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テーマ:歴史なんでも(780)
カテゴリ:歴史散歩
2012年も忙しい年になりました。 当時のメールを読むと、2012年1月末ごろまでにはラフ原稿を仕上げています。 そして、その原稿をヒカルランドに私が持ち込んで、折衝を重ね、ゴーサインが石井社長から出たのが二月七日。「四月出版で決まった」とその日のメールに書かれています。 鼎談をシリーズ化する話も進み、「よほど売れない限り、続ける」という言質を社長から取っていますね。
こうしてとんとん拍子に鼎談の第一冊目が4月に発売されました。 今読み返しても、本当に面白いことが書いてあります。
秋山、竹内両氏ともキャベツの千切りがいかに可哀そうなことであるかで妙に意見が合って、電線が幽体離脱にいかに邪魔であるかなどの話で盛り上がっていますね。
私にとっては、竹内氏の語る歴史が面白かったです。 大国主がナガスネヒコとの戦いに敗れて敗走。そこへスサノオの四男であるオホトシが「天火明」として登場して、大国主を救ったという話が、記紀神話に隠されていることも初めて知りました。 当時私は、大年はただ普通に大国主の国作りを助けたのだと思っていました。記紀には大国主とナガスネヒコの戦いの話しは出てきませんからね。 ところが、この戦いがあったからこそ、大年とナガスネヒコの間で和睦が成立、大年とナガスネヒコの妹トミ(ヤ)ヒメが政略結婚したという話が、現実味や歴史性を帯びてくるんですね。
その何年か後に、正統竹内文書とは『帝皇日嗣極秘口伝』のことであると聞いて、あらためて納得しました。 『帝皇日嗣』によって初めて、『古事記』と『日本書紀』は読み解けるのです。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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今日のブログを読ませていただいていて、恵那市の笠置山の頂上の神社と山岡の巨石が羽根ラインとありましたが、地図でそのラインを南へ下がってまた行くと、武並の太霊道跡地があることに気づきました。大正時代に田中守平氏が太霊道の拠点を築いた所で、羽根ラインは分かる人には分かるところであることが納得できました。
昨年から恵那峡の近くの職場に転職して、有機農法の葡萄や野菜を栽培する仕事をしています、笠置山や恵那山が見えるところで働いていて、羽根ライン上の畑や恵那市の鍋山メンヒルの近くの田んぼを葡萄畑にする作業をしていて、気持ちのいい労働です。 一つ気になっていることがあり、鍋山の畑からメンヒルのあるあたりの山が綺麗な丸になっていて、何か人工的に作られたのではないかと感じています。 布施さんはすでに調査済みかと思われるので、それらについて教えていただけたら嬉しく思います。 (2020.05.11 23:19:43)
echoさんへ
貴重な情報、ありがとうございます。 もう十何年も前(多分2002年ごろ)のことで、鍋山のメンヒルへの行き方がわからず、麓の陶芸家各務さんをたまたま訪ねたところ、各務さんの知人の方にメンヒルまで案内してもらいました。 もし近くに目立つ山があるのだとしたら、メンヒルは夏至の日の出だけでなく、その山の拝殿であった可能性が強いと思います。 イギリスにも同じような構造を持った遺跡(ハーラーズ・ストーンサークル)があります。 全世界共通の仕組みがそこにあるのではないでしょうか。 羽根ラインに関しては、土岐市もライン上にありますね。土岐一族もかつては羽根ラインのことを知っていたと思っています。 (2020.05.12 00:33:25)
返事をいただきありがとうございます。
私は瑞浪市に住んでいて、土岐氏と縁のある地域に住んでいます。現在大河ドラマで土岐一族のことも出てきて、興味深く見ています。瑞浪市には一日市場という館跡もあったりもします。 今日は鍋山メンヒルの近くで仕事をしていてもなかなかメンヒルまで行けなかったので、初めて行ってきました。その後、そこから数キロ離れた場所にある太霊道の跡地に来ました。 最近のように、人にあったり、人混みに行けないので、自然と歴史のあるところに足を運んでいます。 土岐市も近いので、何か古代の秘密が隠されている場所があれば教えて頂けたらと思います。 (2020.05.12 13:38:36)
echoさんへ
行くとしたら山岡町の磐座の森や、巨石群がお勧めです。 昔は山岡町に巨石マップがありましたから、それをもらえれば最高ですね。 あと、笠置山山中のピラミッド石。 それに金山の巨石群でしょうか。 恵那山周辺は、巨石遺跡の宝庫だと思っています。 これからまた忙しくなりますので、コメントにお返事できなくなると思いますので、ご了承ください。 (2020.05.12 17:44:58) |
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