ゆるくて・ぬるーい自転車旅行「下りだけの道志道を走る」 旅行家 甲斐鐵太郎
ゆるくて・ぬるーい自転車旅行「下りだけの道志道を走る」 旅行家 甲斐鐵太郎 (アンダーラインのリンク文字をクリックすると写真が表示されます) 山中湖を周回するサイクリング・ロード脇には駐車場がある。 向こうに富士山の姿があるが露出の関係で写っていない。 (本文) 凍てつく冬に一番エキサイトな場所はどこか。諏訪湖は全面凍結して御神渡りが出現した。山中湖は湖面の半分ほどが凍って馬鹿なやつが自動車を乗り入れていた。富士山を仰ぎ見て温泉につかって序(つい)でに自転車で湖畔を走る。そして富士山麓の素朴な山里の道を駆け下る自転車旅行をする。 新宿に近い人なら自転車をぶらぶら漕いで富士急バスの発着所に行く。私の場合は途中の中央道のある乗り場が出発地。それで山中湖の平野に行く。新宿を8:55に発ったバスは幾つかの高速バス乗り場で乗客を拾う。そして山中湖・平野には11:19に着く。 遊びをする自転車はどんなものでもよい。折り畳みのものが安く売られている。車輪を外す方式のものでもよい。私は泥除けがない車輪の大きなものを使う。クイックレリースシャフトを緩めて前後輪を外す。シーツほどの大きさの風呂敷状の布地にくるんでバスの横原の荷室に押し込む。中央道を走り山中湖を半周するバスの旅客となって景色を楽しむ。 山中湖の岸辺は氷結していた。そそり立つ富士山の裾には雲が漂う。雲が動きやがて三角の頂上のだけになった。スカッと晴れて全部が見えるのがよい。その時々だからまあーいいか。富士山を正面にして高低差のない13.5kmの山中湖のサイクリング・ロードを周る。ここをぐるぐる周って気が済んだらバスに乗って帰るのもいい。バスは何本もあるる。平野近くに山中湖村が運営する石割の湯がある。自転車をバスに積み込む前の手間が鬱陶(うっとう)しい。これが山中湖での一つの自転車遊び。 晴れた空、青い水ということで身体が元気で新しい刺激が欲しいときには山中湖から忍野村に向かってもよいが、サイコロの目が道志村とでた。 1.5kmの山中湖外周を走るサイクリング・ロードを一周りしたあとで山中湖村の向こうにある道志村に行くために進路を北にとる。標高差100mの緩やかな直線路を進むと山中湖の外周山の山伏峠(やまぶしとうげ)になる。山伏峠の標高は1100mだ。ここから標高125mの津久井湖まで下る。自転車だから駆け下る。 山中湖は富士山麓の湖であるから標高が高い。水面の標高980.5mである。終着点の相模原市緑区にある津久井湖の湖面の標高は125mである。相模湖の湖面の標高は167m。これらはすべて相模川水系であり水は忍野、都留、大月をへて850mほどの落差を旅する。標高差を利用しての自転車旅行である。 山中湖サイクリング・ロードで遊び、平野地区から山伏峠を越えて道志村を抜けて相模原市青山にでるサイクリングだ。標高差900mそして延長40km。足の強い人なら1時間の行程である。八ヶ岳界隈のサイクリングでは標高差があっても尾根のはりだしによって登り返しをする。道志道(どうしみち)の下りは違う。道志道は下り道では労せずに制限速度の時速40kmで走ることができる。相模原市青野原地区になって国道413号線の道志道は50kmの制限速度になる。青野原で平地になって視界が開ける。 道志道は遠い昔、未舗装であった。ホンダの250㏄オフロードバイクを使って東京都町田方面から走るには好適の道筋だ。山中湖に抜けて富士山麓の北富士演習場のを越えて山林の道に踏み込んで富士吉田の5合目登山口にでる。どこを走っても砂塵が舞い上がった。 遥かなる道志道である。軽のワンボックスにテントを積んでキャンプにでかる。遠い知らないに行くことでわくわくした。掘っ立て小屋の温泉の窓から道志川を眺めていると鮎の友釣りをする人がいた。掛けては下ることを繰り返している。夏雲が湧く川辺の暢気(のんき)な光景である。そのごにこの場所で鮎釣りをしたところ小さな河原であった。相模原本流の鮎は大きく育つ。しかしヘドロ臭がする。道志川の鮎は美味い。人造湖である津久井湖に貯められた水は膿んでヘドロと化す。少し上の同じ人造湖の相模湖と対をなすからなおさらである。津久井湖によって鮎の遡上を絶たれた保障として稚魚が提供される。道志川の鮎は天然遡上の鮎ではない。 知り合いにヤマメ釣りの名人がいる。伊藤実稔という往年のヤマメ名人と親交のある。道志川の沢という沢を知っていてヤマメを大量に釣り上げる。大型冷凍庫に溜め込んだヤマメを食べたが美味くなかった。道志川の渓魚解禁日の3月1日にヤマメ釣りにでかけた。この地域だけと雪が降っていて沿道の桜が白い花を咲かせていた。良い風情だと感心して釣りはせずに温泉に寄った。 相模原市緑区の青根地区で鮎をよく釣った。中学生の知人の子にここで鮎釣りをさせた。釣りを知った中学生は大島の水産高校に進んだ。そして東京都江戸川区にある釣具店に勤務したた。江東区亀戸の家で親と暮らし結婚して子どもがいる。東大受験に失敗をかさめて心を病んだある人は河原でふと思った。人生は釣りをしていればいいのだと。この人は知れた釣り師になった。 青根地区のこのま沢キャンプ場の食堂で食事をする。東京からきた女子大学生が手て結んだ大きなおにぎりに感動して涙を流した。おにぎりに感動したのか自然豊かなところにきて人のぬくもりに触れたことによるものか。 道志村はクレソンの産地である。山梨県はクレソン栽培で日本一であり、その山梨県のクレソンの生産量の76%を道志村のが占める。道志村の冬は寒い。クレソン栽培に適する時期がくるまでは富士山南麓の御殿場方面の畑を使う。富士山の湧き水は冬場でも水温が変わらない。この水を使う。 クレソンは明治時代に日本にはいってきたオランダガラシ(和蘭芥子)である。私にはセリ(芹)にみえる。芹のようにごま和え、天婦羅にするからだ。香味野菜としてサラダまたは茹でて若い茎と葉が肉料理の付け合せにされる。道志村の「道の駅どうし」で販売されている。 自転車の軽いサーという走行音とともに道志村と道志道の古い記憶がよみがえる。遠い夏の日、まばゆいばかりの道志川で鮎釣りをする風景。雪の花を咲かせた桜並木。その昔、道志村で鮎釣りをするには相模湖駅からのバスに乗って半日の行程であった。釣って一泊し、半日釣って帰る。遠い遥かななる道志道の鮎釣りであった。相模湖駅は与瀬駅と呼ばれていた。高尾駅は浅川駅であった。相模ダムができてからは与瀬のアユ釣り場は底に沈んだ。相模川の鮎に解禁ともなると与瀬駅に前日に降り立って川を渡った宿に雑魚寝をして備えるのだった。これは戦前のことであるから聞いた話である。湖に沈んだ宿は保証金で丘の上に宿を再建した。中央道が相模湖まで開通したころには遊覧船乗り場に行列ができた。客が減ったら乗客の取り合いをして殺人事件がおきた。 与瀬から名称田名までの相模川の船下りが行われていた。明治の物理学者である田中館愛橘の弟子たちが師を田名の川魚料亭でもてなした。弟子たちの多くは帝国大学の物理学教授になっていた。弟子たちが退官しても師を田名や房州の姉ヶ崎に誘った。田中館愛橘は貴族院議員をつとめ昭和天皇に物理学を進講していた。天皇裕仁はあの話はどうしたといって田中館にローマ字論を誘った。田中館愛橘は人に好かれる人だった。 山伏峠に登った。スキーのジャンプ台に乗ったのと同じだ。そこから900mの標高差を40kmの道のりで駆け下る。速度はすぐに制限の40kmになる。道脇にときどき民家が現れる。それよりもキャンプ場と貸別荘が多い。行程はすべて舗装路である。なぜにこんなに家が少ないのだろう。生計はどのようにしている。頭は混乱して思考不能になる。 道志村の人口は減り続けて崩壊点に向かっている。1970年2,627人、1975年2,424人、1980年2,231人、1985年2,141人、1990年2,150人、1995年2,153人、2000年2,087人、2005年2,051人、2010年1,919人、2015年1,743人、以上は国勢調査による。2018.年2月1 現在は世帯数626、人口総数1,736人、男性878人、女性858人である。 このような事情があるから道志村は横浜市に合併を申し入れた。横浜市に道志川を水源とする貯水池から飲料水を供給することが古くからなされている。また横浜市は1916年(大正5年)に道志村の山梨県有林約 2,800haを取得して水源涵養林の保全に着手、以降現在まで横浜市と道志村は協働して水源林を保全している。 道志村は2003年(平成15年)6月12日、道志村村民 653名(全住民の3割超)の賛同をもって住民発議され、横浜市に合併を申し入れた。横浜市は合併を断った。距離のある越境飛地であり村議会や山梨県などの賛同も得にくい状況であったことを理由にした。2004年(平成16年)6月22日に「横浜市と道志村の友好・交流に関する協定書」および「横浜市民ふるさと村に関する覚書」を締結している。道志村の村営の温泉「道志の湯」入浴料は横浜市民と道志村民が同一である。 弱小市町村がどれほど財政に困窮しても地元の利権を代表する人々、議員報酬を受けている者は現状維持を選ぶ。市町村の首長は財政運営が難しいと判断して統合に動く。特権者の抵抗は激しい。相模原市と合併した人口1万人の相模湖町は昔は相模川の東京側の岸辺が東京都であった。これを口実に八王子市に合併を申し入れた。八王子市はこれを断った。地面がつながっていて川で隔てられている地域のエゴイズムは強い。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地をとおせば通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい。 住んで食べて着てという衣食住のうち、着て食べては中国、韓国、タイ、ベトナムなどに依拠する。肉となれば米国、オーストラリアのものになる。住は日本にいれば日本で求める。神奈川県川崎市の知り合いは定年退職後の老後の住居を山梨県山中湖村に移した。山中湖村ではなしにアジアの平和な土地に移る人がいる。八ヶ岳の山麓の別荘通いをしていた知人は面倒な癌におかされた。治療は東京でするから別荘への足が遠のく。 歳いってお金の苦労から解き放されたと思ったら病気にとりつかれる。山林のなかの別荘暮らしを楽しみにしていてもそれができない。気持ちよく目覚める。二日酔いの重い頭でやっと起きる。水を飲んで紅茶をいれてその次ぎにコーヒーを飲む。コーヒーとお茶の場合もある。日本の老後は年金暮らしである。年金によって生活をする。蓄えがあればいいがそれがない人は多い。下り坂の道が平(たいら)になるとペダルを漕ぐ。小さな坂道を一つ二つ立ち漕ぎする。このようなことを繰り返していると頭が勝手に回転して忘れたことが浮かぶ。 地方公共団体は老齢者が病気になったり一人で動けないことになると出費が増える。それだから週末ハイキングだ、フラダンスだ、太極拳だ、ヨガだと身体を動かすための手伝いをする。気持ちが晴れている人はこれにでかけて全部をやって週の半分が埋まる。よい暇つぶしになるから退屈しない。このようにして一週間が過ぎ、一月が過ぎる。おやっ思っているうちに一年が過ぎて十年が過ぎる。身体を動かさないことでも料理教室だ、文芸だ、俳句だ、川柳だ、書だ、絵画だ、旅行クラブだというのがある。意識が朦朧としてしまった人がいる。なんとか症という病気の名がつく。これらの人のために木工作業やクラフト教室があって、世話するのはを老齢者たちだ。このような日本の社会をである。これが日本だ、としみじむ思う。 街中といっても少し民家が集まっている広場が道の駅どうしだ。ここから先に進むと村営の道志の湯になる。そして道志村役場がある。一つ二つの立ち漕ぎをしているうちに「紅椿の湯」がでてきた。走り始めてまだ30kmほどだ。村役場の手前の谷相、戸渡あたりでは道志川が目の高さほどになる。遠くにあるか低い位置にあるかした道志川が手の届くのが嬉しい。 さらに進む。尾根が川にはりだすところは高巻するようになっているから登る。一つか二つ苦になる登りがあって、これを過ぎると何時でも人が集まる水くみ場が現れる。右手には中央道からも大きな山として見えている標高1,587mの大室山がづっと着いてくる。丹沢山塊大室山は別名大群山。この山の東南の尾根が丹沢山である。丹沢山は標高1,567.1 mであるから丹沢山塊では大室山が一番高い。大室山は登山のための取っつきから500mを急登する。取っつきまでがまた行きにくい。だから登山をする山としては大室山は秘境の山といえる。 村役場のある竹之本を過ぎると大室八幡神社がある。その先は道志小学校、諏訪神社、左手に北海屋商店、椿地区の椿キャンプ場、雄滝・雌滝からの支流、そして二里塚にでる。右手の橋を下ると紅椿の湯がある。ここは通過する。先に進んで七滝の支流を渡る。大室指を過ぎる。笹久根があって出来立ての笹久根トンネルと抜ける。笹久根トンネルの上には大室神社がある。久保の橋を渡る。道志久保分校が左手にある。野原には藤よしというレストランだ。山側には熊野神社。道の右手には道志川が流れ村落への小道がつづく。 野原地区のレストラン藤よしの先に進むとやがて道がくねって登りが始まる。右手の川方面に天神社があるが見えない。左手山側には大室神社があるがこれも見えない。木立が迫る暗い道を登る。ここが一番きつい登りだる。ふっと坂がなくなると大渡の水くみ場があって空が開く。進むと月夜野となり右手に月夜野キャンプ場。道志道は道志川を高巻しているからキャンプ場はずっと下。起伏と湾曲を織り交ぜた道を進んで左に大きくカーブすると両国屋がある。地元の人が飯を食う場所だ。ここからわずかに下って道志川に掛かる大きな橋を渡る。橋の先は相模原市緑区青根。橋が山梨県と神奈川県を分ける。手前に湯川屋という食堂。店の近くにに公衆便所がある。ここまでが日本の秘境の道志村を走る道だ。この先は気が抜けるが、力をここから込めなければならない。 道志道は神奈川県を跨(また)ぐ。神奈川県にはいると急登になる。古い橋は低いところに架けられている。いまの橋は川のづっと上に架けられる。古い橋を恨めしく思いながら登る。登ると音久和キャンプ場、このまさわキャンプ場とつづく。此の間沢には立派な橋が架かった。右手に旧道、左手に新道。旧道は青根地区住民の生活道路である。普通に走っていると旧道は目に入らない。青根地区にはこの地域の人々が組合をつくって運営する「青根いやしの湯」がある。 「青根いやしの湯」から先に進む。道志道は支流に掛かった橋を渡るために下っては登る。いやしの湯の向こうは嫌な登りになる。力尽きて自転車を押す。八坂神社、御嶽神社が右手に。見晴らしの良い所に神社がつくられている。先に進むと左手に夫婦園キャンプ場の看板。道志鼻曲鮎の看板がある。鮎はここまで登ると大きくなった。今は狭い地域での放流魚なので大して大きく育たないが味はよい。大型重機をつかっての道路工事が進んでいる。 青根からの先の道志川は右手から左手にかわっている。青野原西野々の信号の先は空が広がって長閑(のどか)な平地。畑地と住居がある。コンビニエンス・ストアが幾つかある。時速50kmの道路になっていて存分にペダルを踏み込むことができる。天井の梁が見事なを渡ると関戸。その先は林が迫る道になる。ずっと進んでいくと宮が瀬湖からの道が合流して登りになる。クリーンセンターと呼ぶようになったゴミ焼却場まで登りがつづく。平らになって相模原市緑区青山の交差点にでる。 この先は好きに走って相模湖駅、高尾駅、橋本駅などに行く。 思いっきり走って1時間、ゆっくりゆっくり走って3時間。下りだけといってよい道である。ゆるーい自転車旅行であり、湯につかる湯っくり旅である。頑張らなくても自転車旅行はできる。 【国道413号線 道志道を自転車で走るコースの概要】 山中湖の平野地区から山伏峠を越えて道志村を相模原市青山に貫通する自転車旅行の経路を絵図で示した。図の赤い路線がそれである。図の1、2、3、4と経路をたどる。逆コースで走ると登りの道になる。山中湖から北に向かうように分割地図にしてあるから下の図から経路を辿(たど)る。わずか40kmほどの下り道の経路だ。道志川とその支流を越えるときには少し下って登る。一漕ぎ二漕ぎですんでしまう坂が多い。 怠け者、横着者のための下り道だけのゆるーい自転車旅行の経路である。ゆるさを幸いにぬるーい気持ちで温泉に立ち寄るとよい。40kmほどの旅程は時速30km平均で走ることができる。下り坂が多いから時速40kmで走と1時間の走行で旅行は終わる。とにかくゆるーいのである。【図4】県境は下って登る。登ると「いやしの湯」がある。相模原市緑区 の青山を終点に想定した。逆の経路の上り坂好きの人には起点だ。 【図3】道志村は川に沿って家が点在している。地図の部分はほぼ下りだ。 道志の湯があり紅椿の湯がある。どちらもよい湯だ。好きに選ぶ。 【図2】山中湖平野を起点にして石割の湯を通過していくと山伏峠にでる。 夏場には出発地にジェラート屋があるから食べてから走るとよい。 【図1】地図の赤い道はは山中湖を周回するサイクリング・ロードの概念図。 石割の湯を通過して緩やかな道を山伏峠に向けて100m登る。