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〇〇が欲しいという思いは、不足している、満足していないという意識のことです。 ほとんどの人の「願望の達成」のプロセスは、現状の不足感から、現状は満足していないからその不足感を満たすための願望になります。 つまり、満足していない意識で望むから、満足していない状態を引き寄せているのです。 第三者の目で、つまり、渺の目で、自分の思考を観察していると、エゴ=ニセの自分は、鏡の法則を巧妙に操っていることがわかります。 願いを叶えるために、願いが叶わないように、エゴ=ニセの自分の思考が誘導しているのです。 足るを知るものは富む!の反対の状態にエゴ=ニセの自分に巧妙に誘導されているのです。 このことに早く気づき、そのためにミクロの命数の1~18を実践するのです。 ~~~~~ どんなに良いことでも、悪いことでも、それは自分が無意識のうちに出している意識の波動と同調したものが現象として現れているのです。 現実とは100%あなたの意識が引き寄せたものでありますから、運が良いとか悪いとかの状況は、自分が作っていることになります。 何度もくどいようですが、自分の周りの状況というものは、どんなことでも自分の心の奥底の思いが、原因となって物事を引き寄せ、目の前に展開しているのです。 ~~~~~ 仏教では、にせの自分を仮我(けが)といい、本当の自分を真我と呼んでいます。 低次の自分は、過去の記憶に囚われているので、いつも不安、恐れなど、低い精神レベルになり、その低いエネルギーがネガティブな現実を引き寄せているのです。 常に四苦八苦する「今生の身心」を、空海は、「五蘊の仮我」と呼びました。 般若心経の中に、照見五蘊皆空という言葉があります。 五蘊(われわれの心と身体)は、すべてが空であると観音様が説いているのです。 そして、空であるとは、身体も無ければ、心(受想行識)も無い、眼も、耳も、鼻も、舌も、身も、意(こころ)も無い、色(物)も、声も、香も、味も、触(触れられるもの)も、法(考え)も無い、われわれも、われわれを取り巻く環境も、ぜんぶ何も無いのだ。 と、般若心経では、まるで、五感を超えた限りなく微細な世界のことを言っているのです。 この感覚と同じように、空の中に入ると、思考(考え)も無くなるのです。 素粒子の世界になると、私達の体も、宇宙空間のようなスケスケの状態になり、空の世界なのです。 仏教の「空」の概念は、量子力学の概念でもありますから、湯川秀樹博士をはじめとして、量子力学のノーベル物理学賞が多いのも、関係があるのかも知れません。 ですから、ミクロの命数の微細なレベルを熟知して、次元を超えた向こうの世界に至るのです。 渺の目で、にせの自分=仮我(けが)を観察して、にせの自分=仮我(けが)が常に起こしている四苦八苦する「今生の身心」に気づくのです。 何世紀にもわたって秘教的な文献は、数多くの形で「高次の自己」の経験を説明してきました。 「高次の自己」は、私たちの「真の自己(セルフ)」である。 それは私たちの「神聖なる本性」である。それは「内なる神」である。それは「不死」である。 輝きつつも隠れたる「本来の自己」は心の深層に宿る。 それは愛の源泉であり、思考ではなく、愛を通して知ることができる。 そのために渺の目=愛の目で観察するのです。 ~~~~~ われわれが自分と呼びならわしている自己がよくも悪くも多くの問題を生み出し、いつも、思考に振り回され混乱しているのがわれわれ人間なのだ。 そういう自己を仏教は「仮我」と呼び、それに対して「真我」もあるが、それを知る人は極めて少ないのだ。 ありていに言えば、われわれは自我に過ぎない自分(仮我)を私と見なし、時に談合し、時に争っているだけなのだ。 一方、われわれはこの得難き主(真我)を知ってはじめて本当の主となり、自己の確立ということもあるが、そうできなければ、人はそうと気づくこともなく、物心両面で他者や組織に隷属し、不安と孤独、葛藤と虚しさは死ぬまで無くならないであろう。 ~~~~~ 道元は、今生の身心は、四大・五蘊、因縁和合して仮になせり、八苦常にあり。 と、今生の身心のことを、つまり、現状の自分のことを、空海と同じように説明しております。 空海も道元も、今生の身心は、常に四苦八苦する「五蘊の仮我」であり、そのことに、早く気づきなさい! と、教えているのです。 自分の習慣的なものの見方に気づかない限り、ほんとうの意味で自分を変えることはできません。 あなたは自己を、自分が何者かを意識し、観察することで、そこで変化が起こるのです。 これまでのあなたは思考であり感情であり自動的な反応なのです。 だが、いまのあなたは気づきであり、「いまに在る」意識として内面状態を観察しているのです。 自分が普段から何を考え、心の中でどんなことを信じて受け入れているかが、目の前の現象に現れています。 その起きた現象をどのように感じ、どのように受け取るかが、また新たな奥底の思いをつくります。 苦しみから卒業して「もっと違う幸せの生き方」に進むのは、あなたの選択次第なのです。 ミクロの命数は、七識のマナ識のエゴに気づき今の瞬間から、六徳、虚空、清浄と、さらに八識⇒九識へと次元を超越した無限の光明の世界へ『本来の自己』の宿る自由な世界へ導いてくれるのです。 〇ミクロの命数の1~18の実践です。 分(ぶ)⇒厘(りん)⇒毛(もう) 糸(し)⇒忽(こつ)⇒微(び) 繊(せん)⇒沙(しゃ)⇒塵(じん)⇒ 埃(あい)⇒渺(びょう)⇒漠(ばく)⇒ 模糊(もこ)⇒逡巡(しゅんじゅん)⇒須臾(しゅゆ)⇒ 瞬息(しゅんそく)⇒弾指(だんし)⇒刹那(せつな) 3つの漢字をひとまとめにして、ノートに書いていくと、一つ一つの漢字に、またはその漢字の発音と同じ言葉から色々な感情や思考が湧いてきます。 分の漢字なら、分離、分断、分身、分別、分刻みの時間に追われた記憶など・・・。 例えば、分別には、分別がある!となれば良識のあるという、良い意味で使われ・・・。 分別の声となれば、耳元でささやくエゴの声となり、この場合は、悪い意味になります。 つまり、どの言葉にもポジティブとネガティブな意味があり、ネガがポジで中和されるのです。 思考や感情を中和するために意図的に造られているように思われます。 思考や感情の中和とは・・・。 中庸、ニュートラルの状態、陰と陽の境目、無限小と無限大の境目、「ゼロ・ポイント・フィールド」など、色々言われております。 ミクロの命数の漢字は、どんなネガティブな記憶でも、ポジティブな事もあるので、一瞬にニュートラルの状態になるのです。 ところで、遺伝子プログラムを打ち破る「コンティンジェント・システム」という言葉があります。 私達は、日常生活のほとんどすべてが遺伝子に支配されています。けれども、人間の精神的領域には、遺伝子に対抗してコントロールできるハイレベルの意識の場があります。 遺伝子のプログラムをコントロールできる次元を超越したエネルギーの高い場になります。 自我を捨て、意識が無意識(純粋意識)の層とふれあい「純粋の意識」に到達すると、つまり、レベルの高い宇宙意識に同調すると、本能に根ざした「超越能力」が浮き出てくるのです。 これは、気功や禅、瞑想、ヨガ、武道など、東洋の修行法のすべてに共通している心のあり方で、さらに、心の深まった状態を、「トランス状態」、「意識の変容状態」、「フロー状態」などと言われているのです。 この続きは次回に書きます。 ありがとうございました。 -------- 『奇跡を呼び込むS氏の能力開発』メルマガより抜粋して掲載しております。 ありがとうございました。
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Last updated
2019.07.06 10:31:56
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