カテゴリ:日本経済
クロニクル 釜石の高炉閉鎖
1989(平成元)年3月25日 昭和が平成に変った年、そしてフランス革命200年の節目の年、ベルリンの壁崩壊に象徴される東欧革命の年。30年前は、そんな大きな潮目の変化があった年でした。 そしてこの日、新日本製鉄釜石製鉄所の最後の高炉が火を落としました。釜石は近代日本における鉄鋼生産の発祥の地でした。その創業は、官営八幡製鉄所の影に隠れていますが、1880年に操業を開始し、86年には利益を計上して操業を軌道に乗せていますから、1901年操業の八幡製鉄所よりも、ずっと老舗なのです。 日米戦争の過程で、米軍の艦砲射撃の標的とされ、壊滅しますが、戦後の1950年には復興を遂げ、合併前の富士製鉄の主力工場の1つとなりました。しかし、高度成長の後半、1970年の新日鉄発足と共に、設備の縮小に軸足が移り、この頃から社員の縮小が始まりました。1980年には大型工場は閉鎖され、そして30年前のこの日、遂に最後の高炉の火が消えたのです。 現在は、棒線事業部のみが残り、僅かに310人の社員が線材圧延設備を動かして、仕事をしている状態になっています。ブロ友の「じゅぺ理」さんの郷里ですから、彼が時折「釜石嘆き節」とも言うべき内容を綴るのも頷けます。その町が今、大きな津波の被害を受けた町のひとつとなり、再建に向けての長い道のりを歩み始めています。ラグビーワールド杯日本大会における会場のひとつとなり、スタジアムが建設されましたが、宴のあとに維持できるのか? 私は宴のあとを心配しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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