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奇しくも同じ題名の映画を、続けて見る事となった。 ツタヤ宅配DVDで洋画<ペーパー・ムーン>、そしてCATV で邦画 <紙の月>。
前者はモノクロムービーの形式をとっているが、1973年制作のアメリカ映画。
聖書を売りつける詐欺師の男モーゼと、母親を交通事故で亡くした9歳の少女アデイ との、互いの絆を深めていく物語を描いた、ロード・ムービー。オニール親子の共演で、 娘のテータム・オニールが演じるアデイが、大人を騙す仕草がこにくらしい のだが憎めず、なんとも愛らしい。
それもそのはず1973年第46回アカデミー賞で、彼女は史上最年少で助演女優賞を 受賞したのだから。名子役は大成しないとの言葉通り、彼女のその後の活躍に 見るべきものはない。しかし調べてみると、テニス界の悪ガキとして一世を風靡した マッケンローと、結婚して三児をもうけた女性と知って、びっくりぽん。
後者は、<八日目の蝉>の作者角田光代の作品を、吉田大八がメガフォンを とった、話題作。ヒロインを熱演した宮沢りえ は、第38回日本アカデミー賞で 最優秀主演女優賞を受賞。
平凡な主婦であり、真面目な銀行員であった梨花が、若い男との出会いによって、 業務上横領の悪に染まっていく物語。 小説を読んでないだけに、映画そのものの展開には、いくつか疑問が残るところ があった。
自分の横領がばれ問い詰められると、銀行の3階の窓に椅子をぶつけて怖し、そこから 飛び降りて逃走。そして、宮沢りえの疾走する姿が、延々と映される。 ( おいおい、3階から飛び降りて、無傷で走れるのかよ???? )
しかも、ラストでは東南アジアで生きている、梨花の姿が・・ ( おいおい、日本の警察はそんな簡単に、犯罪者の海外逃亡を見逃すのかい?? )
原作では、銀行の内部調査の為梨花は、10日間の自宅待機。その間に、逃亡を決意した 彼女が夫と、タイに旅行に行くとの設定だそうで、それなら現地に梨花がいても おかしくはないが・・・
女子銀行員による、業務上横領事件としては、下記を思い出す。 1973年 滋賀銀行 奥村彰子 1975年 足利銀行 大竹章子 1981年 三和銀行 伊藤素子
しかし、どの事案の陰にも男の存在があり、男の強要・恫喝で次々と横領に手を 染めていった、女の悲しい性がそこにみられた。しかし、紙の月で相手の 大学生は、金を無心したわけではない。
男に金を貢ぐというより、閉塞的な生活から金によって得た非日常的な体験に 喜びを感じる、自己陶酔型の女性をそこに感じた。それだけに、彼女には罪悪感 などなかったのでは???
吉田監督のこの映画を通してのメッセージも、ここにあるような気がする。 梨花がカトリック系中学生時代、< 愛の子供プログラム >という全校的な 募金活動があった。
急速にしぼむ活動に反発し、梨花は父親の財布から5万円を盗み、献金をする。 < 受けるより与える方が幸いである >との教義通りに。 梨花にとって、金策の方法より結果が大事であり、そこに無償の喜びを感じたから。
映画のラストシーン。 梨花の援助を受けていた子供が成長し、逃亡先のタイ市場で偶然彼と出逢う。 ( こんなことも、現実ではありえな~~い!!)
そして、彼から林檎を施される。 やはり、与えるより受ける方が不幸せである、との逆説的なエンデイングで。
それにしても、なぜ題名が< ペーパー・ムーン、紙の月 > なのだろうか?
洋画ペーパー・ムーンでは、カーニバルでアデイが一人で撮ったこの写真を、 別れ際にモーゼに残して去る、シーンがある。
この撮影用セット、ペーパームーンは1900年代初頭のアメリカで、 家族や恋人の記念写真の背景として、当時人気があった。当時は、個人がカメラを 所有する時代ではなかったので。
富裕でなかった庶民が、家族や個人のささやかな想い出として残した一葉。その 記憶がアメリカ人の郷愁として残り、<ペーパームーン >という言葉が 楽しい想い出のシンボルとなったのだ。
意味があると。 「イッツ・オンリー・ア・ペーパームーン」(It’s Only A Paper Moon:1933年) の歌詞は、「あなたが私を信じてくれるなら、ただの紙のお月様だなんて思えない。」。 愛があれば何でも、本当のことのように思えるというもの。
角田がこの作品のタイトルを、< 紙の月 >とした意図は? お金を媒体とした愛は、やがて崩れゆく砂上の楼閣。愛と信じているうちだけが それはお月さまであって、その実態はただの紙のお月さまなのだ、と言いたかったのか?
それとも、業務上の横領という悪事はいつしかばれて、< 神のつき >にも 見放されるということなのか???
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