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クロニクル 陸軍大将宇垣一成に組閣の大命、しかし……
1937(昭和12)年1月25日 前年の2.26事件後、軍部の政治介入は強まり、とりわけ 前年5月18日に公布された、陸・海相の現役武官制(陸軍 大臣と海軍大臣は、現役の大将・中将から出すとの決まり) の復活により、軍部は意に染まない内閣には、大臣を送る ことを拒否することで、その存在を否定することが出来る 強大な権限を手に入れたのでした。いよいよ軍部独裁の環境が 整ってきたと言えましょう。 実際、2.26事件後に組閣した広田内閣は、実質的に陸軍の 意向を最大限に尊重することで、辛うじて命脈を保っていたのです。 そこへこの日の4日前に、衆議院における政友会議員による 痛烈な軍部批判と、それに対する寺内陸相の反駁とで議場が 大混乱に陥る事件が起きたのです。衆議院の即時解散を主張して 辞任をちらつかせる寺内を説得できなかった広田内閣は、 23日に総辞職するに至りました。 そして、この日陸軍大将の宇垣一成に組閣の大命が下ったのですが、 宇垣が陸軍内反主流派であったことから、軍部は組閣に反対し、 後任陸相を出すことを拒否したのです。そのため、後任の 陸相候補は次々に入閣を拒否、万策尽きた宇垣は、遂に29日、 組閣を断念するに至るのです。軍部の横暴が、遂に首相人事にまで 及んできたことを示す、一幕でした。 日中・日米戦争の敗北に至るストーリーは、この辺りから、 いや、もう少し前から始まっていたように、私には思えてなりません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.01.25 01:10:49
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