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想い出は心の宝石箱に。。。

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2018.01.12
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カテゴリ:カテゴリ未分類

 

 

     今回想すると、福島支店長として着任後の1年間というのものは、 皇子の

  会社生活において最も有意義で、且充実していた時間ではなかったのかと。

 

  何故なら、支社長から大抜擢され、彼の社内的面子を潰しては、絶対にいけないと

  いう想い。その為に身命を賭して福島支店を再建しようと、寝ても醒めても仕事の事

  しか、頭にありませんでしたから。

 

  また、場所長というのは一国一城の主であり、総て自分の判断と決断で事が

  進められる事が、水を得た魚のように皇子を、自由奔放に活動させたのでした。

  私の信念は、ベストを尽くし天命を待つという事であり、失敗すれば

  責任をとり職を辞し、腹をかっ切ればよしと割り切っていました。

 

                          切腹の作法

 

 

      切腹というのは、日本独特のものです。新渡戸稲造の< 武士道 >

  によれば、腹部には人間の霊魂と愛情が宿っており、勇壮に腹を切ることが武士道を貫く、

  自死方法として最も適切と、されていたからだそうです。

 

  切腹の動機として、主君に殉ずる追腹( おいばら )、職務上の責任や義理を

  通すための詰腹( つめばら )、無念のあまり行う無念腹などがありますが、

  三島由紀夫の切腹はまさに無念腹でしょうね。

       

  

                

 

 

  取引先、社内各位の絶大なるご支援のもとに、なんと1年で福島支店の

 黒字化に、成功したのでした。

 

  そして福島支店の再建が認められ、場所存続が正式に決まったのです。

  自分の抜擢人事が正しかったことが、これで証明されたわけで、支社長が一番

  お喜びになりました。

 

  国内取引の活性化を図る目的で、その年に< 社長賞 >が創設されました。

  そして第一回の表彰対象者として、福島支店が受賞する事が決定。

 

  弊社の社長賞ですから、最低100万円は戴けるものと、支店内各位は海外旅行

  何処に行こうかと、色めきたちました。役員の代理として支社長から、皇子が

  社長賞を戴き、開封すると絶句・・・端午の絶句・・・・

 

 

        フリーイラスト, フリーイラスト, CC0 イラスト, ベクター, EPS, 金一封, お金, 1万円札(一万円紙幣)   

 

 

 

  えっ・・十万円??????

 

 

  再建は皇子だけの努力で、なしえたものではありませんから、支店内各位で

  分けると手元に残ったのは、わずか数万円。

  う~~~~ん・・・これが、社長賞か?!

 

  いんや金銭的なものではなく、社長賞という名誉が総てであると、自分自身を

  泣く泣く納得させたのでありんす。

 

 

                    

 

 

  その後は、福島支店の業績も順調に推移したのですが、3年後東北支社管轄

  子場所すなわち、福島支店・盛岡支店・青森支店を総て廃止し、業務を東北支社

  仙台に集約するとの、全社決断がでました。

 

  この方針は、東北地域のみならず、全国各地の子場所が適用対象となったのです。

 

  その理由は、交通機関・情報手段の利便化によって、子場所を各県に置く必要も

  なく、支社からそれぞれの県を、管轄すればばいいとする、< 合理化策 >の

  一環でした。

 

  それでは、皇子が心血注いで再建にあたったあの努力は、一体なんだったのかと

  怒り心頭に達しましたが、こればかりは全社的な決断ですので、どうしようも

  ありませんでした。

 

  東北各場所の女子事務員は、その土地にある子会社に転属、この機会に退社、または

  仙台への転勤という選択を迫られました。郡山から仙台までは、新幹線で40分

  ということもあり、当事務所の事務職員は新幹線通勤で支社へという事で、決着を

  みました。

 

 

            仙台城跡・政宗公騎馬像

 

 

  さて、皇子はどうしたのか? 東京に戻るという選択もありましたが、既に10年

  近く本社を離れており所詮浦島太郎。それよりはこれまでの地縁・人脈生かした

  方がよいとして、仙台への転勤を希望したのです。

 

  皇子を抜てきした支社長は既に退職、燃料出身の同期が交代として赴任したばかり

  でした。彼と打ち合わせ結果< 副支社長 >、盛岡支店とは異なり本当の

  NO.2 として、仙台へ赴任したのでした。

 

 

  それでは最後に、美しい裏磐梯の景色をお届けしながら、福島とはこれでお別れ

  しましょう。

 

            https://youtu.be/dw3snlu-f3g          

 

 

        

   
  

             

 

 

                          ==つづく ==

 

 

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Last updated  2018.01.12 12:00:04
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