854264 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

日本版レコンキスタ宣言   旅立った孫と子孫への私の人生卒業論文

日本版レコンキスタ宣言 旅立った孫と子孫への私の人生卒業論文

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2024.04.04
XML
カテゴリ:歴史について
野川由美子さん鮎川いずみさんという必殺シリーズを思い出したら、江戸時代仇討ちいわゆる復讐が合法だったことを思い出した。

----------------------------------------------------------------

江戸時代、なぜ「仇討ち」はお上公認だったのか?
山本博文

江戸時代、なぜ「仇討ち」はお上公認だったのか?|武士はなぜ腹を切るのか|山本博文 - 幻冬舎plus (gentosha.jp)

「日本人はもともととてもすばらしい民族だった」「日本人は、もっと日本人であることに自信をもってよい」……そう語るのは、歴史学者の山本博文東京大学教授。江戸時代にくわしい教授は、著書『武士はなぜ腹を切るのか』で、義理固さ、我慢強さ、勤勉さといった、日本人ならではの美徳をとり上げながら、当時の武士や庶民の姿を活き活きと描いています。昔の人はカッコよかったんだな、と素直に思えるこの本。一部を抜粋してご紹介します。

実は「仇討ち」の成功率は低かった
 江戸時代は、仇討ち、つまり復讐が認められていました。武士たる者、親や兄弟を殺されたら、自分の力で復讐するのが当然だと考えられていたのでしょう。そのため、届け出さえすれば、必ず認められました。

 仇討ちが社会的に黙認されていたのは、むしろ武士たちの「汚名を雪がずにはおれない」という自尊心のためでした。

「親を殺されて平気な顔をしているヤツは武士ではない」ということでしょう。武士は、面子をつぶされたり、汚名を着せられたりすることを極端に嫌がります。

 たとえば江戸時代、親や兄を殺されるなどして「敵」をもった場合、まずはそれを討つために、幕府に届け出ます。そのうえで一度、脱藩し、浪人の身となって敵を追いかけます。

 浪人なので当然禄はありませんが、どこかに雇われるというわけにもいきません。たまに日傭取りや用心棒などで糊口をしのぐことは可能だったかもしれませんが、基本的には仇討ちを狙っているあいだの生活は、親類などに頼るほかありませんでした。親類も、仇討ちが成し遂げられないと一門に悪い評判が立ってしまうため、何としても成功させようとがんばったのでしょう。

 このように苦しい生活を強いられる仇討ちですが、成功率は江戸時代を通してたった数パーセントだったのではないかといわれています。

というのも、交通機関も通信機関も、現代と違って発達していませんでしたから、敵がどこに潜んでいるか、簡単にはわからないわけです。

場合によっては、敵の顔さえ、わからない場合もあります。そのうえ、敵を討つまでは藩に帰ることはなりません。しかし、なかなか会えないからといって途中で諦めたりしたら、それこそ武士の名折れといわれてしまいます。

 そんな思いをしてやっとのことで敵を見つけ出したとしても、返り討ちに遭ってしまうこともあります。それでも、めぐり合えるだけましかもしれません。相手がどこにいるかもわからないまま一生を終えることも珍しくはなかったのです。本音をいうなら、武士たちだって「義理」のためとはいえ、仇討ちはしんどいなぁと思っていたことでしょう。

『忠臣蔵』に見る武士の「義」
 さて、みなさんご存じの有名な仇討ちといえば、やはり『忠臣蔵』でしょうか。

 実は『忠臣蔵』というのは歌舞伎や文楽のタイトルであって、歴史上、そういう名前の事件は起こっていません。本当に起こったのは赤穂事件、つまり赤穂藩主・浅野内匠頭の起こした江戸城松之廊下での刃傷沙汰に始まり、その責任を問われた切腹処分に起因する赤穂浪士たちの討ち入りまでの、一連の出来事です。

この赤穂事件を物語にしたのが『仮名手本忠臣蔵』で、“忠臣”つまり、忠実な臣下たちの手本という意味と、蔵=(大石)内蔵助をはじめとする忠実な部下たちという意味になっています。

 この赤穂事件、詳細に調べていくと、実にさまざまなことがわかってきます。とくに一級史料である浪士たちの手紙などはたいへん興味深く、そこには彼らの本音が吐露されています。

 たとえば浪士のひとりである神崎与五郎は、妻おかつに宛てた手紙のなかで「私もあなたが恋しいけれど、これは人たるものの務めなのだ」と書いています。一方、茅野和助も、討ち入り直前に兄弟に宛てた手紙のなかで「この場を逃れることは、私だけでなく一家の面目にかかわり、ことに武士として生きている以上、甥の武次郎や倅の猪之吉などにもよくないし、とにかく武士の道を外れることになります」といっているのです。

 彼らのいう「人たるものの務め」「武士の道」とは、何か。それは言い換えると、「義」にほかなりません。つまり、討ち入りは、彼らにとっては武士として、どうしても行わなければならない「義」だったのです。

当時の武士は「かぶき者」だった

そもそも浅野家の家臣たちは、内匠頭は吉良上野介との“喧嘩”のすえに刃傷におよんだのだ、と考えていました。武家社会では「喧嘩両成敗」という天下の大法があり、両者が行ったのが本当に“喧嘩”であれば、当然、内匠頭だけでなく上野介も切腹になったはずなのです。

 ところが、上野介はただ逃げただけで、“喧嘩”ではないということで、内匠頭にだけ一方的に、即日切腹の沙汰が下ったのでした。浅野の家臣、つまり赤穂藩士たちから見たら、幕府の処分は片落ちだった。簡単にいうと、えこひいきに思えたのです。ですから平等に上野介の切腹を願ったのですが、幕府は聞いてくれない。そのうえ、赤穂城は明け渡しになり、自分たちは浪人する。だから赤穂の浪士たちは、自分たちの手で上野介を討とうと決心したわけです。

 売られた喧嘩は買わなきゃならない、というのは、現代の常識から見れば、どう考えてもまともな人間のすることではなく、「やくざ」の論理です。けれど、武士はそういう社会に生きてきた。誰かが斬りかかってきたら応戦する。自分に降りかかった汚名は血をもって雪ぐ。家や藩主が受けた汚名は、仇討ちで晴らす。

とくに赤穂事件が起こったのは、江戸時代でもまだまだ、武断政治の殺伐とした気風が残っていた頃。この頃の武士のメンタリティは、「かぶき者」的心性であると、私は思っています。

「かぶき者」とは、十七世紀に多かった無頼者たちのことで、武士や武士に奉公する者に特有の、やくざでイナセな気風をもつ者のことです。

 彼らはどんな苦しいことでも我慢して強がりをいい、自分を頼る者や仲間のためには命を棄てても後悔しない、という倫理に基づいて行動していました。

 赤穂事件の浪士たちは、この心性によって主君の汚名を晴らし、仇を討ち取り、後世に「義士」として名を残しました。

 それは彼らの行った仇討ちが、「義理を果たす」「汚名を雪ぐ」といった武士の倫理に適ったものであり、人々が忘れかけていた武士の生き様を象徴するものだったからなのです。

山本博文
1957年岡山県津山市生まれ。東京大学史料編纂所教授。日本近世史を専門とし、武家社会や武士道精神など、江戸時代に関する研究で知られる。NHK総合テレビ「タイムスクープハンター」シリーズでの時代考証をはじめ、多くのメディアで活躍。92年『江戸お留守居役の日記』(読売新聞社、のち講談社学術文庫で再刊)で第40回日本エッセイスト・クラブ賞受賞。

-------------------------私の意見---------------------

明治になり近代国家として歩んできた日本ではあるが、義理と人情はどこに行ったのかと私は思う。キックバックもそうだ、自分の保身としか思えない。江戸時代なら切腹ものだ。

また報道も安倍派とテロによって死した安倍元首相につばを吐きかけているようなものだ。清和会と報道すべきだろう。清和会の面々はもうこれ以上安倍さんの功績に傷をつけるな、切腹、辞職せよと私は思う。少しは赤穂浪士を見習えだ。

裁判所が被害者の心情を酌んでいるのかなと私は思う。今は仇討ちはできないのだから。。。。

必殺シリーズと言えば和久井映見ちゃん!!

若い頃: 雨のち晴れ~Mr.Childrenな日常~




土光敏夫の名言とされる「古い言葉だが率先垂範こそ、人が人に向かう基本原理だと信ずる」額付き書道色紙/受注後直筆|rittermind

あいち交通死をなくすボランティアにじいろ会|さえりん♥ストラップ (aichinijiirokai.wixsite.com)





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024.04.04 19:24:19
コメント(4) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ

利用規約に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、こちらをご確認ください。


Re:江戸時代仇討ちは合法だった(04/04)   さえママ1107 さん
tckyn3707さんこんばんは!
いつもありがとうございます!!

裁判所は被害者遺族の想いなんて少しも汲んではくれませんよ!!
ただ「判例に習う」ことしか出来ません!!
一度でも前例を作らない限り何も変わらず加害者有利のこの社会の中で、
被害者と遺族はいつも泣かされてばかりです!!
強いもの金を持ったものが勝つ社会です。
それを嫌と言うほど経験してしまったので、たとえ成功率は少ないかも
知れないけど「江戸時代の仇討ち」が羨ましく思えます!!
(2024.04.04 18:54:24)

Re[1]:江戸時代仇討ちは合法だった(04/04)   tckyn3707 さん
さえママ1107さんへ

こんばんは、コメントありがとうございます。

https://plaza.rakuten.co.jp/saeri19980705/diary/202306050000/

さえママさんの去年6月4日の日記もこの記事のベースになりました。

罪を憎んで人を憎まずという諺ありますが、私自身はそう思わないのです。人への憎しみは消えないと思います。江戸時代なら加害者を殺めても罪にはなりません。

死刑制度に反対する人たちがいます。死刑は野蛮だと、たしかに死刑を廃止した国はありますが、極悪犯はその場で射殺されるのです。日本は生け捕りが基本です。加害者の更生だと思うのですが、殺められた命は戻ってきません。

因みに私は死刑廃止に反対です。 (2024.04.04 20:07:13)

Re:江戸時代仇討ちは合法だった(04/04)   ハートブルー03 さん
こんにちは。

仇討ちも時代の流れで

変わってきたのですね😅

和久井映見ちゃん、かわいい😊


では、おじゃましました😎 (2024.04.05 15:59:35)

Re[1]:江戸時代仇討ちは合法だった(04/04)   tckyn3707 さん
ハートブルー03さんへ

こんばんは、

和久井映見ちゃん!!可愛いんだなこれが!!
(2024.04.05 17:56:41)

PR

プロフィール

tckyn3707

tckyn3707

カレンダー

お気に入りブログ

マイクを切ったのは… New! 佐原さん

学歴詐称疑惑、朝日… New! maki5417さん

水無月 麗しき菖蒲の New! lavien10さん

『ZfcとZ30、どっち… New! alex99さん

✨6月の胆振管内のイ… New! machiraku_hokkaidoさん

2024 おうち映画 - … New! はんらさん

パステル画から油彩… New! カーク船長4761さん

「光る君へ」と枕草子 New! 七詩さん

「お終活~再春!人… New! ひよこ7444さん

1年で一番憂鬱な日… New! さえママ1107さん

コメント新着

カテゴリ


© Rakuten Group, Inc.