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ザビ神父の証言

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2007.12.20
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カテゴリ:国際政治
第一次世界大戦(27) 

ハプスブルグ帝国の解体

オーストリア・ハンガリー帝国(以下ハプスブルグ帝国)もまた困難に直面していました。この多民族国家においては、ドイツ系住民は全人口の25%に過ぎず、ハンガリー人が20%、以下全体で12の民族がひしめき合っており、夫々が母国語を話す状態で、言語の統一すらなかったため、軍隊内の指揮命令系統も,混沌とした状態のままだったのです。

こんな状態でしたから、ドイツ語を解さない諸民族の兵士には、ドイツ人のために死を賭して戦う意味など、見出せるはずがなかったのです。そのため、東部戦線では戦う前にロシア軍に投稿するスラヴ人兵士も多かったのです。

元来ハプスブルグ帝国にとっての戦争目的は、バルカンへの進出の障害となっていたセルビアの打倒の1点にありました。そのセルビアは1915年に敗北し,降伏していましたから、それ以上戦争を継続する意味は失われていたのです。戦争継続は、経済的・軍事的にその支配下に組み込まれてしまったドイツに引きづられて,仕方なくついていっているだけでした。

そして総力戦の被害は、ハプスブルグ帝国のそこここで大きくなっていました。1848年以来帝位にあった老皇帝フランツ・ヨーゼフは、こうした状況に何ら積極的な手は打たなかったのですが、この老皇帝は1916年11月に死去し、後継に弱冠29歳のカールが即位しました。サラエヴォで暗殺されたフランツ・フェルディナントの弟オットーの息子で、戦争の終結に向けて、様々な努力を試みる気概はもっていました。

しかし、彼の努力も複雑なハプスブルグ帝国を1つに纏め上げる解を導き出すにはいたらなかったのです。そのために必要な経験が,彼には不足していました。
                     続く





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最終更新日  2007.12.20 21:43:27
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