カテゴリ:日本経済
クロニクル スミソニアン合意なる
1971(昭和46)年12月18日 あれから47年ですか、1971年は、ニクソンショックに揺れた年でした。7月、翌年2月に中国を訪問するとの発表で、日本の政界に激震を起こし、約1ヶ月後の8/15には、金・ドル交換停止を発表して、戦後のブレトン・ウッズ体制(金とドルをリンクさせた金・ドル本位制)の終焉を告げ、世界に衝撃が走りました。 各国が状況の落ちつくまで、為替市場を閉鎖した中、日本のみが1ドル=360円の管理為替相場の維持を狙ったのか、市場を開き続け、各国の投機業者に手持ちのドル売りと円買いの好機を与え続ける愚を犯したのです。しかし大勢に抗し難く、数ヶ月に及ぶ交渉の結果、この日、ワシントンのスミソニアン博物館で開かれていた先進10ヶ国蔵相会議において、ドルの大幅切り下げによる多国間通貨調整に合意、辛うじて固定相場制を続けることになりました。 円は対ドルで16.88%の引き上げとなる、1ドル=308円に切り上げられることになり、20日から新レートが適用されることになりました。 当時のマスコミの論調は、産業界の声を代弁したのか、輸出が大打撃を受け、大不況が到来するとの大合唱でしたが、これで輸入品が安く買える、必要な洋書が買いやすくなるからと、円高大歓迎だった私などは、もっと切り上げれば良いのにと、お気楽なものでした。 ところでスミソニアン合意はつぎはぎの一時的なものに過ぎず、アメリカ経済にはドル中心の固定相場を維持する体力は既に無く、1年2ヶ月後の73年2月には、円は早くも277円を記録し、この値を始め値として、2/14から現在に繋がる変動相場制に移行したのです。 この間、今日までの変遷で感じたことは、自国通貨が高く評価されることは、即ち国家の経済力の強さを示すものであり、基本的には良いことだ。円高は誇るべきことだということです。その証拠に100円を切るどころか、70円台に入っても、ちゃんと日本経済は持ちこたえたではないですか。 黒田日銀の異次元の金融緩和とGPIFを利用した外貨資産の大量購入を二本柱とした、円安誘導政策は、決して日本経済のプラスになるものではなく、日本の富を毀損する愚策だと、私は考えています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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