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カテゴリ:税理士の仕事
今年の8月は,ひとつ肩の荷がおりた月となりました。
今をさかのぼること約10年前の,1996年(平成8年)の年初に、中学からの飲み友達から,インターネットの会社を作るからその経理や総務の仕事を手伝ってくれないか?という話がありました。 そこで、確定申告明けに話を聞きに行くと,いきなり社長様と管理部長様との面談となってしまいました。 その社長様は,日本で最初の商用プロバイダーの(株)インターネットイニシアティブという会社を経営されていて,今度、アジア向けに別の会社を作るからその会社を手伝ってくれないか,というお誘いでした。 当時はまだ、インターネットはそれほど発達しておらず、所沢支部でも、ピープルによりパソコン通信が始まった時期です。 昔から家族ぐるみの付き合いの彼からの頼みと、社長様にまでお会いしてしまって,いまさら断われず、インターネットの世界に足を踏み込んでしまいました。 担当した会社は(株)アジア・インターネット・ホールディング(以下AIHとします。)というその前の11月に設立されたばかりの会社でした。さらに頼まれて,6月からは,監査役になり,そのまま今日まで,総務・経理のチェックをしてきました。 当時、AIHはまだ生まれたばかりで,従業員も少なく、たとえるならば,山の源流の流れのようでした。ところが、それから,数年で,ジェットコースターのような技術進歩が始まり,いわゆるドックイヤーの日々が、後半はさらにラットイヤーの日々が約10年続きました。 ドックイヤーとは1年で7年分の進歩が、ラットイヤーとは1年で10年分の進歩があることを意味します。 一週間会社に行かないと話がついていけなくなることには,驚きどころか,恐怖を感じました。 しかし技術の連中は,一般の人の2倍から3倍のスピードで,一般の人の2倍から倍の時間働いて,技術の進歩についていっていました。 当時の彼らは,自分にきびしく他人にも厳しい人たちでした。これについていけない人は残念ながら会社を去っていきました。 その結果、従業員は,プロ集団化していったのです。彼らは,会社に寝泊りするような生活でも常に笑顔でいたのには,驚きを超えてあきれたのを思い出します。 税理士としての仕事も非常に大変でした。インターネットに関する取引なんて,始まったばかりで,基準なんて全くなかったからです。所轄へ相談に行くと,「先生が作っておしえてくださいよ!!」と言われる始末でした。 このようにして、手塩にかけて,関与してきたAIHが今年の秋、インターネットイニシアティブに吸収合併されることが,報道され,一抹の寂しさを感じる今日この頃です。 AIHに関与して,一番感じたことは,成長企業の連中は,とにかく明るく,頼まれれば決して断わらない,気持ちのいい連中だということです。そして、仕事に誇りを持ち、最速のスピードで,サービスを提供しています。 AIHとの関係は切れるてしまいますが,彼らから学んだことをこれからも大切にしていこうと思っています。 そう言えば,「ヨン様」も裏では,かなりハードなトレーニングを積みながら表では,笑顔を絶やさない人ですね。 最近の日本男児にはこの笑顔を作る余裕がなくなってきているのでしょうか。 清水善規でした!! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.09.02 10:12:57
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