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テーマ:洋館の記憶(35)
カテゴリ:洋風建築
2021/08/13/金曜日/大雨小雨
歴史教科書にも登場したジョサイア・コンドル。彼は三菱財閥お抱え建築士となり予算度外視のお屋敷を設計した。かねてより訪ねたいと思いつつようやく出かけることができた。 庭園と名がつく割には工事中ということもあってかさほど感心する庭ではないし、思ったより狭い。何しろ清澄白河庭園も岩崎家の、のイメージが先行したので。 けれども調べてみると、矢張り元はかなり広大でテニスコートや温室や厩舎もあり、日本建築住居の方ももっと広かったようだ。 ![]() もっと充実したこのお屋敷に岩崎3代目の久彌は50年暮らしたという。久彌はアメリカで学びそのライフスタイルが身に付いていたことだろうが、コンドルは英国出身なので細部仕上げなどは英国仕込だろうか。 洋館外壁の色はどことなくエディンバラのストーンカラーに近いような蜂蜜色。 ![]() 左2枚は撞球室。洋館ホールから地下通路を通り、雨に濡れることなくビリヤードが楽しめる。校倉作りの、スイスのシャーレのような佇まい。私的にはこんな小屋?に住めたらなぁと。 室内で一番美しく目を引いたのは玄関ホールの暖炉を飾る緑色のタイルと窓飾り金物とテラス床のモザイクタイル。このモザイクタイルは英国王室御用達ミルトン社製で、当時住宅に用いられることは英国でも稀だったとのこと。 撞球室といえば、同志社大学の古い男子寮アーモストだったか、そこにも居間に面し一番明るいところに撞球室があったと記憶する。大学設立に当たり新島の呼びかけに応じて岩崎弥之助、久彌二人で八千円、渋沢栄一五千円の当時としては破格の寄付をしている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.08.30 20:49:45
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