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カテゴリ:本と歩くのだ
2021/08/18/水曜日/晴れ暫し強い雨
念願叶い 吉村昭記念文学館へ 彼の『彰義隊』を読んで会津まで墓参に出かけたのは昨年のこと。それを踏襲して元上野寛永寺の表門が納められ、会津藩士が祀られている円通寺に先ず足を向ける。 目白駅から学習院前を過ぎ、千登世橋を折れて都電荒川線の鬼子母神前田美波里停車場から円通寺の最寄りである終点三ノ輪駅までゆく。 さくらトラム?やっぱり都電荒川線です。/目白小学校150年記念の像/千登世橋の竣工は昭和7年。土木技術の上からも価値ある一つらしく親柱のデザインは最近手を入れた模様。線路向こうのフランクライドライトの明日館の影響を覚える。/三ノ輪の路地裏 立派な黒門には夥しい数の銃弾痕があり、戦闘の激しさを伝える。/この一角に荼毘に伏された隊士の碑が祀られている。/新政府が行った暴虐は、隊士らの亡骸を引き取ることを許さず野ざらしという、武士には耐え難いものであったあった。/そこに手を差し伸べたのが寛永寺出入りの神田の商人と円通寺23世和尚だった。/その縁があっての黒門と彰義隊なのだ。 円通寺縁起によれば坂上田村麻呂が開山の伝説故か、何とも血生臭い伝承の最たるものは、小塚原の地名の元ともなった源義家が奥州平定で持ち帰った四十八の首を収めた塚とその供養塔だ。 ここから10分も歩いた所には荒川の縄文からの遺跡が見られる歴史館がある。 さて三ノ輪の駅まで突然の雨に打たれながら3.4駅先の吉村昭記念文学館へ。館の文芸員の方の丁寧な説明もいただき、吉村昭がより身近に感じられた。 彼のご両親は意外にも東京ではなく静岡出身の方だった。また敗戦の前後に両親を失くし家も戦火で消失。何より敗戦を挟んで世界がガラリと変わり、かつそれに瞬く間に順応していく人びとの姿を目の当たりにした多感な少青年期に肋膜炎で我が身も明日もしれない、これらの背景が彼の作品の芯にあると理解された。 かねてより、そして新たにいくつか読みたい作品も浮かび上がる。 帰途、庚申塚のお煎餅屋さんに寄り道したら閉店。コロナ蔓延以降、こういうケースが多い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.08.18 22:16:00
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