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源流の一滴の水が、やがて大海に到るように、「 時の流れ 」に気がついたのは、いつのことだったろう?
子供のころ、夏休みは突然に、終わった。 ある日突然に、終わった。 あれは、いつのころだろう、「 時の流れ 」を学んだのは。 一年は、365日であることを。 一日は、24時間であることを。 一時間は、60分であることを。 一分は、60秒であることを。 一秒は、カチという間であることを。 そして、カチという時間は、二度と戻らないことを。 時の流れを知りたくて、乗っている艇を岸に着けた。 小高い丘に登り、西の山に沈む夕日を見ていた。 東の地平線から上る月を見ていた。 今、私は、どこにいるのか? これから、私は、どこに行きたいのか? そこへ、私は、どうやっていきたいのか? 櫂を、私は、櫂を持っているのか? 時間は、永遠か? そうでないことは、月の動きが教えてくれている。 小高い丘で、西の山に沈む月を見ている。 東の地平線から上る朝日を見ている。 朝日に向かって、静かに笑った、 ・ 振り出しに戻るのも悪くないなと!! そして、私は山を降りた。 艇に乗って、この文章を書く。 最近、誰に頼まれるでもなく、文を認めている。 川縁を登校する子供らを見て、愕然とした。 今、この国は、どこにいるのか? これから、この国は、どこに行きたいのか? そこへ、この国は、どうやっていきたいのか? 櫂を、この国は子供らに櫂を授けているのか? 流離的吟遊詩人 善規 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.02.10 08:21:31
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