつも制定されてきた。だとすれば、
大切なことは、社会における非資本主義的要素を創造・活用しながらそのさまざまな弊害の克服に力を尽くすことではないだろうか。 

資本制生産様式というこの経済体制の中で、「非資本主義的な法・制度は基本的に存在しえない」「仮に存在しても全く無力である」、したがって「資本主義体制下で気候危機は原理的に解決不可能だ」‐ほぼこういった内容を斎藤は断定的に主張しているかに見えるが、それは土台‐上部構造論を硬直した形で受け入れた誤謬ではないのか。少なくとも、そのような断定の根拠を『人新世の資本論』は示しえていない。
 そもそも、斎藤が例示する「バルセロナ(フィアレスシティー)の取り組みや、労働者協同組合の取り組み等々」自体、現代の社会構成体が様々な「非資本主義的な営みや要素」を重層化しつつ含みこんでいけることを立証するものであろう。 

そのことを斎藤が自覚するのであれば、彼我の違いは大きなものではないのかもしれない。「人権」や「気候危機への真剣な対応」という観点から、市場原理主義・強欲資本主義のあり方を問い直していく必要性については、私自身、特に異議を持ち合わせていないからである。

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Last updated  2022.01.24 05:30:38
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2022.01.08

 『人新世の資本論』(斎藤幸平著)について、引き続き検討します。
​                     『人新世の資本論』について(1)

                (人新世の資本論について 全文PDF
3、根本的な問題と思われる点

・技術革新の問題点も含め、自らの主張に関する検証・立証が不十分で、それを抜きにした断定が目につく。認識の仕方に問題ないか。「上空飛翔的」な認識(上空から世界の全体を俯瞰するように自らの枠組みに当てはめていく認識)になっていないか。

実践を積み上げながら、自らの認識の枠組み自体を検証していく姿勢が大切。(晩年のマルクスからはそのような姿勢をこそ学びたい)。自説にとって都合の悪いdataも参照しながら認識の枠組みを問い直しつつ鍛えていくこと。
例:電気自動車の功罪を検証するためにはIEAの資料(斎藤は90頁で紹介)だけでは不十分。例えば(1)でも紹介した下記資料なども含めた検証が必要。

1)資源不足の時代を終わらせるために Part 1  2)同 Part 2 – ​想像を絶するクリーンエネルギーの豊かさを手に入れる

上記論文の要約 著者:ナフィーズ・アーメド(Nafeez Ahmedの論文より) 

「マルクス主義の歴史的敗北」に充分向き合っているとは思えない

マルクス主義は経済論であると同時に歴史理論。本来は「歴史の中で勝利を宣言するはずの思想」だったが、それを基盤にした国づくりは分権的なものも含めことごとく失敗している。 

・その理論は体系をなしており、「都合の良い部分を引用して賛美する」というのは説得力に欠ける。ある意味で、某政党の取り上げ方と共通している。歴史から教訓を汲み出すには、「マルクスを権威として自説を根拠づける」といった姿勢を、注意深く拒否することが必要ではないか。そもそも、「手紙や草稿」など発表を想定して書かれていないものと、出版されたものとを同列に扱うのみならず、「前者(手紙・・・)こそがマルクスの本当の思想だ」という形で後者を否定するのはいかがなものか?

※マスクスの真意云々ではなく、(最晩年のマルクスから示唆を受けつつも)斎藤自身が「史的唯物論のやり直し」を具体化すべき。

そうでなければ「空想的社会主義」段階に戻ったといわれても仕方がない。(ただし、「空想的社会主義者」とされているフーリエやオーウェンは、具体的実践によって社会主義的な共同体や工場を創ろうとしており、その点では斎藤よりも進んでいる。)

晩期マルクスがそれ以前の自らの主張を明確に否定・撤回していない以上、本人に代わってその再構成をすることで「マルクス主義」を乗り越えることが重要ではないか。⇒(『国家と文明』)史的唯物論の再検討 で竹内芳郎は、それを力強く試みている。 

・斎藤は「ザスーリッチあての手紙と草稿」をもとに史的唯物論のやり直しを提起。その際、晩年のマルクスがロシアにおける農村共同体に注目し、「ヨーロッパ中心史観」からの脱却を図っていた点の指摘はいい。が、その性格を十分検討しないままcommonと共同体の復権を主張することについては検討を要する。なぜなら、当時のロシアにおける農村共同体は明らかにツァーリズムという専制君主体制の下部組織(『国家と文明』100頁)だったからだ。これは昭和初期の日本における農村共同体〔入会地‐commonを共有していた〕が同時に集団同調主義的な天皇制共同体の下部組織であったのと類似している。従って共同体といっても復権すべきは、支配者のもとに統合されているそれ‐第二次共同体‐ではなく、あくまでも対等平等な共同体‐第一次共同体‐であり、前者と後者を峻別することが必要である。それを理論的に明確化・整除しているのが『国家と文明』の135頁以降。)

Q 初期マルクス思想と中期の思想(生産力主義)をまとめて否定するのか?

初期マルクスの思想(疎外論)と『資本論』およびそれ以降の思想とは切断されたのではなく、深く関連しているにも関わらず、斎藤の記述では、この点が不明確である。「初期から中期の思想をひとまとめにして否定する」とすれば、そこには問題がある。

・「〇〇はアヘンである。資本主義下で解決できるとするのは幻想である。」このような断定(実はマルクス主義の弱点)を、無批判に受け継いでいる。「短期間で脱成長communismが実現できるというのは幻想でなければいったい何か」という形で跳ね返ってくるだろう。

 竹内芳郎は『文化の理論のために』(1982年刊行)で次のように述べている。

「マルクス主義はその徹底した歴史的見方によって、現行の社会制度とそこでのideologyのすべてを相対化し、その相対化を通じて人類の新たな未来を設計してみせた」けれども、(・・・その)史観の理論的枠組みそのものが、実は西欧近代文明の一所産にすぎず、相対化の営為そのものが「人類史の中だけの局部的相対化」かそうでなくても「西欧近代文明の所産にすぎぬ近代〈進化論〉にそのまま依拠した〈人間至上主義〉の枠を一歩も超え出ぬもの」にすぎなかった。真に必要な相対化は歴史そのもの、人間文化そのものを、非文化のコンテクストから文化に対して〈他者〉(例えば野獣:補)の目でもって遂行されるより深い相対化の営為なのだ。」根本的に、あらゆる幻想と無縁な「現実的社会関係(人間)」など存在しないにもかかわらず、「吾ひとりは一切の幻想過程から醒めて、真に現実的地平に立ちうるとするマルクス主義が、それ自身、歴史の中でまたひとつの途方もない阿片として作用するほかなかったことを、彼(マルクス)はついに予見することなく終わった。」

(『文化の理論のために』,P.231262頁)

・「SDGsはアヘン」か? 宗教やアヘンに引き寄せられるほど、多くの人々はSDGsに引き寄せられていない。状況の認識がずれていないか。むしろ「持続可能性の重視」を国連のレベルで合意したことを評価しつつ、「開発」に伴う欠点・問題点を克服する、という構えが必要ではないか。例えば松下和夫は以下のように述べる。 

「実はSDGs自体に現行経済社会システムを根底から変革する思想が埋め込まれているのである。なぜならばSDGsに掲げられた目標を徹底的に追求していけば、強欲資本主義のあり方そのものを変えざるを得ないからである。」「企業はSDGs washとの批判を受けないために、持続可能性を自社の事業戦略の中核に据え、事業を通じてSDGsの達成に向けた意欲的取り組みが求められる。」

「一方消費者は、企業が謳う『SDGsに取り組んでいます』という言葉に安易に飛びつかず、その事業が本当に持続可能性向上につながるか、情報は第三者機関によって評価されているか、透明性があるか、などをしっかりと見極めることが重要だ。(・・・)企業にも消費者にもSDGsに関する高度のリテラシーが求められる。」

いたずらに、「SDGsは大衆のアヘンである」との警句を発することは、企業や市民の持続可能な社会への行動変容へ踏み出す一歩を押しとどめるマイナスの効果しかないだろう。」(引用は以上)

資本主義体制下でも2019年における「投資会社の意思統一など」は、重大な影響を及ぼすはず。その不十分さをあげつらうのではなく、「持続期可能性」という観点から取り組みを鍛えなおすこと(例えばgreen wash企業かどうかを判断し、本物の取り組みを評価しながら消費行動、さらには運動を進めていくこと)が大切なのではないか?

北欧・EU諸国の事例など、削減に一定の成果を上げている取り組みの充分な検証・評価を抜きに「思い込みで否定」していないか。「マルクスが言っているから資本主義体制下では解決不可能だ」という自身の思い込みでないことをどう立証するのか。

例:東横インの不祥事公害問題。確かに、資本の論理、利潤追求至上の原理を貫徹させたままでは解決不可能だが・・・。universal designの実現や公害問題の解決(必要な法整備)は、この体制下では不可能(communismに移行する以外の解決策はない)」と断定してはいけない。

具体的生活に居直る直接民主主義的な運動(「障害者」の人権保障要求運動や反公害闘争)が、この体制下でも現状の変革(例えば障害者差別解消法の制定、公害対策基本法の改正、「無過失責任」の法制化など)につながった

・「南」への矛盾の押しつけは当然問題にしていかなければならない(8385頁)が、それは基本的に「狭域環境汚染・環境破壊」(及び、過重労働)の問題だ。日本や欧米の公害問題と同様、それに対処することは必要であり可能である。当然そうすることで採掘costは上昇するが、問題は克服できる。〔例:2010年に多くのアナリストが、価格の高騰をrare earthの供給不足の兆候であると誤って予測。実際には、価格の上昇にともなって「備蓄量の増加、休止中の鉱山の再開、探鉱者による新たな鉱床の探索と発見、recycleの増加」が起きた。企業はcost削減と性能向上を同時に追求し、高価な材料をより節約して使用し、可能な限り安価で優れた代替策を採用。さらに、今後の需要増加にともなう鉱物の価格上昇は、採掘による収益を増加させ、recycleをより安価にし、以前は実現不可能だった新しい循環型経済の実践や産業のための新しい市場を生み出す。また、さらなるinnovationの促進にもつながる。〕 資源不足の時代に終止符を打つために Part 1 – 鉱物資源の不足がクリーンエネルギーを頓挫させない理由  同論文の要約 より。

・文化革命・生活仕方全体の変革という視点が弱いように見える。マルクスに従って、生産仕方の変革(生産手段の共有など)をすれば、問題は解決するかのような「幻想」に陥っていないか。(「帝国的生活様式」という言葉を頻繁に用いていながら・・・)

例:株式会社のHondaが協同組合になれば、車の生産は半分以下になるのか?

 地方の公共交通機関の急速な拡大・利便性の増大が期待できない中、「自家用自動車による通勤」が急速に減少していくことは考えにくい。そのような現状において

Q 電気自動車化などの技術革新は意味がないのか?(必要ないのか?)​​

 確かに(斎藤が指摘するように)電気自動車の生産にも二酸化炭素の排出が伴う。だが、ガソリン車を継続的に生産し、購入・運転し続ける場合と比較して全排出量がどれくらい違うか、定量的に検証することが大切だろう。例えば、減少するのは走行時に排出される二酸化炭素量だけではない。石油、Gas、石炭の需要が激減すると、大量の化石燃料を世界中に輸送するために稼働している巨大な物流・輸送インフラは必要なくなり、石油掘削装置、石炭発電所、原油精製のために稼働する石油化学コンビナートなどの膨大なインフラも必要なくなる。輸送・精製の過程で排出する二酸化炭素量を極小化する再生可能エネルギーへの転換は、膨大な二酸化炭素の排出削減を可能にするはず。このような点を考慮していないIEAなどの試算に大きな問題があることをナフィーズ・アーメドは上記論文で指摘している。

Q 脱成長communismに向かう展望を斎藤は示しえているのか?

 FEC自給圏の取り組みや、協同組合を増やしていく取り組みは重要だと考えるが、多国籍企業を含む巨大な「私企業・株式会社」が別のもの(例えば協同組合等)になっていく展望を、斎藤が示しえたとは考えられない。

 目標・理想は本質的に「幻想」であり、そこに向けた具体的な実践こそが大切。

・机上の空論にならないためには実践をしたうえで、その困難・乗り越え難さを理論に組み込んでいく必要がある。

例:鳥取県岩美町での実践。地域ぐるみ-長井市の実践に学び、「岩美町への提言」を作成・提出した。しかし、それに対する批判(「美しいね。しかし、それは地域の人々や高校生が本当に求めている取り組み・学びなのか?」といった批判)も受けた。おそらく、この批判は以下の宇沢の見解とも関連する。

・宇沢弘文の見解。『社会的共通資本』19頁。「計画経済(社会主義‐生産の公的管理:補)は中央集権的なものは言うまでもなく、かなり分権的な性格を持つものについても例外なく失敗した。その原因は・・・より根源的には、計画経済が個々人の内発的動機と必然的に矛盾するということにあった。

​​​体制を変えれば問題が解決するという単純なものではない。上記宇沢の主張や、ユーゴ労働者自主管理の変貌(自主管理社会主義の失敗)などについても、十分検討・検証することが必要だろう。「脱成長communismしかない」と断定するのではなく、様々な方法を模索しながら可能な取り組みを力強く進めていくことが大切だと考える。

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Last updated  2022.01.23 14:37:31
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2022.01.03

 私も、気候変動対策については当Blogでも繰り返し言及しているが、ここ一二年、『人新世の「資本論」』(斎藤幸平著)が注目されている気候危機に関する問題意識については共有できる点が多いものの、同書には違和感を覚える点もかなり見える。           

このたび、その内容に関して2回にわたり「批判的考察」をまとめることにする。
(​人新世の資本論について 全文PDF
 ただ、その内容・要約に関しては松下和夫の簡潔な要領を得たものがあるので、最初に引用しておきたい。

1、京都大学名誉教授・地球環境戦略研究機関シニアフェロー松下和夫 脱炭素大競争時代と『人新世の「資本論」』による要約

・斎藤によれば現代は「人類の活動が地球を破壊する『人新世』(地球危機)の時代に入っており、気候変動を放置すれば、この社会は野蛮状態に陥るだろう。それを阻止するためには資本主義の際限なき利潤追求を止めなければならない」。

・資本主義の本質を見抜いていた晩期マルクスを踏まえれば「唯一の解決策は〈コモン(生産手段の共同管理)〉を基盤にした潤沢な脱成長コミュニズムだ」。 

『人新生の資本論』の論旨(松下の「大胆な」要約)

①気候危機はすでに現実化しており、この状態を放置するとこの社会は野蛮状態に陥る。

②資本主義は、利潤のあくなき拡大を目指してすべてを市場と商品化に巻き込み、自然の略奪、人間の搾取、巨大な不平等と欠乏を生み出してきた。それを変えなければ、解決にならない。気候変動の原因である資本主義の枠組みを維持したままでは、どのような方策も気候変動危機を止めることはできない。

③資本主義の本質を見抜いていたマルクスもそのことを指摘している。晩期マルクスが残した研究ノートを詳細に検討した最近の研究結果(MEGAプロジェクト)によると、マルクスは、資本主義のシステムに代わるエコロジカルで持続可能性を重視した〈コモン〉を自分たちで共同管理するシステムを構想していた。

④これは従来のマルクスの資本論の理解(資本主義による恐慌と失業から社会主義革命が起こり、資本を管理する主体が資本家から労働者に代わり、共産主義社会が実現する)とは異なる。そしてマルクスが最晩年に目指したコミュニズムとは、生産力至上主義を脱却した脱成長コミュニズムである。それは平等で持続可能な脱成長型経済であり、自然資本を含む協同体的富が地域に根差す非営利的で平等な市民により共同で管理される。生産力至上主義を捨てるなら、生産力の高さは、歴史のより進んだステージにいることの証明にはならない。破壊的技術だけを発展させても、意味がないからである。・・・晩年のマルクスは、進歩史観そのものから決別せざるを得ない。史的唯物論はすべてがやり直しとなるのだ。(人新世の「資本論」166) 

⑤私たちは資本主義を脱して、エネルギーや生産手段など生活に不可欠な〈コモン〉を自分たちで共同管理する「脱成長コミュニズム」に進まなければならない。

(具体例は後述)

⑥脱成長コミュニズムの柱は以下の通り。

・使用価値経済への転換:(交換)価値ではなく「使用価値」に重きを置いた経済に転換して、大量生産・大量消費から脱却する

・労働時間の短縮:労働時間を削減して、生活の質を向上させる

・画一的な分業の廃止:画一的な分業を廃止して、労働の創造性を回復させる

・生産過程の民主化:生産のプロセスの民主化を進めて、経済を減速させる、ワーカーズ・コープ(労働者協同組合)により生産手段を〈コモン〉に

・エッセンシャル・ワークの重視:使用価値経済に転換し、労働集約型のエッセンシャル・ワークの重視を

⑦「SDGs(持続可能な開発目標)」でも「グリーンニューディール」でも、成長至上主義がある限り、加速度的に進む環境破壊と温暖化は止められない。先進国で達成したかに見えても、そのツケは途上国に押し付けられるだけである。 
(引用は以上)

2、『人新生の資本論』、その意義と課題(私の切り取り・考察)

​・気候変動に絡めて帝国的生活様式を問題にしている点。資本主義体制そのものを根本から問い直す必要があるという明確な提起。少なくとも、これまでの資本主義の「歴史」において利潤追求は環境の破壊や二酸化炭素の大量排出に繋がってきた。

・資本は「人工的希少性」を生み出しながら発展する。(・・・)いくら経済成長をしても、その恩恵が社会の隅々まで浸透することはないという指摘(253頁)、ブランド化と広告が生む相対的希少性(255頁)等、利潤追求によって暴走してきた資本主義の根本的な問い直しを呼びかける。⇒ 気候危機の解決とこの問い直しは不可分であることを提起。

・共産主義(communism)に対する偏見の払拭に一定貢献し、マルクスの著書(『資本論』や「ザスーリッチへの手紙」)を読みなおす機会になりうる。 

・技術的進歩を過大評価することに対する警鐘。楽観論を戒めることも大切。 

・トヨタなどに典型的な「形だけの環境配慮」を鋭く問題にしていく視点。

平等な共同体の復権やcommonの重要性を指摘。

具体例:市民エネルギーの取り組み(日本でも全国各地で展開)

 生産手段を自分たちの手に取り戻すワーカーズコープの取り組み(262頁)

 270頁では資本論の一節を引用

「社会化された人間、結合された生産者が(・・・資本の)盲目的な力によって支配されることをやめて、これを合理的に規制し、彼らの共同の管理のもとに置くこと(・・・)。この国のかなたに、自己目的として行為しうる人間の力の発展が、真の自由の国が始まる。労働日(労働時間)の短縮は根本条件である。」(引用部分の表現を短縮・若干修正)

・マルクスが(特に晩期)ロシア農村共同体の研究を通して『資本論』をも問い直そうとしていたこと、​精神労働と肉体労働の対立(分業)の克服​、都市と農村の対立の克服について言及していたこと、(308頁)労働者たちの能力の全面的な発展をめざしていたこと、など重要な点をとりあげている。

・バルセロナ(企業や国家を恐れないフィアレス・シティ‐恐れぬ自治体)の画期的な取り組みを例示。同市は草の根の声を市政に持ち込むシステムを整備しつつ、水の権利を「コモン」として奪い返し、一旦民営化された水道事業を「再公営化」。

2020年1月に「気候非常事態宣言」を行い、2050年までに脱炭素化(カーボンゼロ)をめざす。さらに生活協同組合、共済組合、有機農産物消費グループなど「社会連帯経済」を実現し、製造業、農業、教育、清掃、住宅等の分野でも地域住民主導の街づくりが始まっている。

このようなバルセロナの取り組み‐(「コモン=社会の共有財産」を市民に取り戻す取り組み、様々な協働組合の創造)は確かに注目に値する。

〔斎藤が同書で触れている宇沢弘文の社会的共通資本(および内橋克人FEC時給圏)の問題意識にもつながる。:補〕

Q1 宇沢弘文の社会的共通資本とは?

大気、森林、河川、水、土壌などの自然環境、

道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなどの社会的インフラ

教育、医療、司法、金融制度などの制度資本

などを宇沢は「社会的共通資本」と呼び、これらを市場原理に任せるのではなく公的に(委託された専門家の良心と見識に基づいて)守っていくことが、人間らしくが生きていく基盤となると主張。

Q2 斎藤は、宇沢との違いをどのように説明しているのか?

斎藤によれば、〈コモン〉は専門家任せではなく、市民が民主的・水平的に共同管理することを重視する。そして、最終的にはこの〈コモン〉の領域をどんどん拡張していくことで、資本主義の超克をめざすという決定的な違いがある、という。

めざすべき究極的な目標(理想)としては共感を覚える。

energyの地産地消 ⇒ FEC自給圏に通じる記述(261頁) 

Q3 内橋克人のFEC自給圏とは?

食糧(Foods)とエネルギー(Energy)、そしてケア(Care=医療・介護・福祉等)をできるだけ自給する地域コミュニティ。これを実現していくことが、地域の生存条件を強くし、雇用を生み出し、自立することにつながるという。

例:​山形置賜自給圏

山形県の置賜地方を一つの「自給圏」としてとらえ、圏外への依存度を減らし、地域資源を利用することで地域産業を興し、雇用の確保を実現しようというもの。

 具体的な活動としては、

[1]地産地消に基づく地域自給と域内流通の推進、[2]自然と共生する安全・安心な農と食の構築、[3]教育の場での実践、[4]医療費削減の世界モデルへの挑戦 の4つ。

 もともとは山形県長井市の地域内循環の取り組み(地域で発生した生ごみを堆肥化し、地域の有機農業に活用し、安心安全な作物を食卓に提供するという取り組み)から発展。地域内循環は「街づくりデザイン会議での市民による議論」を経て具体化していった。

ただし、このような取り組みは時間がかかる。そして、議論・実践に時間をかけなければ意味はない。だとすれば、「10年以内にCO2排出量の半減を」という気候危機への対応としては間に合わない。少なくとも、脱成長communismをめざすことと現体制で可能なことは同時進行で精力的に取り組んでいく必要があるのではないか。

確かに斎藤の言う労働者協同組合やバルセロナ等の自治体からの取り組みは貴重。

Q4 しかし、これらの動きによって現行資本主義が根底的に転換されうるのか?

歴史的に積み上げられてきたこれまでの協同組合活動によって、斎藤が問題とする資本主義systemそのものを変えることができなかったことも事実である。

Q 様々な運動(集団的な取り組み)を進めていくための条件は?

「合意」。しかし、気候危機への対応こそが最重要課題と考える人間は全体の何割なのか? そのうち脱成長communismという方針で合意できるのは何割か?「脱成長communism以外にない」という断定は、気候変動に本気で取り組みたいと考える人々を分断することにならないか?

Q欧米の若者を中心とするgeneration leftは脱成長communismを支持している?

例えば米国でサンダーズを支持する若者の多くは、「気候変動対策」と「社会民主主義的な改革」に共感した個人だといえるが、多くが「グリーンニューディール」を否定しているとは考えられない。その点、資本主義体制下での取り組みを米国の若者は否定していない。 

・​生産力主義をマルクス主義から切り離そう​という斎藤の試みは評価できる。これは、『国家と文明』(竹内芳郎著)で展開されている論と共通する視点だともいえる。

・斎藤は選挙によって実現する「改革」を「政治主義」と批判し、意思決定過程における直接民主主義的な運動の意義を強調。​『国家と文明』(マルクス主義の国家論を丁寧に検討し、公私の分裂‐精神労働と肉体労働の分業を乗り越える原理として直接民主主義を提唱)と比べれば感覚的ではあるが、共通する視点でもある。

・斎藤の挙げる例:気候市民会議

 これは、制度的には「大統領制および議会制度を補完するもの」(市民会議自体は決定権を持たない)というのが現状。しかし、直接民主主義的な抗議運動「黄色いベスト運動」(216頁)を機に導入された制度である。この事例を強調することは大切なこと。

〔しかしながら、「人々の欲望を不必要に喚起することは禁止される。」「深夜の営業・・・年中無休もやめればいい」303頁などの記述については誰がどのような手続きで禁止するのか、という疑問も生じる。禁止するかどうかも含めて、幅広く議論し合意形成するのでなければ、斎藤の言う「気候毛沢東主義」になるのではないか。〕 

(斎藤の主張)「資本による包摂が完成してしまったために、私たちは技術や自律性を奪われ、商品と貨幣の力に頼ることなしには、生きることすらできなくなっている。そして、その快適さに慣れきってしまうことで、別の世界を思い描くこともできない。」

⇒上記は「体制変革が極めて困難であること」を示唆するものだ。

『国家と文明』が理論化した「周辺革命の傾向的法則性」​‐成熟した社会よりもその影響を受けた周辺地域から社会変革が成立‐からすると、成熟した資本主義体制においては、構成員の生活・意識そのものがその爛熟した文化に飲み込まれてしまっているため、根本的な変革は極めて困難。大いなる「文化革命」が変革の条件となる。地球環境問題に関してもとことん学習し、消費行動を変えつつその解決に向けての意思を固める、という時間のかかる過程がおそらく不可欠。 

・「全く別のライフスタイルを生み出し、脱炭素社会を作り出す可能性を​技術は抑圧し、排除する​」という斎藤の主張は検証が必要。Life styleの刷新と技術革新を同時に追求することは必要だと思われる。原因‐結果の一方通行ではなく、相互関係がある。
1)資源不足の時代に終わらせるために Part 1 – 鉱物資源の不足がクリーンエネルギーを頓挫させない理由
2)資源不足の時代を終わらせるために Part 2 – ​想像を絶するクリーンエネルギーの豊かさを手に入れる
​​

上記論文の要約 著者:ナフィーズ・アーメド(Nafeez Ahmedの論文より)

『人新生の資本論』について(2)に続く

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Last updated  2022.01.23 13:40:16
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2021.10.23

まずある記事(サステナブル・ブランドジャパン発信)の引用から始めます。
 

〔以下、引用〕

温室効果ガスの排出削減が遅れるほど、産業革命前からの気温上昇を1.5度に抑えるパリ協定の目標達成が難しく、不可能になる――。そうした危機感を抱く環境 NGOや若者グループが、「あと4年、未守れるのは今」と称するキャンペーンを行っている。(・・・)

日本政府に対し、原発や現在実用化されていない技術に頼ることなく、脱炭素に向けてパリ協定の目標と整合性のとれる内容に見直すことを強く求めるもので、グレタ・トゥーンベリさんをはじめ、若者を中心に世界で急速に広まっている気候変動対策を求める運動と呼応し、日本でも幅広い層の参加を呼び掛けている。(廣末智子)


 ↑ 同団体のHPにリンク
 

2020年から毎年7.6%削減が必要
カギは2025年までの4年間

国連環境計画(UNEP)によると、パリ協定の目標を達成するには世界全体の排出量を2030年までに半減させる必要があり、そのためには2020年から毎年7.6%ずつ削減する必要がある。これに遅れるほど達成可能性は低くなり、対策が間に合わず今のままの排出が続いた場合、4年後の2025年から非現実的とも言える毎年15.5%もの削減が必至になるという
(・・・)
7.6​%減であれば、「野心的ではあるが不可能ではない(年15%台となれば不可能!)」として、ネットゼロに向けて足並みを揃える各国のエネルギー政策に、この「​2030年の野心的目標」を具体的な数値として落とし込むことの必要性を強調している。

 ​以上、引用

 気候危機の問題には私も強い関心を持ってきましたが、「可能性を残すかどうかは4年以内で決まる」という主張は極めて現実的なものであると判断しています。
 一人当たりで「発展途上国」の5倍~10倍以上の温室効果ガスを排出している日本などの先進国(例えば2019年、日本の一人当たりの排出量9.09トンに対してインド1.90トン、フィリピン1.39トン、ガーナ0.56トン)の責任は重大であり、現在の(経済産業省出身者の発言力が強い)岸田内閣ではとても必要な対応はできないでしょう。

 上記団体のHPに各党における気候変動対策の比較が公開されていました。


 ↑ 各党比較の解説動画






 多くの有権者がこの問題をしっかり踏まえて投票も含めて行動することを強く願うものです。

〔確かに「コロナ禍で追い詰められた多くの人々の生存権」は現時点での最重要課題ですが、この対策の違いに関しては、有権者に分かりにくいものになっています。
 ただ、憲法53条に基づいて野党が要求した国会開催に応じない(という憲法違反の)まま、十分な対応をしてこなかった与党の責任は重大であると考えます。「​予算繰り越しが、過去最大の30兆円超になっているにもかかわらず!」〕 

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Last updated  2021.12.30 21:27:14
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2021.04.25
​​​​​​​ 去る4月22日、菅首相は二酸化炭素の排出量を2013年の46%まで削減する、という目標を発表しました。これまでの目標に上積みする「宣言」ではありますが、これは評価できるのでしょうか。「野心的な目標」とか「無理ではないか」など、色々な声があるようですが、私自身は目標としても不十分だ、と考えています。事態の深刻さと、これまでの無為無策が十分踏まえられているとは考えられないのです。以下、ある学習会で問題提起した資料(一部)を紹介しながら、考えを述べます。

 一時期(今もNET上では)「地球温暖化懐疑論」が流行しました。丁寧にその関係の書籍を検討すれば、すぐ問題が見えてくるようなものが大部分(例:​『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆​)なのですが、「温暖化説は陰謀だ」といった言説は読むと面白く、かなりの影響力があるのではないかと危惧されました。
 今世紀に入って温暖化は停まった、ということを「温暖化懐疑論者」は強調していましたが、上記グラフの通り、2010年以降は上昇しています。
 以下、「温暖化」「気候変動」を背景とする問題についてPPの画像で振り返っておきましょう。

    
    
 
 確かにここ数年「特別警報」(数十年に一回のはずの)が連発されていますが、コロナ経済危機で二酸化炭素の排出量は減少し、濃度の上昇も停まっているのではないか、という見方もあるかもしれません。
 しかし、WMO(世界気象機関)が公表しているデータをグラフ化すると以下のとおり。2008年前後の世界金融危機(「リーマンショックに発する」)においても排出量は一時的に微減した程度、大気中の濃度に至っては増加し続けています。このグラフを見たとき、正直ぞっとしました。
   


 
 世界金融危機時も含めて濃度が上昇し続けている背景の一つは次の画像の下の部分で簡単に説明しておきました。

  

 このままでは「下り坂で制御不能になった暴走車」状態になるということで2019年あたりから世界中の多くの若者が「強い意思表示」を始めたのです。 ​

  

 そして、日本においても三大銀行が新規石炭火力発電所への投融資の停止を発表しました。そのような変化の背景については、次の画像で簡単にまとめています。「環境先進国」と比較してあまりに立ち遅れている日本の現状を踏まえ、これ以上足踏みをして欧州などの世界市場から相手にされなくなる事態を重く見たからでしょう。





 


 2020年の10月、菅首相が「2050年の二酸化炭素排出実質ゼロ(森林などの吸収量まで削減する)」ことを(やっと)表明したのも、「先進諸国」の取り組みから立ち遅れ、パリ協定参加国の中で孤立化することを恐れたからだといわれています。その流れの延長上に、2030年までに2013年比で46%削減する、という「上乗せ目標の宣言」があるわけです。



 新聞記事の右横に、これは「野心的な(無理な)目標」なのか、なぜ起点が2013年なのか、という疑問を提示しておきましたが、「温暖化防止京都会議」以降の無為無策を棚にあげて「野心的目標設定のポーズ」を取っている面が大きいのではないか、と私には思えます。
 というのは、京都会議で設定した「削減目標の起点」は1990年(日本では空前の好景気に沸いて二酸化炭素も大量排出していたいたバブルの時代)であるにもかかわらず、その後、日本政府は電力会社などの既得権益を優先し、大量の石炭火力発電所の増設を容認してきたからです。​
 
 下のグラフにつけた青い目印(ライン)は1990年時点を示しています。そこを起点として着実に削減を進めているドイツ、スウェーデンと比較すれば、日本がまともに対応していないことは明らかでしょう。

  グローバルノート - 国際統計・国別統計専門サイトより


 2013年比でという日本政府の削減目標の設定(再設定したわけですからしないよりいいのですが)には、京都議定書締結以降、長く続いた「無為無策」をごまかすものであると考えています。確かに、​2012年以降二酸化炭素排出量は減少傾向にありますが、これは長期にわたる「デフレ」の影響と、民主党菅直人政権時に成立した「再生可能エネルギー固定価格買い取り制度」の効果が大きいと考えています。​
 とはいえ、「日本以上に大量排出国として問題になるのは米国と中国だろう」という声もあることは事実です。ただ、下のグラフからも読み取れるように、日本の再生可能エネルギーの比率は中国やインドを下回っています。​(一人当たりの二酸化炭素排出量は中国よりはるかに多い。)​
 
 米国も現政権になって積極的な取組を打ち出している中、「責任を押しつけあう」のではなく「大量排出を続けて来た先進国」の一員として、本気で取り組みを進めていくことが必要だと考えるのです。


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Last updated  2021.05.30 08:39:13
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2021.01.03
 SDGs(「持続可能な開発目標」2015年国連サミット:キーワードは「環境・経済・社会」の調和)という言葉が広く共有されてきていますが、その困難な課題について11月23日のサンデーモーニングで述べられていました。番組内容を(一部補いながら)紹介します。

 まず、「環境」の問題。

 WMO=世界気象機関は23日、気候変動の主な要因である「温室効果ガスの排出量」が、去年、観測史上最も高くなり、今年も改善の気配は見られないとした。
 また貧困を巡る問題についても…



 国連のモハメッド副事務総長は、今回の新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、数百万人が再び貧困に陥ったと発表。
​ しかし、気候変動の問題と感染症の拡大は関係があるのでしょうか。

(以下、番組に補足)。​



 
 新型コロナも含めて動物由来の感染症が拡大していますが、その背景には気候変動に伴う動物の生息地(森林等)の縮小があるといわれています。個体間の距離が縮まることで、種内の感染が拡大し、家畜を通して人への感染が進んだというのです。
 じつは、この問題はすでに2006年、アル・ゴアが指摘していたことです。

​(以下、映画『不都合な真実』の場面)​






 
​(以上、番組への補足は終了)​
 


 番組は問いかけます。このままで、本当に「持続可能な社会」は実現可能なのか、
 


 斎藤幸平さん(大阪市立大学大学院准教授・経済思想) 「この根本原因は何かというと、やはり資本主義という経済システムにある。無限の経済成長を資本主義は目指すわけですが、それを、有限な地球で推し進めていこうとすると、やはりどこかで限界が来る」
 資本主義による利益の追求は、結局、人々の「格差」を拡大し、さらなる「環境破壊をもたらす。

 



 「経済成長というものだけを、際限なく目指すような社会から脱却して、資本主義そのものをスローダウンさせていく必要がある」

 「どういう選択をし、どういう形でこの世界を将来の世代に渡すのか。そのための知恵が今、私たちには求められています」という言葉が番組の締めくくりです。

 私自身は「​​​資本を暴走させない北欧の取り組み(格差の拡大や二酸化炭素の排出に一定の歯止めをかけているスウェーデン、フィンランド等)の取り組み」に多くを学ぶべきだと考えています。

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Last updated  2021.05.30 08:38:15
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2020.01.02

​​​  今年もよろしくお願いします。

 早速ですが、年末の「カナリヤの歌」という記事(2019年12月30日付朝日新聞)を紹介します。​テーマは気候変動(地球温暖化)。
 編集委員の二人が記事の末尾で述べている言葉「国際交渉の歩みはあまりに遅く、まだ時間があると思っていたが、世界が変わるより地球が変わる方が速かった。ただ、希望はまだある」「取材の翌週、小学生に温暖化の授業をした。2100年の地球がリアルな世代だ。『どうすればいいですか』と質問され、先送りはできないと強く思った」に共感を覚えました。


 まず1面(「吹き飛ばされた、いつもと違う、何かおかしい」)では、9月にカリブ海のバハマを襲った風速82mのハリケーン「ドリアン」による甚大な被害(下の写真)、日本を襲った台風15号・19号の被害に触れます。



 本ブログの関連記事1、​ 

 「今年(2019年)の日本の平均気温は過去最高を更新する見通しだ。日々の暮らしで感じる「おかしい」が地球のあちこちで共有されている。だれがいつ被害にあっても不思議じゃない。

 以上、1面のごく概略ですが、2面についてはより詳細な紹介をします。

 世界中が気候危機を実感している。ドミノ倒しのような悪循環に陥り、生存の基盤を失うかもしれない。岐路となる10年が始まる。(石井徹、戸田政考)

 わずかな温暖化でも、気温や海面の上昇などが連鎖的に起こるスイッチが入り、不可逆的な段階に移行するという説がある。英科学誌ネイチャーは11月、「転換点は近い」という論評を載せた。引き金になるのは「特に北極域の氷床だ」(・・・)​​

​ 12月に入ったというのにその滝は凍りついていなかった。8割以上が氷で覆われるグリーンランド。中心都市ヌークからボートで1時間ほど東にある高さ40メートルほどの滝は、通常なら10月中には完全に凍るという。(・・・)

 
 海に流れ落ちる滝は12月なのに凍っていなかった
 =グリーンランド・ヌーク近郊
                   石井徹撮影

 デンマーク気象機関によると、この1年に解けた氷床は平年を2割上回る約3300億トン。7月31日から3日で310億トンが解けた。世界の海面を0・1ミリ押し上げる規模だ。(・・・)

 北極圏は温暖化を先取りしている。世界の平均気温は産業革命前から約1度上昇したが、北極域では約3度に達する。白い氷や雪が解けて黒っぽい陸や海が顔を出すと、太陽光の反射率が減って熱がこもり、氷の融解が加速する。そんな増幅効果が働く。

 極域の氷と、足元の異常気象はつながっている。

 地球上の熱エネルギーの9割以上は海に蓄積される。この100年間で世界の平均海面水温の上昇は0・54度、日本近海は1・12度。台風19号は本州の近くまで広がった27度以上の海面水温の海域を進み、強大化したとされる。(・・・) 

 温暖化は私たちの家計をも脅かす。西日本豪雨などが相次いだ昨年度、気象災害による損害保険会社の保険金支払額は1兆5千億円を超えて過去最大に。今年度もこれに次ぐ1兆円規模になりそうだ。損保各社は今年10月、火災保険料を5~6%程度上げた。2021年1月にも再値上げの予定だ。

 スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥンベリさん(16)に触発された若者主催で、9月に世界で760万人が参加した「グローバル気候マーチ」。11月29日、国内では25都府県で約2千人が行進した。東京・新宿の都庁近く。「地球は暑くなり過ぎている」などと書いたプラカードを持ち、生まれて初めてデモ行進に加わった学習院大3年の栗林燦(あきら)さん(22)の姿があった。


 参考資料(グローバル気候マーチに関するネット公開画像)

 きっかけは台風19号だ。
 首都圏に迫っていた10月12日。東京都昭島市の自宅で目の前の多摩川がみるみる増水するのを見た。食料や身の回りのものをリュックに詰め、家族と車で家を出た。「異常気象は来るところまで来ている」。マーチには一人で参加した。「こんなに多くの人が気候危機に関心を持っている。大学生でもできることはあると感じた」という。

 グリーンランドのヌークの高校生、サッシャ・ビルドルフさん(19)は今年3月、グリーンランドで初めて若者による気候危機を訴えるデモ行進を企画した。約200人が、石油やプラスチックの使用削減などを求めて行進した。

 6月にはデンマークの国会議員選挙に立候補した。「自分や子供の将来が心配で、何もしないよりはいいと思った」。気候変動対策を訴えたが、当選はできなかった。「若者は自分の教育を犠牲にして世界を変えようとしている。私たちの声を聞いて、リーダーは行動を起こし始めないといけない」

​ 「科学から離れている暇はない」。12月にスペイン・マドリードで開かれた気候変動枠組み条約締約国会議(COP25)で、グレタさんは訴えた。世界各地から集まった若者たちも連日、温暖化の原因をつくった先進国やこれまでの世代に責任ある行動を求める「気候正義」の実現を迫った。日本から参加した約20人の若者は、世界の若者たちの行動力に目を見張った。日本大3年の太田紘生(ひろき)さん(22)は「どうしたら活動が広がるのか、まず自分自身が勉強したい」と話した。

​​​​ 若者たちは動き出した。次は私たち大人の番だ。
​​​​

 ■排出上限は目前
 地球温暖化が重要課題になったのは1980年代後半。国際社会はまず、大気中の温室効果ガス濃度を安全な水準で安定させるとした気候変動枠組み条約を発効させ、97年に採択した「京都議定書」で先進国に排出削減を法的に義務づけた。その後、すべての国が参加する「パリ協定」が15年に合意され、20年から本格的に動き出す。

 パリ協定は、産業革命前からの世界平均気温の上昇を2度未満、できれば1・5度に抑えることを目指し、今世紀後半に排出を実質ゼロにすると定めた。ただ、各国が今の削減目標を実現しても3度程度に達してしまう。

​ IPCCが示すカーボンバジェット(炭素予算)という考え方によると、1・5度に抑えるには産業革命以降の累積排出量を2・6兆トン(二酸化炭素換算)程度にとどめなければならない。だが、排出は増え続けており、30年前に1兆トン程度だったのが17年に2・2兆トンに達した。このペースだと、10年もたたずに上限を超える。​



 編集委員 石井徹 1960年生まれ。97年の温暖化防止京都会議(COP3)から環境・エネルギー問題を取材。国際交渉の歩みはあまりに遅く、まだ時間があると思っていたが、世界が変わるより地球が変わる方が速かった。ただ、希望はまだある。

 科学医療部 戸田政考 1985年生まれ。世界の環境問題を伝えたくて電機メーカーから記者に転職。取材の翌週、小学生に温暖化の授業をした。2100年の地球がリアルな世代だ。「どうすればいいですか」と質問され、先送りはできないと強く思った。

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Last updated  2020.01.03 19:15:49
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2019.10.20

​ 「数十年に一回の危機」であったはずの特別警報が2018年の西日本豪雨では同時に11府県、2019年台風19号では13府県で発令され、甚大な被害をもたらしています。「気候変動」、「地球温暖化」は将来の問題ではなく、まさに現在直面している「気候危機」と考えるべきでしょう。




 台風のさなかに放映された​番組(10月13日サンデーモーニング「風を読む」)​で、重要な指摘が簡潔にまとめられていましたので概要を紹介します。

 1、各地に甚大な被害をもたらした台風19号。「(暴風域の直径600㎞以上という)大型で強い」勢力のまま、本州に上陸した背景には、日本近海の「海水温の上昇」があった。
 台風は熱帯付近で発達し、通常、水温が低い日本付近で勢力を弱める。ところが、台風19号の進路となった日本近海の海水温は27度と、1981年からの平均値と比べて2度も高くなっていた。



2、原因は、紛れもなく「地球温暖化」だと、国立環境研究所の江守さんは語る
 「海面水温は、温暖化が止まらなければ上がり続けますから、今回のように発達して勢力を弱めずに上陸してくる。より強く発達した台風が日本を襲うという確率、台風以外の大雨に関しても、発生する確率がさらに高くなっていきます。」

3、こうした待ったなしの温暖化対策を話し合うため、先月開かれた国連の「気候変動サミット」。スピーチに立ったスウェーデン人の16歳、グレタ・トゥンベリさんは訴える。
 「(生物種が)大量絶滅の危機に瀕しているのに、あなたたちは、お金や経済成長というおとぎ話だけ語る。何ということだ。」同じ会議の場ではグテーレス国連事務総長は、「77か国が2050年までに温室効果ガスの排出を実質ゼロにすると約束した」と確認。

4、だが、日本は、アメリカや中国など主要な温室効果ガス排出国と共に、その輪には加わらなかった。〔出席した小泉環境相に対して記者「(増設中の石炭火力を)日本はどうする?」小泉環境相「減らす」 記者「どうやって?」小泉環境相「…」。いまだ国際社会が一致団結して、具体的な温暖化対策に取り組んでいるとは言えない状況が露呈した。〕



5、その一方で、年々極端になっていく気象。しかし現代の私たちは、日常の生活を送る中で、温暖化の原因とされる二酸化炭素を中心とした温室効果ガスを大量に排出。
 そこで、こうした現状に警鐘を鳴らす行動が、今、注目されている。
 それは「flygskam(フリュグスカム)=飛び恥

 列車の乗客(スウェーデン人)「飛行機が温暖化にもたらす影響がこれほど大きいとは知らなかった・・・」実は、温室効果ガス排出量の8%を占めると指摘されるのが観光業。そのため二酸化炭素を多く排出する航空機に乗ることは「恥」だとして、ヨーロッパを中心に、利用を避けようという動きが広がっている。

6、航空機に限らず、日夜目にするトラックから、洋上の巨大タンカーまで、世界中に網の目のように広がった商品や食料配達の流通網。そして日常生活に欠かせない、レジ袋やペットボトルなどのプラスチック廃棄物。回収後、7割近くは燃やされて、同じく大量の二酸化炭素を排出している。



  江守正多副センター長(国立環境研究所・地球環境研究センター)
「温暖化対策を抜本的にやるということは色々な社会のシステムを大きく変える必要があります。このまま便利な生活を諦めないとか、まだこれで儲かるのでやりたいというのをやめて、温室効果ガス排出ゼロの社会を目指す。先ずは考え方を変えて頂く必要がある」

 今、地球温暖化は、遠い将来の問題ではなく、現実の脅威として、私たちの暮らしを脅かしつつある。
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Last updated  2019.10.20 14:51:13
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2019.09.30

​​​ 国連 気候変動スピーチで注目のグレタ・トゥーンベリさん彼女が去年(2018)の八月、一人で始めたストライキが、子ども・若者を中心に全世界に広がり、この度は全世界で400万人以上が参加したとのことです。
 
 9月23日、グレタさんの国連でのスピーチは全世界の人々にかなり強烈な印象を与えたと思われますが、多くの共感と同時に反発の声・揶揄する声も多く聞かれました。しかし、気候変動の問題について研究を積み上げてきた科学者はこの度の演説や若者の動きをどのように見ているのでしょうか。

 気候変動に関する研究者・科学者である江守正多が9月28日に見解をまとめていましたので内容を紹介します。本人の文章(全文)も、ぜひご一読ください。 

「国連 気候変動スピーチで注目のグレタ・トゥーンベリさんについて知ってほしい5つのこと」
​                                  江守正多  | 国立環境研究所 地球環境研究センター 副センター長 9/28() 11:10​​​

​ (​ 気候変動 抗議する若者たちの懸念は正当である:世界の科学者が支持声明を発表​ もぜひ)​​ ​



​ 気候変動。大人たちが子どもの将来に危機をもたらしていること。世界のCO2排出量をあと10​年で半分にすべきこと。牛肉の生産が大きな環境負荷をもたらすこと。日本の石炭火力発電の新設が世界から批判されていること​

これまで一部の関心がある人たちの話題でしかなかったこれらのことが、今週、一気に日本全国の「お茶の間」に届いたことに、筆者は興奮を隠せない。

923日(・・・)国連の気候行動サミットは、小泉環境大臣効果により、日本のメディアから例外的な注目を浴びた。そして、日本のお茶の間に映し出されたのは、16歳のスウェーデン人少女の怒りのスピーチだった。

ほとんどの日本人にとって目の前に唐突に現れたこの少女、グレタ・トゥーンベリさんに対して、共感と反感の両面から、多くの反響が寄せられている。

今回初めてグレタさんを知った多くの人たちに対して、昨年からグレタさんに注目していた筆者が知ってほしいと思うことを5点述べたい。

1.本人の意思で行動を始めた

 グレタさんを見て、親や左翼の活動家に操られていると思う人がいるようだが、それは違う。

〈根拠〉

1)     彼女が去年の8月に、学校を休んで議会前での座り込みを一人で始めたとき、両親は心配して止めた。飛行機に乗らず、肉を食べないことを決めたのも彼女自身。両親は結果的にそれに付き合うことになり、オペラ歌手である母親は、海外での公演活動を休止・・。

2)     彼女の「ストライキ」が世界に広まり始めるとき、影響力のある環境メディアの起業家イングマール・レンツホグが彼女に手を貸した。しかし、レンツホグがグレタさんの名前を使って資金集めをしていることを知ると、彼女はレンツホグと縁を切った。

3)     これだけ有名になったグレタさんが、多くの大人から支援やアドバイスを受けていることは想像に難くない。しかし、大人の影響を受けることのリスクに対して彼女が敏感であろうことも、この例から、想像に難くない。

2.感じ方、表現の仕方が、「ふつう」と少し違う

グレタさんは、「アスペルガー症候群などの診断を受けていることを自ら公表している。ものの感じ方や表現の仕方が、「ふつう」の人と少し違うのだ。 (…)

筆者は次のように解釈している。

我々のように「ふつう」の脳の持ち主(・・・)は、地球の危機の話を聞いて、そのときはとても心配になったとしても、日常生活を送るうちに気をまぎらすことができる。(・・・)

しかし、グレタさんは違う。彼女には地球の危機を心配し続けることができる「才能」がある11歳のときに彼女は地球環境について心配するあまり、2か月もの間、ほとんど会話も食事もできなかったそうだ。

社会の中に、このような特別な脳を持った人が少数いて、ふつうの脳を持つ大多数の人たちに対して危機に際して警告を発することは、人類種の進化の過程で遺伝的な多様性として埋め込まれた、種の存続のためのメカニズムではないかと筆者には思える (・・・)

3.特定政策ではなく、科学者の声を聞くことを訴えている

 グレタさんが具体的にどういう対策を求めているかわからないという人がいるようだが、そんなのは当たり前だ。彼女はまだ16歳なのだから、問題解決の処方箋を彼女に求めるのは無理筋である。

その代わりに彼女が主張しているのは、科学者の声を聞くことだ。とりわけ、昨年10月に発表された、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の1.5℃の温暖化についての特別報告書」は彼女の持っていた危機感と共鳴した。

加えて、彼女がニューヨークのスピーチで強調したのは、気温上昇がある臨界点を超えると、フィードバックの連鎖反応が起きて、人間がどんなに対策をしても、気温上昇が止まらなくなる可能性についてだ。

ただし、この点について、今回の彼女のスピーチは誤解を招くと筆者には思われたので、補足しておきたい。筆者の理解する限り、「1.5℃」を超えると必ずその連鎖反応が起きるとはいえない。(・・・)起きるとしても、何でそれが始まるかはわかっていない。

しかし、「最悪の場合」それが1.5℃付近で始まってもおかしくはないし、彼女が「最悪の場合」を心配するのであれば、それはよく理解できる。

それに、彼女がスピーチで指摘したように、あと10年で世界のCO2排出量を半減できたとしても、気温上昇を「1.5℃」で抑えられる可能性は五分五分なのだ。「五分五分の賭け」に彼女が安心できないことは、極めてよく理解できる。​

このようにみて、グレタさんの主張する危機感は、大筋において最新の科学を踏まえたもの​だといえるだろう。​

日本の科学者コミュニティーとしても、919日に、日本学術会議の会長談話として、同様な趣旨の緊急メッセージを発信している。

なお、「そもそも気候変動は本当に人間活動のせいなの?」という方もまだいらっしゃると思うので、これこれこれをご一読頂きたい。

4.個人の変化だけでなく社会システムの変化を求めている

 グレタさんが飛行機に乗らず、肉を食べないことから、他人にもそれを要求していると思う人がいたら、それは違う。

彼女は、個人の変化だけでなく、社会システムの変化が大事だと主張している。(・・・)

もちろん、気候の危機を認識するならば、グレタさんほど徹底しなくても、飛行機には必要最小限しか乗らない、肉はほどほどに食べる、くらいの意識の変化は個々人にあってしかるべきだろう。

筆者の解釈になるが、たとえば、飛行機がすべてバイオジェット燃料水素燃料で飛ぶようになれば(そしてそれらの燃料をCO2を出さずに作るならば)、人々は気兼ねなく必要な飛行機旅行をすることができる。あるいはテレプレゼンス技術によって、実際に移動せずとも海外に「居る」のと同じ感覚を味わえるようになるかもしれない。肉にしても、代替肉はすでにできているし、みんなが食べるようになれば、安く、おいしく改良されていくだろう。

(・・・)筆者の考えでは、彼女が求める社会システムの変化のための行動には、こうしたイノベーションを含めた社会や常識の大転換や、それを促進するための制度整備や投資を(・・・)進めることが含まれると思う。

5.大人に怒っているが、大人を憎んではいない(たぶん、まだ)

 ニューヨークでのグレタさんのスピーチが怒りに満ちていたことに、面食らった方も多いだろう。実は、筆者もその一人だ。

今回初めてグレタさんを知った人は、ぜひ、以前のスピーチも見てみてほしい。たとえば​このスピーチ​。
これまでの彼女のスピーチは、冷静で、淡々としており、そのトーンから繰り出される辛辣な表現が胸に刺さる、というのが筆者の印象だったしかし、今回のスピーチは違った。用意した原稿にも、話し方にも、怒りがむき出しだった

今回のスピーチが違った理由は筆者にはわからない。しかし、スピーチをよく聞くと、気になる表現があった。

「もしあなたたちが状況を理解していながら行動を起こしていないのであれば、それはあなたたちが邪悪な人間ということになる。私はそれを信じたくはない」という意味のくだりだ。

グレタさんはこれまで、人々が行動を起こさないのは、危機が訪れていることを理解していないからだろう、と言っていた。だから、若者の学校ストライキで意識を喚起し、人々が目を覚ます、つまり、危機を本当に危機として理解することを求めていたのだ。そして、人々が目を覚ませば行動(つまり、本当に気候変動を止めるための対策)が起きると考えていた。

しかし、今回、彼女の中に、この考え方に対する疑念が生じたのではないか。サミットに集まっている首脳たちは、「理解しているのに行動していない人たち」、つまり、若者の未来を奪いながら、そのことをはっきりと自覚して平気でいる「邪悪な」人たちではないか、という疑念だ。​

この疑念が確信に変わるとき、グレタさんの大人への怒りは、大人への憎しみに変わるのかもしれない。

彼女は現時点ではまだ「そう信じたくはない」と言っている。筆者には、彼女が疑念と確信の間を揺れているようにみえた。これが、今回のグレタさんの怒りと関係しているように筆者には思えてならない。 

以上が、グレタさんについて筆者が知っていることや、考えてきたことだ。

グレタさんや、彼女と共に立ち上がった世界中の若者たちは、大人が上から目線で褒めたり貶したりしていい対象であるようには、筆者には思えない。​​

筆者は、今後も彼らを尊敬し、見守り、機会があれば支援し、操らず、邪魔をせず、そして彼らと共に考え、共に行動したい。

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Last updated  2019.10.08 21:46:12
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