映画『グローリー』の栄光
高井戸の仕事場で知り合った青戸武志さんとはよく映画の話を交わしたものだった。 朝、仕事が始まる前の10数分をまるまる映画の話で過ごすことがたびたびあった。 青戸さんはとにかく多くの映画を見ているひとで、ぼくの映画人仲間を除くといちばん映画を見ているひとなのではないかと思えるほど。そして、というか、だから、というか、よくDVDを貸していただいた。 お借りしたままなかなか見られないままに時間が経ってしまい気にしているのだが、映画の内容によってはいつ見てもいいというものでもなく、じっさいに落ち着いて見る機会がつくりにくい。 それはともかく、貸していただくたびに思うことに「こういう映画があったのか」と驚くことがしょっちゅうあった。 自らの無知を知らされるだけのことなのだが、しかしタイトルさえ聞いた覚えがないという例が少なくない事実に何度となく驚かされるのだ。 きょうの午前中、1989年製作の映画『グローリー』(GLORY 1989)のDVDを見た。 これは青戸さんからではなく図書館から借りたDVDで、いま書いたように見る機会がうまくつくれないでいた1本なのだ。で、問い合わせてみたら予約が入っているので返却日の延長ができないとのこと。 それでは都合を無視して見てしまわなければと、朝めしを終え次第見始めたのだった。 監督、エドワード・ズウィック(Edward Zwick)。 主演、マシュー・ブロデリック(Matthew Broderick)。 デンゼル・ワシントン(Denzel Washington)及びモーガン・フリーマン(Morgan Freeman)が脇を固めるこの映画は、南北戦争を通して真っ正面から黒人差別問題に向き合った意欲作だ。 興味深いのは物語が史実に基づいていることで、南北戦争に従軍したロバート・グールド・ショー(Robert Gould Shaw)という白人将校が両親に書き送っていた手紙を原作とし、北軍に黒人部隊が誕生するエピソードを描く。 ショーを演ずるのがマシュー・ブロデリックで、ひたむきなキャラクターをみごとに表していてとてもいい。 見逃せないのがデンゼル・ワシントン扮するトリップという兵士。 おそらく創作された人物像なのだろうが、デンゼル・ワシントンは、虐げられた黒人ゆえのひがみを抱えた豪腕な男をじっくりと演じきっていた。 このありようは現代社会にも通じるイメージで、映画全体を際だたせる。 上に書いたように、こういった大作があることをぼくはまったく知らなかった。 日本での初公開は1990年4月とあり、思い返すとこのころぼくは海外ロケに明け暮れていたのだった。 デンゼル・ワシントンはこの演技で1989年度アカデミー賞助演男優賞とゴールデン・グローブ賞を受賞、じつに妥当な結果だがぼくはそのことも知らなかったのである。 作中、決戦前夜の野営地で、黒人兵士たちがゴスペルを歌うシーンがある。 ♪Lord……、と始まりアーメン(Amen)と終わる歌をおのおのが歌う、あるいは詠ずる。ここでトリップが、ローリン(モーガン・フリーマン)に促されて思うところを歌い上げるのだ。 その場面もいいが、全体に1860年代前半の黒人音楽を象徴するシーンとなっているところがなによりよかった。 ぼくはこのシーンに酔った。 考えてみると、図書館でぼくがDVDジャケットを手に取り「ほう、南北戦争か。見たいな」と思ったのは、去年の冬にオフィスで青戸さんからローリング・ストーンズのCDを貸してもらい、何度も聴くうちにブルースへの興味がつのったことに遠因があるのだった。 南北戦争は黒人奴隷の解放をスローガンとしてはいたが実際には北部資本勢力による南部への攻勢であったとか、南北戦争後の黒人の境遇は戦争前より過酷なものとなったとか、この時代のアメリカ南部については関心が高まる一方だったのだ。 野営地シーンの歌声はそういう興味関心をふくらませてくれるものだった。 映画『グローリー』では撮影担当のイギリス人フレディ・フランシス(Freddie Francis)がアカデミー撮影賞も得ている。たしかに映像に深みがあったなと思いながらこのひとのフィルモグラフィーを調べてみると、なんと『土曜の夜と日曜の朝』(SATURDAY NIGHT AND SUNDAY MORNING 1960)の撮影がこのひとではないか。 あのイギリス映画の精妙に濃淡を活かしたモノクロ画面はいまでもすぐに思い出せる。 さらに、映画『グローリー』はアカデミー音響賞も受賞している。 じっさいDVDを見ながらぼくは、音楽にしろ効果音にしろ、あるいはセリフのトーンにしろ、録音技術がすぐれているなと思わせられたことだった。 映画を見ながら「録音」とか「音響」とかを意識することは滅多にないので、印象に残っていた。 なんてことを書いていて思い出すのはオーソン・ウェルズの作品で、ことに『上海から来た女』(THE LADY FROM SHANGHAI 1947)の低く抑えた音の扱いが忘れられない。 多くの映画について公開されたことを知らず、見逃してきたことを今更ながらに知らされるわけだが、その空隙をいまはDVDの存在が埋めてくれる。ありがたいことである。 ○ ○ ○ ところで、新聞を読んでいて気になることがあり、気になるままに書いておくことにした。 第3号被保険者の、いわゆる「年金切り替え漏れ問題」について3月9日付の毎日新聞ウェブ版が「実態と年金記録がずれているのに既に13人が受給していた事実を認め、手続きにあたった旧社会保険庁職員を調査する方針を明らかにした」と報じていた。 注目すべきは、その事実が判明したのが「昨年1~3月の調査」によるという点だ。 昨年1月の厚生労働相は長妻昭氏で、ということは調査の対象になった期間は自民・公明両党が政権の座にあった時代であり、たとえば政権交代直前、麻生内閣での厚労相は舛添要一氏だった。 で、その舛添元厚労相は「第3号被保険者の年金切り替え漏れ問題」を調査したり、不明点を質(ただ)したり、あるいは迅速な救済策を講じたりしたのかというと、まるっきりやってないようだ。 そうなると、だよ。 いま騒がれている年金切り替え漏れ問題の焦点ともなっている「責任問題」というのは、舛添要一元厚労相とか、その前の柳澤伯夫元厚労相とか、柳澤氏の前の坂口力元厚労相とかには生じないのかい? 放っておくとそこには責任がないけれど、調査したり、問題を明らかにしたり、解決策を探ったりした者にだけはその責任を問うことになるのはヘンじゃないか? おかしなことが生じていた当時の担当大臣はどうして責任が問われないのだ? この問題に関しては妙な政治性ばかりを前面に出して自民・公明両党を中心に「責任論」が吹き出しているが、自分たちの党ないし元担当大臣たちが抱える責任については何も考えないでいいのだと、そういうわけなのだろうか。 また、この問題については殊にテレビ・キャスターのほとんどや多くのコメンテイターたちが一斉に「平等性」を唱えているように見えるけれど、平等性を基軸に置くべき問題なのかと考えるとどうなのかなぁと思う。 ことと次第によっては平等であることを軸にするよりも「救済」を軸にコトをすすめるほうが重要ということもあるのではないかと、そう思えて仕方がないのだ。 去年の1月から3月にかけて長妻元厚労相の指示で行われた調査で「年金切り替え」をしていない3号被保険者がおよそ100万人を数えたという。それから法案を検討し、国会で論議し、法案通りに議決されたとして、その「救済法」が施行されるまでいったいどれぐらい時間がかかるのだろう。 おおざっぱにいって半年か? 1年か? とても推定できるものではない。 不平等の主張は、その間ずうっと「救済はなし」で行けと求めるわけなのかなぁ。 そんな姿勢はとても行政のあるべき姿とは思えないが。 切り替えが求められるケースは夫の転職や退職だけではなく、離婚もまた対象となる。 そういうすべてのひとびとに向けて厚労省が「切り替え」を通知するならともかく、日常生活に追われる中で「きのうのまま」とか「おとといのまま」と思って日々を過ごしてしまうひとが100万人というのは、奨められることではないにせよ自然なことだ。 仮に、ここで「意識的に切り替え手続きをしない」というひとがいるとすると「平等性」はそうした場合にこそ問われるべきだろう。 善意の失念とはいえないケースという例のことだが、しかし意識的かどうかを判別するのは容易ではない、というよりむしろ不可能に近い。 もしも「平等性」を唱えるならば、そうした事例のすべてについて唱えるべきだろう。つまり、意識的に切り替えなかったひととそうでないひととは同列に扱っては平等にならないということも唱えなければおかしいぞ。 それに、どうして「3号被保険者」は会社通勤者の配偶者(サラリーマンの妻)にだけ適用されるのかと「3号」のありかた自体についても考えなければ、それこそ平等ではなくなってしまうのではないか? 新聞やテレビではこの問題を採り上げるに際し「主婦年金」ということばでくくる例が少なくないけれど、ま、それが、メディアのいう「わかりやすさ」なのだろうと理解した上でいうんもだが、自営業者の主婦もいれば上にも書いた離婚した主婦もいる。 そういうひとたちに「3号」が適用されないのはどうしてなのか。 果たしてそれは「平等」なことなのか。「平等」を唱えるひとたちは、これを「平等」だというのだろうか。 つまり、この問題に関しては、じつのところ「平等」を基軸にしたら解決への方途がない、ということなのでしょう。 ぼくはどうも、自分自身が、いま「第3号被保険者の年金切り替え漏れ救済」に対し不平等と異を唱える発想はちょっとヘンだぞと思う位置にいるようだ。