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テーマ:政治について(19787)
カテゴリ:時事
さて、前エントリで紹介したブログにこんな話が書かれています。 -- 宮沢喜一氏から生前に聞いた話を思い出している。 外相当時のことだ。外務省内で「非核3原則を2・5原則にしたい」という構想が検討されていることを知ったという。一時寄港は認めようというものだ。 リベラルの代表格の宮沢氏らしいところだが、これを聞いて、ただちにやめさせたという。その理由がいかにも宮沢氏のリアリズムを象徴している。 「2・5原則への変更を言い出したりしたら、反対派がデモ船を大量に動員して東京湾を埋めるだろう。これを1週間もやられたら日本経済はもたない。いま、国論を二分するような話を持ち出す時期とは思えない」 宮沢氏の指示により、外務省内でひそかに検討されていた「2・5原則への変更」は立ち消えとなった。 http://hanasan.iza.ne.jp/blog/entry/1495550/ -- この宮沢氏の挿話。これも宮沢氏が安全保障問題に関してリアリストで、今の民主党政権担当者がそうではないという印象づけを狙ったんでしょうけど、これはそんなご大層な話じゃないでしょう。 この話、昨年の7月に毎日新聞が大河原元駐米大使の証言としても報じています(74年11月のフォード来日に合わせて変更を目指したが実現せず、宮沢氏の外相就任で立ち消えになった)が、宮沢氏が外相に就任したのは田中内閣が金脈問題で倒れて成立した三木内閣において。つまり、自民党がそれだけ叩かれていた最中に、更に叩かれるような政策は採り得なかったという内輪の事情がまず第一。そして、私が最大の問題だと思っているのは宮沢氏が就任、即ち三木内閣が成立したのが1974年12月9日だということ。 だって、その翌日の12月10日にはオスロで非核三原則を唱えた功績でノーベル平和賞を貰った佐藤栄作元首相の授賞式があるんですから。 そんな時に、あのノーベル平和賞の授賞理由となった非核三原則はまやかしでした、なんてことを世界に発信するんですかね? ということは、非核三原則が日本国民を欺く詐欺話だったと同時に、ノーベル賞の選考委員をも騙す詐欺話にだったってことを自ら明かすってことになる。 それこそ「外交問題」に発展しかねないでしょうに。 もちろん、そういう密約を結ぶ事は避けられなかった、一方、愚かな日本国民を正しく導くにはああするしかなかったと言い訳することは、日本国民相手ということで不可能という訳でもなさそう。 でも、ノーベル平和賞の方はそうじゃない。 自分で非核三原則がまやかしだと知っていたなら、授賞は絶対に辞退すべきだったし、それができたのですから。 でも、佐藤栄作元首相はそれをやらなかった。その時点で、自民党政権が非核三原則は放棄しますなんて言うことなんて、少なくとも佐藤元首相存命中は不可能となっていた。それが当時の「リアル」だったってことです。 それくらいのことも知らずに「リアリズムを象徴」なんて言っているのか、それとも知っていて人々を騙そうとしているのか。 どっちにしても、こういう人に教わった学生がどんな社会人になるか、推して知るべしってところでしょう。 とにかくこのネタ、問題は密約そのものなんかじゃない。 その密約と矛盾する政策を、あたかも採っていたかのように国民を欺いて長らく政権を維持するという汚い政党が存在した。それが一番重要な点です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010年03月15日 02時41分17秒
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