わたしが一度目の禁煙に失敗した理由
成人式の帰りに始めた喫煙ですが、ちょうど22歳くらいの頃だったでしょうか?こりゃタバコはあかんな…と思った瞬間がありまして記事:わたしが初めてタバコを吸った日それは、とあるデザイン学校に通っていた時のこと(夜間)徹夜して、ある課題の作品が仕上がったとき何時ものように火をつけたタバコが原因でした。何時間もかけて仕上げた折角の作品が台無しに!作品の肝心なところに焦げ跡が…散った火の粉が小さな穴を幾つも空けていたのでした。左手の人差し指と中指で、挟んだタバコを、親指でぺんぺんする癖があったからねぇ。その頃の私は、マジでその道を考えていたこともあってこりゃ、こんなことしてたら仕事がパァ~になる…と思った。で、一大決心!禁煙です!数週間吸いたくなるのを必死にこらえ、何とか、抜けたか?と思われる3か月を過ぎたころ、同僚に山に誘われたのですね。わたしも山は大好き、前年は尾瀬を散策、今回も楽しみにして列車に乗ったのでした。行先は奥只見、会津若松から只見線で只見町に出て田子倉湖を船で渡り、そのあたりの山の尾根を縦走する計画。が、船の計画がおジャンに…理由は「あしだはいがね…行っちゃなんねと決まった。先日渡した客が、溶けかかった雪庇の下敷きに…ナンマンダブ…」泊まった旅館の情報。で、仕方なしに、翌朝、只見線で小出に出て小出から奥只見シルバーラインを奥只見湖の遊覧船船着き場へ。で、対岸に渡り、その日は清志郎小屋に泊まったのでした。大杉岳の登山口を尋ねると「歩くと結構時間がかかるだ~に?…」が、その村の人たちが使ってるマイクロに乗せて貰うことに。翌朝、お弁当のおにぎりを作ってもらいマイクロにて、大杉岳の登山口へ、登山開始。目指すは会津駒ケ岳までの尾根歩き。天気も良く、登山は順調で、若干シーズンを外れていたせいか他人に会うこともなく快調です。しかしこの登山での失敗はこの同僚が大のタバコ吸いだったこと。一休みする毎に私の前に突き出すブル―のパッケージのにくい奴、ハイライト。でもわたしの決心は固い!時折グラッと揺れるが固い!「ボ、ボクは、ぼくはタバコは止めた…」そんなことを何度繰り返したことでしょうか?そしてついに、会津駒の頂上を極めたとき同僚が満足そうに汗をぬぐい、当然のように、上手そうに紫煙をくゆらす。そんときは、わたしもよっぽど吸いたそうな顔してたかもね?同僚、時を得たりと、すっと私の鼻先へハイライトを突き出したものでした。「えっ?あっ?、えっ?…ども…」同僚はタバコの火を貸して、火が付いたのを確かめると、満足そうな顔をして、くわえタバコして、うめぇ~~…頂上標を背景に、万歳して写真をせがむのでした。「どうだ、久しぶりの一服は、うめ~だろ?…」(ばかやろ、とうとう吸っちまった~い…)ばかやろは当然わが身へ、そして同僚へ。こんなわけでわたしの禁煙は、僅か3ケ月で頓挫してしまったお粗末でした。あっ、そうそう、この登山では大変な思いもすることに。下山は、桧枝岐へ、その途中突然ものすごい空腹感が襲ったのね。もしや行き倒れかと!?それは丁度33年後発症した、糖尿の低血糖のごとくあるよ。う~~ん。それ考えると、わたしの糖尿はそのころから、その気があったのかも知れません。普通の人で、あんないきなりの空腹感脱力感が襲う事ってある?あいにく食い物は何もなし…売ってるコンビニもなし…ここで野垂れ死にか?這ってでも宿にたどり着くか?しかし同僚は元気だったよねぇ。同じ飯しか食ってないのよ??、もしか、酒の効能かね?わたしは下戸だからな。で、やっこさん、すたこらサッサと先を行く。わたしはよろよろと歯を食いしばって幸いに下りオンリーだったから助かったよ。沼田街道に降り立った時には、すでに青息吐息。やっとこさめっけた一番最初の旅館に、倒れ込むように入館してなんとか事なきを得たのでございます。教訓山歩きには、食糧は数日分を持参のこと。後日読んだ新田次郎の「孤高の人」の主人公の加藤文太郎は甘納豆をポケットにいっぱい詰めて登山したんだよね。あれが正解ですかね?あぁ、もっと早く読んでいればよかった…ともあれ、あの時のタバコはあまり好きな銘柄じゃなかったハイライトだったけど旨かったなぁ…が、その後、27歳で再び禁煙して、現在まで、すでに数十年経過してますから、私の禁煙は、まだまだ続いているようです。その二度目の禁煙の理由は、後日談という事で…一句…?五句ウグイスや タバコ止めよと ホウホケキョ!禁煙を 引きずり下ろす 夏登山行き倒れ しそうな遠き 夏登山山の友 音信絶えて 夏暮れる風鈴や 遍路に居たり 白昼夢☆ブログランキングに参加しています。 応援よろしくお願いします。↓人気ブログランキングへ にほんブログ村失敗しないベッドの選び方転職応援します。