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テーマ:歴史なんでも(780)
カテゴリ:歴史箱
これまでの歴史の流れを振り返ってみましょう。
今から5000~6000年前、チグリス・ユーフラテス川に挟まれた広大なメソポタミアの大地に都市国家を築いたシュメル人は、世界最古とされるシュメル文明を開花させました。多神教の文明ですね。その文明はその後、古代エジプトや古代ギリシャへと受け継がれます。一方、シュメル文明からはアブラハムを祖とする一神教文明も派生します。 シュメルの都市国家が紀元前2000年ごろ衰退すると、アブラハムを祖とする一神教文明もシュメル人の多神教文明の跡を追うように古代エジプトへと流入します。しかし、古代エジプトでは一神教文明は主流となれなかったので、モーセら一神教文明の信徒たちは教義を守るため、再びパレスチナに戻ります。そして、そこに活動拠点を置き、最終的にはパレスチナ地方のエルサレムに紀元前995年ごろ、イスラエル王国(統一王国)を築いたわけです。 さて、ここでもし正統竹内家の口伝が正しいとすると、次のようなことが言えると思われます。 今から5000~6000年前、沈む太陽を追いかけるようにして理想の土地を求めて日本から大陸に渡ったシュメル(スメル)族は、メソポタミアの地にたどり着き、そこに都市国家を築きます。かれらはその地をキエンギ(葦原主国、葦原中国)と呼びました。当然、八百万の神々を信奉する多神教の文明です。 ところが理想の国家を作ろうとする試みは他民族の流入などにより、頓挫します。紀元前2000年頃までにはおそらく三つのグループに分かれて、メソポタミアの地を後にします。一つのグループは古代エジプトに移動します。私はそれがイムホテプのグループであったのではないかと思っています。彼らは古代エジプトの社会に溶け込み、一部は王統にも入り込み、エジプトに多神教文明を根付かせたのではないでしょうか。 同じようなシュメル人の文明の流れは、古代ギリシャ文明にも当てはまるように思われます。古代ギリシャもまた多神教文明です。特に古代ギリシャのポリス(都市国家群)という形態は、シュメル人の都市国家と相通じるものがありますね。 その後シュメル人がたどった具体的な道程はわかりませんが、口伝によると、現在はシルクロードとして知られる、海の道、陸の道、草原の道の3ルートを使って、日本に戻ってきたというんですね。そのうちの二つは既に紹介しました。スサノオのグループとアマテラスのグループです。前者が陸のルート、後者が海のルートを使いました。そして第三のグループがいた。このグループが利用したのは草原のルートです。 つまり竹内氏が継承した口伝では、日本で発祥した多神教文明が大陸に渡ったシュメル族によってメソポタミアの地で開花し、世界の多神教文明に影響を与えたが、やがてユダヤ教を中心とする一神教文明が台頭するようになると衰退してしまったということになります。そして衰退と同時にシュメル族は日本に戻って来たというんですね。 次回はその説に整合性があるかどうか、検証してみることにしましょう。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015.05.15 11:29:37
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