ピアノの指運び
低い雲がそらを覆い、傘を用意したくなるが晴れるというのでやめた。 かみさん早番。 ぼくのやや後に出てきてバス停で追いつき、握手をして仕事場の病院内へ。 彼女が早番の朝は、バス停までのほんのちょっとした距離だが、こうして一緒に朝の道を歩く。ひと言ふた言のやりとりがやっとの時間とはいえわるくないひとときだ。 通勤快速、今朝も端から2つめに座れた。 ただ、息が上がってかなり苦しい。 明大前での乗換え時にも息が上がった。乗り換えの混雑で呼吸が乱れ、途中にあるわずか4段の階段で決定的に息が上がってしまう。 7時53分発吉祥寺行きに乗れたがかなり苦しく、空いていた座席にへたり込む。 今朝は中島京子著『冠・婚・葬・祭』を読んでいた。 絶妙な語り口、面白い。 仕事場でふと、きのう行った大八木恭子さんのピアノ・リサイタルを思い浮かべる。 よかったなぁ、あのアルベニス(Isaac Albeniz 1860~1909)。 あるいはロドリーゴ(Joaquin Rodrigo 1901-1999)。 そしてソレル(Antonio Soler, 1729~1783年)。 ほかにもファリャなどスペインの作曲家ばかり3人の作品を弾いた。 全体の雰囲気として共通するものがあり、それはある種のスピード感だった。 あるいはこれは大八木さんがねらったことなのかもしれないけれど、ゆっくりした曲にもやがては高まるにちがいない速度の感覚が内包されていて、予感通りスピード感あふれる曲想があふれ出てくるのだった。 トリル、というのかな。 そうして我に返り、となりのひとがパソコンに向かって仕事を続けているようすをちらりと見る。 はっとした。 指使いがトリルに似ている。 となりの関口万里子さんにピアノを弾くかと聞いたら「弾きますよ」とにこり。 そうか、常々テン・キィのスピードがみごとだと思っていたのだ。 すさまじい早さだなと感嘆していたが、その理由が判明。 ピアノ演奏にかかわる基礎鍛錬によるものだったのだ。