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テーマ:旅のあれこれ(9942)
カテゴリ:歴史散歩
入寮初日の自分の部屋で私が深い眠りに落ちている間に、ケント大学についてもっと詳しく説明しておきましょう。
ケント大学は、イギリス南東部にあるケント州カンタベリーにある英王室公認の公立大学です。 1965年に設立されました。いわゆる新興大学ですね。 この大学の特徴は、カレッジという独立した大学の学寮を持っていることです。 既にキャンパスを歩いてくるときに説明したように、当時は四つのカレッジがありました。 ダーウィン、エリオット、ケインズ、ラザフォードですね。 もちろんオックスフォードやケンブリッジ大学といった名門校にもカレッジ制度はありますが、ケント大学がユニークなのは、講義がある場所と学生が寝泊まりする部屋が同じ建物の中にあることです。 学びの場と寮が一体化しています。学住一致。 まさにちょっと建物の中を歩けば教室や講堂があり、セミナー室や教授の部屋があったりするわけです。授業開始時間の1分前に部屋を出れば、余裕で間に合う場合もあります。 四つの学寮(カレッジ)のうち私が居住したダーウィン・カレッジが一番新しく、1970年にオープンしたばかりでした。 前にも話したように、ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロも二年前の1978年までダーウィン・カレッジ所属の学生でした。英語(英文学)と哲学を専攻したと書かれています。 私がケント大学にいたころには、彼は英ノーフォーク州のイースト・アングリア大学院に進学して、創作学科で修士号を取っています。 そして、そのときの彼の修士卒業論文が二年後に「遠い山なみの光(The Pale View of Hills)」という処女作として1982年に出版されました。 英国に在住する長崎女性の回想を描いた小説で、その年の国内最高の小説に贈られる王立文学協会賞を受賞。自信を得たイシグロ氏は、これによって作家として生きていくことを決めたようです。 1993年に映画化された『日の名残り』も良かったですよね。当時はケント大学の先輩とはつゆ知らず、原作で読ませてもらいました。 イシグロ氏以外にも、作家や映像作家、映画監督がケント大学の卒業生にいるようです。 ケント大学の全景です。 右端のY字形の建物がダーウィン・カレッジ。 ダーウィン・カレッジの説明です。 チャールズ・ダーウィンは、人生の多くの時間をケント州で過ごしたと書かれています。 ダーウィン・カレッジの上から見た図。 さて、その有名作家らを輩出したダーウィン・カレッジですが、写真や地図で見てもわかるようにY字型の建物になっています。四階建てで、出入り口(正面玄関)は▲で示されています。 その入ってすぐの右手にあるのが、多分大食堂で、その隣か上には大講堂や会議室(セミナー・ルーム)があったように思われます。大勢の学生が集まる講義は大講堂で開かれます。 正面玄関を入ったすぐ右手には管理人の部屋があり、私の記憶ではちょっとした売店にもなっており、そこで新聞を買うこともできました。 正面玄関の広間には、個々人の名前がアルファベッド順に書かれた郵便受けボックスがあり、管理人の方がそこに手紙類を入れてくれたと記憶しています。 特定の人物に対する大事な用事を書いたメモも、そこのボックスに入れます。 ボックスに入らないような大きな荷物があるときは、管理人からのメッセージがボックスに入っているので、管理人室まで取りに行きます。 Y字型に開いたウィングには、学生寮とセミナー室、それに教授の部屋が並んでいます。私の部屋は、西に突き出たウィングの北側に向いた二階の部屋でした。地図でいうと、Darwin Collegeの「C」がある場所の辺りですね。コの字型に凹んだ部屋だったのですが、夜などはほとんど騒音が聞こえない非常に静かな部屋でした。 (続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.10.17 13:47:41
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