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カテゴリ:見たい!行きたい!跡地めぐり
~会津~
福島県会津若松市。 幕末の京都に在って京都守護職を務め、篭城戦を戦って遂に力尽きた会津藩の居城のある街。 新選組とも深い縁のあるこの地にどうしても来たかった! 今回は1泊2日の短い旅なので、本当に会津若松市周辺を中心に回りました ~妙国寺~ 会津若松駅からバスで「滝沢妙国寺」 ここは白虎隊の仮埋葬地。 慶応4年8月22日滝沢本陣から出陣した白虎隊士中2番隊は慣れない激闘の後ようやく飯盛山上にたどり着く。 そこから見たものは燃え盛る天守閣だった。 「城が燃えている!」 そう思い込んだ20名の隊士たちは衆議一決自刃して果てた。 白虎隊士の遺体は誰も手を触れることが出来ず、野ざらし状態であったが牛ヶ墓の吉田伊惣治はあまりにも哀れに思い夜な夜な遺体を菩提寺の墓地に埋葬したのである。 よってここは白虎隊士最初の埋葬地である。 (妙国寺 白虎隊士埋葬由来より) ここには他に容保候の使った御膳とか古写真とかがあるらしいが、一般公開はされていない。 そこからてくてくと歩いて滝沢本陣へ。 このあたりは昔からのお家が多く、土蔵のある家が普通に生活してる! ~滝沢本陣~ 飯盛山のすぐ麓。 横山家住宅。 江戸時代に参勤交代や土津神社参拝の折の休息所として使われたところ。戊辰戦争時本陣となり白虎隊はここから出撃。 土方さんも容保候を護衛してここへ来ている。 この御屋敷には昔からの生活用品や、貴重な古文書など多数の宝物が陳列されています。 そして、新政府軍が攻め込んできたときに付けられた弾痕の貫通跡や、刀傷、砲弾の刺さったままの柱など胸の痛くなるものがたくさん。 このほかにもいくつもの悲惨な痕が残っています。 だけど、藩主の休憩所らしく心和む御庭が残り御紋の入った杯や、矢筒なども残っています。 ~飯盛山~ さざえ堂の先、白虎隊士の墓所の近くには「会津藩殉難烈婦の碑」や白虎隊士への弔歌を詠んだ容保候の歌碑 「幾人の涙は石にそそぐとも その名は世々に朽じとぞ思う」 源 容保とあります。 また、白虎隊士の鎮魂碑も容保候が揮毫しています。 ~大龍寺~ 白虎隊士のお墓参りをして山を降りたら、お団子と玉コンニャクをいただいて一休み。 山登りだったからね~。結構キツイよね。 さざえ堂も登っちゃったからね。 このおだんごがまたおいしかったよ~!元気ハツラツぅ~ 市内循環バスのはいからさん。一度は乗ってみようと思ってたけど、なんと予定ルートの逆周りしかない!そりゃないゼ… そしててくてく歩くことに…。 親切な会津の人に道を聞きつつ次に向かったのは大龍寺。 容保候の側室、田代佐久が容大さんを産んだところです。 ここには特に何にもないかな~と思っていたけれど いやいや、ちゃんと「戊辰戦争殉難殉節供養の碑」があり、会津藩士の神保内蔵助さんをはじめ、林権助さんなどの他、唐津藩小笠原長行家臣の名前も沢山あります。 ここまでも結構歩いたのでずいぶんくたびれたな~と思いつつ、もうそろそろ愛宕神社。 つづく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年02月17日 22時12分47秒
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