洋蘭を見慣れてしまうと、ランの花は美しくて
目立つものとの認識が当たり前のようになって
しまっているのかもしれませんが、実際には、
踏み潰してしまいそうなほど目立たない、
小さな体のランも数多くあるのですね。
数え上げれば枚挙に暇がないほどなのですが、
私の活動域で実際に見ることのできた種類は
それほど多くはありませんでした。
単に気づかないだけかもしれませんし、もう
存在しないのかもしれません。
一度出会うことができたとしても、体が小さい
ために次回探し出すことができずに時間だけ
を費やすこともしばしばです。
コクラン(黒蘭)という種類もまさにそのように、
一度見失ってから徒労を繰り返していました。
ところが、昨年ようやく探し出すことができ
ました。
以前見つけていた場所は下草に覆われて
行方不明になってしまいまして、再び出会うの
は不可能かと諦めていましたが、別の場所で
あっさりと再会することになりました。
昨年の冬の間から楽しみに開花期の夏場まで
待ち続けました。
実際に咲いてみないと開花の時期は分からない
ものですから、何度も足しげく通い続け、ようやく
コクランの花との再会が果たされました。
なに、これ?
そのような感想が聞こえてきそうです。
唇弁(しんべん)があり、蕊柱(ずいちゅう)も見えます
から、こちらは間違いなくランの花です。
ついでですから、こちらもご覧いただきましょう。
3メガピクセルで撮影した写真から、等倍のまま
花の部分だけを切り抜いてみました。
地の黄緑色の上に、濃い茶色が乗った地味な花。
しかも、じつに小さな花です。
香りもなく、人を惹きつける魅力には乏しいラン
ですね。
ただ、私はこのような地味な花が大好きです。
暗い場所を好むこのコクランは、周囲のシダ植物
などが茂り始めると、小さいゆえに埋もれてその
場所の特定が難しくなってしまいます。
そのような条件下で探すことは大変な作業ですが、
出会えたときの嬉しさはひとしおですね。
園芸界では、とにかくきれいで大きな花を咲かせる
ものを最高品としてあがめ、そうしたものばかり
見せられた消費者も同様の価値観で植物を品定め
してしまっています。
ゆえに、そこら辺に生えている植物全てを『雑草』
と呼ばわり、価値のないものと決めつけているよう
に感じています。
帰化植物の多くは大量のタネを散布し、迷惑千万
に日本で振舞っていますから、これをまさに雑草と
するには問題ないでしょう。
ところが、帰化植物は管理不足の森にいつの間
にか入り込み、小さな植物の住処を奪いつつあり
ます。
帰化植物の中には元園芸植物も含まれており、
家庭から逃げ出して森を汚染しています。
玉石混交となった森は見た目に汚く、人は全てを
刈り取って「きれい」にしたがりますので、競争力
の弱い日本産の小さな植物は、荒波に飲まれて
消えていく運命のようです。
ランの仲間のクモキリソウや、イチヤクソウ科の
ウメガサソウなど、数年来見ることのない植物も
随分と多くなってきました。
私はとても寂しく思うのですが、園芸植物を飾り
立てて満足している方々には、どうでもいい話
かもしれませんね。
ただ理解していただきたいのは、その園芸植物
のふるさとは、そのようにして壊され続けている
山や森ということなのです。
ブログランキングへの投票はこちらから とどのつまり、手料理を捨て、加工食品だけで
満足している食卓が、現在の自然界と重なって
見えてしまいます。
元がどうであったかを忘れてしまうような状況を
続けていると、中国産の加工食品で揺れている
ような事態を回避できなくなってしまうのでしょう。
あまりも長く人任せにしていると、泥舟に乗せられて
いることにも気づけなくなってしまいますよ。
(中国人を非難している訳ではありませんので
念のため。最近のギョーザの問題の根源は、日本人
が楽をし過ぎているのがいけないのでしょうね。)