カテゴリ:外国史
クロニクル バスティーユ襲撃 1789(寛政元)年7月14日 この日、フランスはパリの民衆が、バスティーユ監獄を襲撃する有名な事件が起きました。良くここからフランス革命が始まったとされることもありますが、革命初期のハイライトだったと理解する方が正確のように思います。 今日から何回かに分けてフランス革命のあれこれを記してみようと思いますが、四つの搭に大砲を備え、堀に囲まれた堅牢な要塞だったバスティーユが、民衆の襲撃であえなく陥落したことが、革命の第1段階における革命派の勝利を決定づけたことは間違いありません。だからこそ、革命派は翌1790年のこの日に大々的に連盟祭(これがパリ祭の原型です)を行ない、この日を革命の記念日としたのでした。 しかし、パリの民衆はこの日朝からバスティーユに集結したわけではありませんでした。民衆は先ずアンヴァリッド(廃兵院と訳されます。現在はここにナポレオンの遺骸が安置されています)を襲い、目的が半分しか達成できなかったために、襲撃し難いバスティーユに向かう事になったのです。そのため、バスティーユに到着するのは、昼近かったと記されています。 なぜか。少し順を追ってこの7月14日に至る革命のいきさつをのんびりと記していきたいと思います。時間のある日に、2ないし3回くらいの割合で記していきたいと思いますので、気長にお付き合いいただけると幸いです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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