松江市の教育委員会
亡き父の友人で、太平洋戦争で中国戦線に行っていたひとがいた。 井の頭線の浜田山にわが家があったころだから、ぼくが高校生のころだ、そのひとが日本軍の蛮行について話してくれたことがあった。 ちょうど映画『人間の条件』が公開されたのだったかな。 そのひとが所属していた満州の部隊には主人公の梶みたいな上官もいたし、原作に描かれるような非道な殺戮(さつりく)もあったと、話し始めたのだった。 居間で、ぼくはそのひとの左に座っていた。 ちょっと丸い左頬の張りがぴんとしており健康的だった。 そんなことを覚えているのは聞いている話が戦場と敗走の話だったからだ。 来る日も来る日も食べるものがない兵隊がどんなにみじめかということが鮮明につたわる内容だったのだ。 ぼくは、そのひとがゆっくりゆっくり話す左横顔の顔つきをじっと見ているのだった。 時折、目が左に動き、ぼくをちらっと見る。 そういう時は必ずのようにきつい話をしていた。 五味川純平原作の『人間の條件』を初めて読んだのは中学3年の時だった。 新書版2段組みの全6巻。 文字通り、一気に読んだ。 そのころ母親が臥せっていて、10疊間の南側に母親のベッドがあり、東側にぼくのベッドがあった。 そういうレイアウトになっていたのは、と、ふいにすべてが思い出されてきた。 胸の病気に罹っていた母親が南側にいる部屋の東側にぼくがいる配置は、ぼくが盲腸炎で手術をし、退院した時期のことだった。 中学3年の晩秋から冬にかけてのころだ。 1957年、か。 主人公の梶がどういう階級だったか覚えていない。 10人ほどの小隊を指揮して敗走を重ねる日々が続く。 残虐で理不尽な日々。 いま、何であれ疑問を抱くと「どうして?」と尋ねることができる。 さらに「なぜならば」と答えを知ることもできる。 『人間の條件』にあって、梶たちには問いも答えも許されない。 それが戦争だと読み手に迫ってくる小説だ。 浜田山の家でそのひとが話してくれたのは、小説に描かれた情景は事実でもあるということだった。 そのひとたち7人ほどの日本兵は満州でひたすら逃げていたそうだ。 追ってくるのはソ連軍で、あの小説の状況設定と同じだった。 そう覚えているが、中国兵だったという可能性はなかったのだろうか。 聞いてみればよかったが、聞かなかった。 ただ黙って、じっと聞いていた。 ある家にたどり着く。 満洲をさんざん荒らし踏みにじった日本兵に、その家のおじいさんは親切だったという。 おじいさん、というのがそのひとのことばであったかどうか、覚えていない。 聞いているぼくは高校生で、話しているそのひとよりも年長ならばおじいさんだろうと勝手に思っただけかもしれない。 食べ物と飲み物を与えてくれて、それはそれはおいしかった。 家の裏手に大きな川があり、独り身のおじいさんは渡し舟の仕事をしているのだった。 世話になったのは1日だけではなかった気がする。 3日めぐらいに、追っ手が迫っていることを知ったのではなかったか。 さらに逃げなければならず、そのひとを含めた日本兵たちは舟を借りることにした。 親切なおじいさんはしかし、これだけは拒絶した。 舟を奪われては生活が成り立たなくなる。 借りるだけで返すのだというような整った会話を交わせる状態ではなかった。 追っ手がさらに迫り、逃げるには一刻の猶予もない。 日本兵たちは黙々と舟に乗り込んだそうだ。 最終的に、おじいさんは舟にしがみついて漕がせない。 ソ連兵は迫る。 「殺したの?」 思わず聞いた。 そのひとは声を出さず、ただうなずいた。 おじいさんが死ななければならない理由はない。 あるとすれば戦争ということだ。 日本兵たちが殺されるから殺したとそのひとは言った。 戦争は人間性を壊すとも言った。 その20年後、ぼくはジャン・ポール・サルトルさんのインタヴューをするのだが、そのなかでサルトルさんが「戦争は人間性を壊す」と、同じことを言った。 きょう、島根県松江市の教育委員会が、市内の小中学校図書館で原爆被爆者の悲惨を描いた漫画『はだしのゲン』(中沢啓治さん作)の閲覧を制限したとの報道があった。 その記事を読んで、上に書いてきた話を思い出したのだった。 図書館の棚(開架)に置くのを禁じ、担当者の許可を要する閉架扱いにしたという。 記事には、学校によっては貸出禁止にしたとも書かれていた。 戦争中の描写が過激だというのが禁止の理由。 教材としては問題ないが、生徒が自由に読むのはよくないという見方が報告されていた。 そのように狭量な視野に基づいて学校を締め付ける教育委員会って、何だ? いろいろなところで、愚かなオトナたちが日本の国に不幸と恥辱を撒き散らしている。