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2006年01月30日
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カテゴリ:桑名藩
中島三郎助まつり」に触発されてこんな発見を!

服部半蔵正成(まさなり)~超有名な家康の部下というか忍者集団のおかしら
その子孫にあたる12代目の服部半蔵正義(まさよし)は弘化2年(1845)9月うまれ。
慶応元年(1865)21歳のとき家督を継ぎ、桑名藩家老となりました。

えっ!定敬さんの家来!?

なんと初代服部半蔵の息子、石見守正就(まさなり)の妻は桑名藩主松平定勝の娘で、正就が暇を出されたため妻は3人の息子を連れて実家にもどり息子たちは松平家の家臣に。

その後、松平家は松山、桑名、今治に別れ、息子たちもそれぞれの地に別れましたが次男の石見守正辰(まさとき)は桑名松平家の親族として代々続いたのです。

さて、当時桑名藩主松平定敬は京都所司代として京都で活躍、半蔵も京都に在住して藩主を補佐していました。
翌慶応4年正月の鳥羽伏見の戦いに半蔵も参戦しましたが、周知の通り敗走。
藩主定敬にしたがって大阪から江戸を経て越後柏崎へ転戦、軍制の建て直しの後御軍事惣宰(おんぐんじそうさい)となり桑名軍全軍を指揮した

しかし、東北各地の藩が降伏したため9月26日に庄内(山形県鶴岡市)で降伏。

う~ん、土方さんとは微妙に会わないなぁ
いや、柏崎から会津に来たからそのときに会ったかもね

明治2年11月、戦争責任者として森弥一左衛門陳明(つらあき)が切腹して桑名藩への戦後処理が完了。桑名藩は再興され、半蔵は桑名藩大参事や第三大区長(桑名郡長)などを務めました。
明治19年に桑名で没

ちなみに戦争の責任を一身に背負って切腹した森弥一左衛門陳明は藩主定敬に従って箱館まで渡り、新選組に加入(←藩主についていきたいなら新選組に入れって土方さんが言ったから;)
箱館新選組では隊長格である改役だった、森常吉のことです

森常吉は文政9年(1826)江戸八丁堀の桑名藩邸で生まれ、後森家へ養子に入り万延元年(1860)には藩の大目付となります

え~っ!土方さんより9歳も上じゃん(゚O゚;)

藩主定敬らが柏崎方面で激戦を繰り広げていたころ、江戸で彰義隊に加わり上野戦争に参加、撤退して仙台で定敬と再会したのです。

そして弥一左衛門は森常吉と改名して(藩に迷惑はかけられないと脱藩もしたとか…)新選組に参加、蝦夷へ渡ったのです。
そのとき一緒に蝦夷に渡った仲間に「戊辰戦争見聞略記」を残した石井勇次郎がいます。

戦争責任を取って切腹したことにより森家はこの日断絶
辞世は

なかなかに 惜しき命にありながら
  君のためには なにいとうべき


話がそれましたが
桑名藩の家老としてもう一人ちょっと謎な人物が
酒井孫八郎この方、上記の服部半蔵の弟らしいのですが1845年生まれなんですよ。
服部半蔵は1845年9月生まれ。
孫八郎は11月17日生まれ。
一体これはどういうこと?

とにかく、半蔵とは実の兄弟らしい(←アヤシイ…)
こちらの家老は留守家老として桑名城に居て藩論の統一を図った。
鳥羽伏見の戦いの後藩主定敬が江戸へ脱出、柏崎へ転戦したため、前藩主の子を立て、亀山藩の仲介で朝廷に嘆願書を出し、桑名城を明け渡した

勝手にそんな…。いいの?

その後、箱館に渡った定敬を帰藩させるため箱館に渡り説得し連れ帰る
このとき明治元年12月29日から翌年3月4日までさかんに土方さんと会って相談してる。
そして4月13日定敬は箱館を離脱している
この辺の藩主と新選組に取り残される形になった森常吉や石井勇次郎らとの別れは涙を誘う。(T_T)

何だ、中島三郎助さんとの接点はないじゃんか!とおもうでしょ。
でも服部半蔵さん、浦賀にペリーが来航したときサスケハナ号に乗ったらしいんですよ。
ちらっと耳にしただけなのでなんで?とか本当?とかギモンも沢山あるんだけどちょっと調べてたら土方さんとの意外な接点に驚いてギモンそっちのけで突っ走りました(爆)

なので真相はまたそのうちに…(←本当か?をい;)



「戊辰戦争見聞略記」石井勇次郎
「新選組・彰義隊・白虎隊のすべて」
桑名市HP参考






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最終更新日  2006年07月07日 20時14分00秒
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