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11/23日の「にっぽん歴史鑑定」のお題は浄土真宗の宗祖・親鸞。
親鸞は中級貴族・日野氏の出身で9歳の時、慈円の元で得度。その時の法名は「範宴」(はんねん)。 伝説によれば、慈円が得度を翌日に延期しようとしたところ、わずか9歳の範宴が、「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」(明日と言ってもいつどうなるか)と詠んだと言われている。 ・比叡山延暦寺で20年間修行するも、延暦寺の貴族的な階級が存在すること、寺同士で争うなどといった背景に、末法の世と言われていたこの時期では人々を救うことができない・・ということで下山。六角堂に籠もり、100日間瞑想にふけることに。95日後に夢に聖徳太子が現れ、「どのような人であれ念仏ひとつで救われる」というお告げを受けて法然上人の元へ。彼の弟子となった親鸞は同じく法然上人のもとで修行していた恵信尼に出会う。仏教の戒律の中に「みだらな行いをしてはいけない」ってのがあって親鸞は恵信尼との結婚を躊躇ったが、法然上人に「結婚して修行が捗るというのなら結婚してもいいのでは」と背中を押されて恵信尼と結婚することに。今じゃお坊さんって結婚してるてことは当たり前だが、親鸞が妻帯しているってことを公にした初めての僧侶だった。 ・法然上人の弟子になった数年後・・・念仏が朝廷の命で停止されることに。原因が上皇の熊野詣の留守中に法然門下の若手僧侶が上皇付きの女官を出家させた・・という事件を起こしたことから・・って話は中学時代に仏教の授業で習ったなぁ。 ・念仏宗の僧侶が事件を起こしたということで法然は讃岐に、親鸞は越後に流罪に。流罪先でも布教を行っていた親鸞だったが法然上人の訃報を聞いて京には戻らず、常陸などの東国で布教を開始。浄土教の教えを説くうちに独自の教えを説くようになった親鸞。ある日、山伏の弁円が親鸞を殺そうとして、彼の庵を訪れたものの親鸞を見て殺すのを諦めて改宗した・・・って話も漫画で読んだなぁ ・ 親鸞の教えの一つに「悪人正機説」というものがあるが、すべての衆生は、末法濁世を生きる煩悩具足の凡夫たる「悪人」である。よって自分は「悪人」であると目覚させられた者こそ、阿弥陀仏の救済の対象であることを知りえるというもの。 ・東国を中心に親鸞の教団は大きくなり、親鸞は支部の人々に文通を通じて教えを説いていたが、東国の教団の混乱を抑えるため派遣された息子が間違った教えを説いたために苦渋の選択で息子を勘当してしまったって話は初めて聞く。 「にっぽん歴史鑑定」では同じ鎌倉仏教の日蓮を取り上げたが、鎌倉仏教は色んな法難に遭いながらも今に定着していった事がわかる回でしたね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
Nov 29, 2020 11:58:54 PM
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