カテゴリ:国際政治
クロニクル コソボ空爆
1999(平成11)年3月24日 当時のコソボは、新ユーゴスラヴィア(セルビア+モンテネグロ)の1自治州でした。地理的には、アルバニアとマケドニアに接するセルビアの最南端の地域にあり、アルバニア系住民が7、セルビア系住民が3の割合で混住していました。 90年代、旧ユーゴスラヴィアを構成していたスロベニア、クロアティア、ボスニア、マケドニアなどが、次々に独立を達成(それはスロベニアを除けば、民族紛争という大きな困難を伴ったのですが...)すると、セルビア系住民ばかりが優遇される状況に、不満を募らせていたアルバニア系住民によって、コソボ独立運動が始められ、その運動は燎原の火の如くに広まったのです。 セルビア政府は、コソボのセルビア系住民の保護という名目で出兵、アルバニア系住民の独立運動を徹底的に弾圧しました。1部ではボスニアで行ったような大量の住民虐殺も行われたと言われます。 こうした状況下で、20年前のこの日、NATO軍が国連安保理の決議も要請もないことを無視して、コソボのアルバニア系住民の保護を錦の御旗に、セルビア軍及び軍施設に対する空爆を実行したのです。 NATOはさらに地上部隊をも派遣して、セルビア軍を圧倒、コソボではアルバニア系住民が優位に立ちました。こうして、コソボの形勢は逆転したのです。 その後のコソボでは、アルバニア系のコソボ独立を目指す勢力の独壇場となり、2007年11月選挙では、コソボ独立を目指す、コソボ民主党が第1党となり、翌年2008年2月にコソボ自治州議会は、セルビアからの独立を宣言、コソボ共和国を名乗りました。 セルビアはそれに反発、国内に民族紛争の火種を抱える国々は、自国への飛び火を警戒して、コソボを独立国家として承認することを控えたため、今日まで、独立を承認した国々は、111ヶ国にとどまっており(2015年7月現在)、85ヶ国は承認を拒否しています。お膝もとのEUでも、 スペイン、ギリシア、ルーマニアなどが承認に反対しており、EUとしての一致した行動は取れないでいます。 このためコソボの将来は、いまなお不透明な状態にあります。ロシアの拒否権で国連安保理の承認が得られず、現在もコソボは国連の管轄下における自治しか認めれれていないからです。NATO軍の行動、ウクライナに対するロシアの行動よりも、ずっと露骨で傍若無人の行動でした。国際政治では、あちこちで二重基準がまかり通っていますので、要注意です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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