|
カテゴリ:テレビ番組
今回のにっぽん歴史鑑定のお題は孝明天皇。(9/14放送分)
幕末最後の天皇として歴史に残る人物となってますが、尊皇攘夷を掲げた孝明天皇は黒船来航~死去までどのような生涯を送ったのかを分析する内容。 ・皇族の子弟が通う学習院大学を創設したのは孝明天皇。 ・異国船の来航に対して孝明天皇は幕府に意見した。孝明天皇以前の天皇は幕府のやり方に意見できなかったが、その理由は幕府から援助を受けていたから。幕府の援助でどんな生活をしていたのかを説明 ・日米修好通商条約の勅許を得るため、老中・堀田正睦は上洛して孝明天皇に勅許を求めたが、孝明天皇は猛反対し、もう一度幕府うちで意見をまとめてこいと意見した。 ・堀田正睦に代わって幕府を仕切ることになったのは井伊直弼。井伊は孝明天皇が言った条件を無視して条約を調印。そのため孝明天皇が激怒してる ・幕府の求心力が落ちてきている・・・ってことで「公武合体」政策で延命しようとする幕府。公武合体の象徴として妹の和宮を将軍家茂の元へ嫁がせる計画が浮上。しかし、和宮は有栖川宮熾仁親王と既に婚約している上、江戸に行きたくない・・ってことで生まれたばかりの娘を和宮の代わりに家茂のところへ嫁がせようと考えてたが、侍従の岩倉具視に相談した所、和宮の降嫁を認める代わりに攘夷を実行するようにすればと提案を受け、泣く泣く和宮の降嫁を決めた・・って所は知ってる話 ・和宮の降嫁のあと、天皇は幕府の人事に口出しするようになる。攘夷に反対する人間を締め出すためだった ・将軍家茂が上洛。家光以来230年ぶりだった。天皇が将軍を呼び出す形での上洛で、天皇の権威が復活したのか? ・尊攘派公卿が長州藩と結びつき、大和の行幸を計画。天皇は三条実美をはじめとする尊攘派公卿を追放(8月18日の政変)。天皇は攘夷を望んでいたが、急激な攘夷は望んでなかった。 ・尊攘派公卿を追放した孝明天皇だが、それ故に悲劇が・・・世の中は攘夷を望んでた人間が多数。態度を軟化させたことで周囲からは不信感を抱くように。 幕末に活躍した志士同様激動の時代を生きた孝明天皇。幕末になると朝廷が発言権を強めた背景を知ることができた回でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Sep 21, 2020 12:01:24 AM
コメント(0) | コメントを書く
[テレビ番組] カテゴリの最新記事
|
|