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カテゴリ:昔話
以前に何度かサラッと書いたことがある気もしますが、実はもう20数年前になるけどバイクで日本全国を縦断してた時期があります。 テントと最低限の野営道具をバイクの後ろに積んで、半ば衝動的に旅立ってしまったんですな。 ちょうどそのころ、働いてた店を退職して暇と時間がありまして、次の仕事先は決まってはいたんですが、その店は作業スペースが一人分しかない小さい店で、俺の前任者が辞めるから俺が募集で選ばれたんですが、その前任者が抜けるまでに2~3ヶ月あったわけです。 んで、ある日の朝起きて、ふと衝動的に思いついたのです。 「そうだ旅に出よう」と。 まぁ当時はプライベートでも色々大変でメンタル的に疲れてたのもあったんでしょうけど、思い立ったが吉日で、さっそくテントを引っ張り出し、野営道具を梱包しバイクに括り付け、ツーリングバッグに荷物を詰め込み旅立ちました。 とはいえ、目的地は旅立った時点でまだ決めてなくて、ただ秋が終わり冬が来る前だったので「まぁ南だな」と、なんとなく考えました。 とはいえ、当時住んでたのは埼玉なので南と言うより西ですが。 とりあえず西に進むなら東名高速か中央道のどちらかに乗るんですが、どちらも名古屋あたりに行き着くので「どっちも変わらんな」と何の考えもなく夕暮れ過ぎに中央道に乗りました。 …えぇ、繰り返しますが季節は「冬の夕暮れ時」です。 東名高速道はザックリ言えば海沿いを走る。 中央道は山梨から長野の山岳地帯をぶった切りながら走る。 マトモな脳ミソのライダーなら冬の夜中に山岳横断ルートなんぞ選ばないわけですが、そもそも当時の俺はマトモなライダーじゃなかったんでしょう。 いやぁ、死にかけました。 気温がどんどん下がる中、パーキングエリア見つけるたびに缶コーヒーを飲んで暖を取り、いざ出発しても走り出して5分でもう寒い。 指先の感覚は革グローブしてるとはいえ関係なしに薄れていき、走りながら交互に片手でエンジンを触りながら暖めるという、冬のライダーが誰に教わるでもなく会得する技術でなんとか指の感覚は維持してたけど、全身的に体温が下がったころに次のパーキングエリアに飛び込んで、誰もいない夜中の自販機コーナーの屋内で暖を取る…の繰り返し。 下も革のライダーパンツ履いてるのだが、これもライダーならわかると思うけど、革パンは少しの時間なら外気温を遮断してくれるけれど、一度冷えてしまうと保温機能は期待できない。 しかも今と違い、当時のサービスエリアなんか、よほどの大型のサービスエリアじゃない限り、24時間営業の飲食店なんかない時代。 当時のオレのライフラインは缶コーヒーだけで保たれていた。 あまりの寒さに「一度高速を降りてどこかで朝まで耐えるか?」を考えたが、もちろん当時はナビなんかない。手にした地図だけが頼りだが、あんな信州の山中のど真ん中で夜中に放り出されたらガチで遭難しかねない。 オレはツーリングなんかでも自然と東西南北の位置関係が脳内地図で把握できてる天然測量スキルを備えてるので、あまり迷子にならない上に、迷子になっても勘で生還できてしまう方向感覚を持ってるのだけど、それはあくまで日中の話で、太陽の位置と時間からなんとなく漠然と把握してるだけである。 あんな真冬の夜中の山岳部じゃ空見上げたって月や星はキレイだろうが、オレは天文学者じゃないので北極星の位置から六分儀で現在地を割り出すみたいな航海士みたいなスキルはさすがにない。 結局、泣きそうになりながらも再び走り出すが、そこに救いの救世主が登場。 大型の10tトラックが寒さで凍えながら走るオレの脇を通り過ぎていく。 その時、オレはほぼ本能的にそのトラックの真後ろに車線変更した。多分あれは無意識と言うか、俺の防衛本能だろう。 「あ…ここいいかも」 10tトラックの真後ろを追走しながら排気ガスで暖を取り、更に風除けにも使う。ぴったりマークである。 今なら確実に「煽り運転じゃねーか!」と怒号が飛ぶくらいの超至近距離で排気ガスヒーターを浴びながら10tトラックのスリップストリームに吸引される距離で追走。 時速100キロ、視界ほぼナシ、大気中のCO濃度特濃。 …ただの自殺志願者であるが、当時寒さで脳が機能低下してたオレには楽園のようなスペースに見えた。 もし当時、このまま一酸化炭素中毒で死んでたらオレは確実にダーウィン賞を取れたのではなかろうか? 「いやぁ、なんか暖かいと眠くなってくるな」なんて思ってた。 今なら声を大にして教えてあげたい。 「お前それ気温ちゃうぞ、ブラックアウト寸前じゃねーか」と。 さすがにバカの俺でも、しばらく排気ガス暖房を浴び続けてれば「あ、これアカンやつやん」と気付く。 そんなこんなで、なんとか未明の時間帯に名古屋に到着。 時刻は夜中の3時過ぎくらいだったと記憶してる。 とりあえずコンビニでおでんと肉まんを買い腹を満たし暖を取る。 そして近隣地図とガイドブックを立ち読みしてたら、どうやら金城ふ頭と言う場所から沖縄行きのフェリーが出てるという情報をキャッチ。 「沖縄か…有りだな」 ただ、出航は朝の10時という。 まだ夜も明けてないけど、とりあえず名古屋のフェリーふ頭に向かってみた。 料金が何故か人間よりバイクの方が高い事に疑問だったが。 港の駐車場についたが、当然まだ夜明け前なので開いてない。 駐車場には車が数台。多分俺と同じフェリー待ちだろう。 港湾施設の方じゃずーっとフォークリフトの音がしてたので、客船と言うよりは貨物メインなのかな。 寒さに凍えながら駐車場でコーヒー飲みながらタバコ吸って「あと5時間も待つのか。一度市街地に戻るか?」とも考えてたら、近くにいた車から若い兄ちゃんが降りて来た。 なんでも夜明けまで車で仮眠しようとしたけど、フォークリフトの後退ブザー音と港湾施設の重機の音で寝れないから起きたら、この寒空で震えてるバイク乗りが目に入ったからと。 お互いに船が出るまで暇だし話し相手には丁度いいと車の中に入れてもらい、とりあえず寒さからは逃れられた。 「あのバイク、大きいですね。何ccですか?」 「1100ccですね。あのクラスの中じゃコンパクトな方です」 「へー限定解除持ってるんすか、大変なんでしょ?あれ」 「最近は2~3年前から大型二輪も教習所で免許取れるようになったので乗る人増えてますよ。ボクは試験場受験で4回落ちましたけど」 みたいな他愛もない会話をしつつ、どうやらその兄ちゃんも観光で沖縄行くらしく、沖縄は電車が無いから車で自由に走りたいということらしい。 まぁ、わざわざ車を運ぶのも金かかるし確実にレンタカー借りた方が安いのだけど、そこはオレも人の事は言えないし、自分で走りたい気持ちはツーリストなら理解もできる。 そんな感じで時間潰してたら夜も明けてフェリー乗り場の職員が原チャリで通勤してきたのが見えた。 乗り場が開けば随分と待つのも楽になる。丁寧にお礼を言いつつ、暖を取らせてもらったお礼に缶コーヒーを渡す。 前日の高速乗るところから半日で多分缶コーヒーだけで千円以上買ってるな。人生で一番缶コーヒーを飲んだ日は確実にあの日だろう。 フェリー乗り場にバイクを乗り入れると係員がバイクを固定してくれるのだが、縛るロープのロープワークが明らかにおかしい。 ブレーキホースやワイヤー類もお構いなしにロープ掛けて引っ張ろうとしてたので「あ、自分でやります」と制止して自分で縛った。 ホース切られたりワイヤー折られたらこの先の道中が危い。こちとら本職である。 他にバイクが2台ほどいたけど、多分あの縛り方だと波高い日は倒れんじゃないかな?バイクあまり運ばない船なんかな?あんま慣れてないみたいだったし、スペースも明らかに車庫の隅に急ごしらえで作りましたみたいな陳腐な感じだったし。 フェリーと言えば、安い客室は大部屋で雑魚寝、みたいなイメージだったのだけど、そのフェリーはベッド6床の部屋で先客が3人いました。 … … というか、客室で埋まってる部屋は2部屋位で、あとは閉まってたし、そもそも乗客自体が見たとこ10人くらいしかいない。 …採算取れるのか?貨物メインで稼いでるのかな? とりあえず沖縄までは一度大阪を経由するらしく46時間だそうで、丸二日を共にする同部屋の人に自己紹介と挨拶をする。 部屋にテレビがあって、係員にリクエストすれば映画も流してくれるとのことなので、部屋の人に聞いて「とりあえずお任せで流してもらおう」ということになる。 フロントにその旨を伝えて部屋に戻りテレビをつける。 タイトルがじゃーん! 「トラック野郎 望郷一番星」 オレ含め部屋の4人、それこそドリフの学校コントばりに全員ズッコケた。 なんでこれから南国沖縄行きの船の中で釧路で鮮魚運んでるトラック観せられてんだよ。係員のセンス致命的に無さすぎだろ。 とはいえ他にやることも無いので、渋々2時間、菅原文太を眺め続け、やっとエンディングが終わって「次は何が出てくるかな?もう少し新しい映画が良いよ俺」とオレの下のベッドのオジサン。 しばらくブルースクリーンが続き、次はどんな映画なのか?と皆で画面を注視。 じゃーん! 「トラック野郎 度胸一番星」 「ダメだこれ、沖縄つくまでに全シリーズ観せられるぞ!」 「文太耐久レースか!」 「おれフロント行ってくる!」 客室満場一致の抗議により、トラック野郎2発目は開始10分で放送中止となり、代わりに流されたのは… 「E.T.」 オレは諦めて寝た。 徹夜で冬山をバイクで走ってきた後に菅原文太を見せられ、今度は宇宙人だ、勘弁してくれ。 まだ昼前だったけど睡魔には勝てん。 結局変な時間に寝て、変な時間に起きて、夜の甲板でずーっと海と空を見てました。 トラック野郎観るよりは十倍は有意義な時間でしたな。 当時、携帯電話はありましたが、海の上は電波が入らないしネットも繋がらない。 ただ、デッキと言うか甲板は出入りできたので、日中はずっとデッキで持ちこんだ本を読んだりしてました。 同部屋の人達とワイワイ話したり意外と時間つぶしには困らなかったな。 ただ、外洋に出ると船が意外と揺れた。 あれだけ大型の客船なので、そこまで激しく揺れないけど、乗り物に酔う人はきついかもしれない。 オレは壁とかに手をつきながら歩いてたけど、乗務員の女性はヒールみたいなの履きながら揺れる船内をツカツカ歩いてて「すげーなー」みたいな。 その日の夜は、もう翌朝には那覇新港に到着するというアナウンスがあったので、初めての沖縄に心躍らせながら寝ました。 なんか無駄に長くなったので続編に続きます。気が向けば(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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初めましてなんですが、言わせて貰います。
ちょーーーーーーー!! なんでこれから面白くなるって所で終わっちゃうの??? しかも続きは気が向いたらなんて… ナ マ ゴ ロ シ💀 読み始めた切っ掛けは何だったのか忘れましたが、一回読み出すと内容のボリュームや考察眼、文章の構成、その他諸々、 いやー強烈なインパクトで一瞬で虜になりました。(ほんとに) そこからは、第一回まで遡って全部読みました。 最初は【黄さん】でしたっけ? よく分からずに、中国人?なのに日本語が達者だな~と思ってました! ゴメンナサイ! 落語の話、政治の話、自衛隊の話、歴史の話、全て面白いです! でも、野村さんの日常が垣間見えるはなしも面白いです! 早い話、全部なんですけどね。 これからも【戯言】がアップされるのを楽しみにしてます。 長々とすいませんでした。 (2020年05月21日 09時45分11秒)
たけぞうさんへ
はじめまして、ようこそ。 書きながら「これニーズあるのかな?」とか思ってましたが、そういう事なら近いうちに続編書きますよ。 黄というのは、ブログ始めた当時に某ゲームでオレがキャラにテキトーに名付けてた黄梁牙という名前からそのまま取ってたんです。 しかし、記事だけで700以上ある気がするんですが全部読んだ人って多分いないと思います、なんならオレも自分で見返した事ないので(笑) その時思ったことを思うまま書き殴って放り出すというのが基本スタイルですが、過去の旅日記は初かもしれません。 ただ、日本縦断記を全て書くとマジで本が一冊できる長さになるので、全部は書けませんけど。 (2020年05月21日 22時51分56秒)
puttysmith黒猫さんへ
なんだかんだ14年くらい書いてるので最初から読むと日が暮れます。でも1ヶ月以上更新が無い期間とかもありますけど。 (2020年05月22日 22時45分27秒)
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