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想い出は心の宝石箱に。。。

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2017.07.03
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     奇しくも同じ題名の映画を、続けて見る事となった。

  ツタヤ宅配DVDで洋画<ペーパー・ムーン>、そしてCATV で邦画

  <紙の月>。

 

  前者はモノクロムービーの形式をとっているが、1973年制作のアメリカ映画。 

 

           ペーパー・ムーン スペシャル・コレクターズ・エディション [DVD]

 

  聖書を売りつける詐欺師の男モーゼと、母親を交通事故で亡くした9歳の少女アデイ

  との、互いの絆を深めていく物語を描いた、ロード・ムービーオニール親子の共演で、

  娘のテータム・オニールが演じるアデイが、大人を騙す仕草がこにくらしい

  のだが憎めず、なんとも愛らしい。

  

 

  それもそのはず1973年第46回アカデミー賞で、彼女は史上最年少で助演女優賞

  受賞したのだから。名子役は大成しないとの言葉通り、彼女のその後の活躍に

  見るべきものはない。しかし調べてみると、テニス界の悪ガキとして一世を風靡した

 マッケンローと、結婚して三児をもうけた女性と知って、びっくりぽん。    

 

 

 

          

 

  https://youtu.be/WohIwBhxH6g 

 

 

 

  後者は、<八日目の蝉>の作者角田光代の作品を、吉田大八がメガフォンを

  とった、話題作。ヒロインを熱演した宮沢りえ は、第38回日本アカデミー賞で

  最優秀主演女優賞を受賞。
  

 

 

        

 

 

  平凡な主婦であり、真面目な銀行員であった梨花が、若い男との出会いによって、

  業務上横領の悪に染まっていく物語。

  小説を読んでないだけに、映画そのものの展開には、いくつか疑問が残るところ

  があった。

 

  自分の横領がばれ問い詰められると、銀行の3階の窓に椅子をぶつけて怖し、そこから

  飛び降りて逃走。そして、宮沢りえの疾走する姿が、延々と映される。

  ( おいおい、3階から飛び降りて、無傷で走れるのかよ???? )

 

  しかも、ラストでは東南アジアで生きている、梨花の姿が・・

  ( おいおい、日本の警察はそんな簡単に、犯罪者の海外逃亡を見逃すのかい?? )

 

  原作では、銀行の内部調査の為梨花は、10日間の自宅待機。その間に、逃亡を決意した

  彼女が夫と、タイに旅行に行くとの設定だそうで、それなら現地に梨花がいても

  おかしくはないが・・・

    
    

      画像1

 


  かような不祥事は、現実の世界でもよくある話。

  女子銀行員による、業務上横領事件としては、下記を思い出す。

       1973年  滋賀銀行  奥村彰子

    1975年  足利銀行  大竹章子

    1981年  三和銀行  伊藤素子       

 

 

  しかし、どの事案の陰にも男の存在があり、男の強要・恫喝で次々と横領に手を

  染めていった、女の悲しい性がそこにみられた。しかし、紙の月で相手の

  大学生は、金を無心したわけではない。

 

  男に金を貢ぐというより、閉塞的な生活から金によって得た非日常的な体験に

  喜びを感じる、自己陶酔型の女性をそこに感じた。それだけに、彼女には罪悪感

  などなかったのでは???

 

  吉田監督のこの映画を通してのメッセージも、ここにあるような気がする。

  梨花がカトリック系中学生時代、< 愛の子供プログラム >という全校的な

  募金活動があった。

 

  急速にしぼむ活動に反発し、梨花は父親の財布から5万円を盗み、献金をする。

  < 受けるより与える方が幸いである >との教義通りに。

  梨花にとって、金策の方法より結果が大事であり、そこに無償の喜びを感じたから。

 

   映画のラストシーン。

  梨花の援助を受けていた子供が成長し、逃亡先のタイ市場で偶然彼と出逢う。

  ( こんなことも、現実ではありえな~~い!!)

 

  そして、彼から林檎を施される。 

  やはり、与えるより受ける方が不幸せである、との逆説的なエンデイングで。

 

 

 

  それにしても、なぜ題名が< ペーパー・ムーン、紙の月 >

  なのだろうか?

 

  洋画ペーパー・ムーンでは、カーニバルでアデイが一人で撮ったこの写真を、

  別れ際にモーゼに残して去る、シーンがある。

 

     

 

 

  この撮影用セット、ペーパームーンは1900年代初頭のアメリカで、

  家族や恋人の記念写真の背景として、当時人気があった。当時は、個人がカメラを

  所有する時代ではなかったので。

 

  富裕でなかった庶民が、家族や個人のささやかな想い出として残した一葉。その

  記憶がアメリカ人の郷愁として残り、<ペーパームーン >という言葉が

  楽しい想い出のシンボルとなったのだ。

 

 

       

 

 


  「ペーパームーン」には、「信じていれば、願い事が本当のことになる。」という

  意味があると。

  「イッツ・オンリー・ア・ペーパームーン」(It’s Only A Paper Moon:1933年)

  の歌詞は、「あなたが私を信じてくれるなら、ただの紙のお月様だなんて思えない。」。

  愛があれば何でも、本当のことのように思えるというもの。

 

   

  角田がこの作品のタイトルを、< 紙の月 >とした意図は?

  お金を媒体とした愛は、やがて崩れゆく砂上の楼閣。愛と信じているうちだけが

  それはお月さまであって、その実態はただの紙のお月さまなのだ、と言いたかったのか?

 

  それとも、業務上の横領という悪事はいつしかばれて、< 神のつき >にも

  見放されるということなのか???

 

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Last updated  2017.07.03 12:00:11
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