カテゴリ:国際政治
クロニクル 沖縄の米軍機、南ヴェトナムを爆撃 1965(昭和40)年7月29日 この日、沖縄の嘉手納米軍基地を飛び立ったB52爆撃機30機が、南ヴェトナムを爆撃しました。このB52爆撃機の根拠地は、米国のグァム基地でしたが、同地がハリケーンに襲われたため、前日に沖縄に避難していたものでした。ハリケーンを避けて飛来していたとはいえ、沖縄からヴェトナム戦争の前線に、直接出撃したのは、始めてのことでした。 未明に発信したB52は、お昼過ぎには嘉手納基地に再び姿を現しましたが、沖縄米軍は行き先を公表しませんでした。日本国民が事実を知ったのは、サイゴン(現ホーチミン市)からの外電によってでした。 国務省は、「沖縄基地の米軍機のこのような使用は、日本政府との事前協議の対象にならない」との談話を発表しました。日本政府も翌日、「日米安全保障条約上は問題がない」との談話を発表しますが、一方で「しかし日本国民の感情を無視したものだ」と不快感を表明、米側に善処を要望しました。 当時沖縄は米国の占領下にありましたから、沖縄の米軍機が直接南ヴェトナムでの戦闘に加わったということは、沖縄が報復攻撃を受けることもありうるということに繋がります。このため、野党は一斉に抗議の声をあげ、琉球立法院もまた超党派で抗議の決議を行いました。ヴェトナム反戦運動と、沖縄返還運動が多いに盛り上がるきっかけとなった出来事でした。 現在に比べると、平和主義と反戦運動が広く国民の共感を集めていた時代のことでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.07.30 01:52:59
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