『戦争画リターンズ 藤田嗣治とアッツ島の花々』
2024/04/26/金曜日/西へ東へ南へ花粉多少〈DATA〉出版社 芸術新聞社著者 平山周吉2015年4月20日 初版第1刷発行〈私的読書メーター〉〈本タイトルは意外にも物議を醸す現代アーティスト会田誠の展覧会から。彼の作品に藤田のアッツ島玉砕を読み重ね、過日著者が向き合ったその絵の背景を縦横に追う。編集者由来の執念を覚える。閑話休題、会田誠は社会学教授実父を疎い、父三島由紀夫、祖父小林秀雄を仮想しているとか、笑う所か呆ける所か揺れる。藤田の揺れ方もそのサービス精神においては三島同等か。しかしアッツ島を観た刹那、私はこれを反戦画であると直感したしゲルニカにはこんな動揺を持たなかったことを思い出す。岡本太郎には自身の同心円拡大芸術の一つのカタチを見る。〉我が市の図書館にはこの本の所蔵がない。ふん、何が平和都市宣言か。選書会議をまともに持てるほどの人材もおらぬかと毒づきたくもなる。したがって随分待った上に2週間ポッキリで返却せねばならぬ。中5日は旅行で不在。同じ著者による小津安二郎の本だと全然間に合わなかっただろうが、これは比較的早読みが可能だった。また、私の関心の寄せる分野でもあった。藤田嗣治は、現地に行かず、というより現実的には行けずに取材や写真を通してアッツ島玉砕を描いたのである。しかしその絵が現実と同じ力を持って戦争の悲惨な痛哭を観るものに訴え来るのだ。この絵は絵以上なものである、と直感した著者がその絵の根源を探っていく、そんな本である。本書にはアッツ島で玉砕した一兵卒と部隊長の実例が詳細に取り上げられている。花巻出身で帝大を繰り上げ卒業した太宰治の弟子にして詩人、三田循司の父が10年後、アッツ島に骨をかひろいに行く章の、父の哀切。部隊長山崎保代の境涯も涙無くして読むことはできない。このご家族のもつ、日本人とは何かを語りうる佇まいは、もはや令和の世で見つけることは無いだろう。 私たちが平和で民主的であろうとして失ったものも確かに存在するのだ、という事実は相当苦しい。 藤田の父は森鴎外の後任として陸軍医総監になった人物で、息子から画家になりたいと聞くと森鴎外に相談した。そんな環境で育った彼は親類縁者から戦局の機密も漏れ聞いたことが想像されるのだ。まして欧米に芸術家として受け入れられ、世界的視野をもつ藤田は、あれだけの戦争ゆえに転倒したとはいえ、その芯の芯は近代を凌駕しているように思われる。花々。北限の、短い夏を命を燃やし咲くアッツ島の花藤田が観想でとらえ、杉山吉良が歳月を超えフィルムに捉えた花の姿そこに托されたのが著者の、藤田アッツ島玉砕という戦争画への祈りでもあるのではないか。ところで、ここでも小林秀雄である。平山周吉氏は、大叔父小林秀雄と仮定かな?かなりな敬愛ぶりだ。同時に読んでいる橋本治と同じ引用を見つけたが、私もこの小林秀雄の啖呵にはしびれる。「僕は無智だから反省しない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか天皇制の問題も単なる政治問題ではないでしょう。それは単なる政治的判断ではないからだ。日本国民という有機体の個性です。生きている個性です。不合理だからやめるというわけには参らぬ。個人でも強い人間は飽くまでも天賦を生かして行くでしょう。短所欠点さえ美点に変じて生かすでしょう。偉い人は皆そういうことをやっている。日本国民がもし強いなら、天皇制を生かすでしょう。」平山周吉は『小津安二郎』から2冊目この人の日本人へのアプローチが好きだ。しかし、この人には蒋介石を書いてもらいたい。蒋介石を通して日本人を見る。なんて。