カテゴリ:社会風俗
浅間山大噴火 続8日の日記 1783(天明3)年7月8日 三宅島の噴火の記事を書きましたが、224年前の同日に、浅間山の大噴火が起きています。有名な鬼押出しを作り出した、あの大噴火です。 この年浅間山は4月8日から断続的に噴火を繰り返していましたが、2日前の6日から様相は激しさを加え、この日午前10時、大音響をあげて爆発、幅50m、高さ100mに及ぶ(当時の記録から)火炎を噴き上げました。火口から噴出した溶岩は、北側斜面の土砂を巻き込み、巨大な火砕流となって5分後には、約15km離れた標高900m地点にある鎌原村(現在の群馬県嬬恋村)を襲い。さらに下って吾妻川に達しました。 鎌原村の93軒の民家は全て押し流され、同村の高台にあった観音堂の50段の石段も15段を残して埋め尽くされ、村人597人中、466人が死亡しました。生き残った人達は、他村に出かけて難を逃れたか、観音堂の石段を駆け上がって助かったかのどちらかだったそうです。 被害は火砕流によるだけではありませんでした。吾妻川に流れ込んだ火砕流は、各地で川を堰きとめ、鉄砲水となって川下の村村を押し流したのです。被害は55カ村に及び、水に流された人馬の死体が利根川や江戸川の下流に流れ着いたそうです。中には赤子をしっかり抱いた死体もあって、行き交う人々の涙を誘ったとも記されています。 徳川幕府は、この時の死者を約2万人と公式記録(『徳川実記』)に記しています。また降灰の被害は関東平野を中心に10余ヶ国に及び、江戸の町も3cmの降灰を記録しました。 それだけではありません。この大噴火は北半球に異常気象を齎し、天明の大飢饉との関連も指摘されています。浅間山の観光スポット、鬼押出しは、鎌原村を襲った火砕流に続いて流れ出した、粘性の高い溶岩が凝結して出来たものだそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.07.08 23:45:28
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