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弁護士YA日記

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日出町法律事務所
2019年6月より1年間、日本弁護士連合会客員研究員としてイリノイ大学アーバナシャンペーン校に留学後、弁護士業務を再開しました。
弁護士葦名ゆき(あしな・ゆき)
2012.10.27
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カテゴリ:東日本大震災

現在、福島から静岡に避難されてきた方々の代理人として、原子力損害賠償紛争解決センター(通称ADR)に申立を行っている事件が数件ある。

依頼者方々の元々の居住地は、帰還困難準備区域、緊急時避難準備区域、何の指定もされていない区域と様々で、いずれの案件も、現段階では終局的な解決に至っていない。

サンプルが少ない上に、最終的な結果が出る前の途中段階ではあるが、ADRを実際に利用した被害者側の代理人としての現時点での率直な感覚を言葉にしておきたいと思う。

まず、一様にいえるのは、どの案件でも、かなりの時間がかかっていること。制度設計としては、3ヶ月程度の解決を目指すということになっているが、私の担当する案件では、一番遅く申し立てた案件でも既に3ヶ月が経過しており、「迅速」な解決とは程遠い。

時間がかかっている原因は、関係当事者の数が多く(調査官、仲介委員、申立人&申立人代理人、東電代理人の少なくとも4者)日程調整が困難であること(この点は自分にも責任があります)、本人申立が多く調査官による補足的な調査が必要になる案件が多いこと、ADRの調査官や仲介委員の人員が申立案件数に照らすと相当不足していること等の原因もあるが、最大の原因は、ADRの制度設計もしくは運営指針にあるというのが私の見方である。

以下は、私の個人的体験に基づく個人的な感想にすぎないことをあらかじめお断りしておく。
また、挙げている例は、事案の特定を避けるために、複数の事案を意図的に混ぜたり改変したりして取り上げている。

1,当事者主義を前提にしている

 ADRの基本的スタンスは、当事者同士で合意できる点をまず探し、合意できない点につき、仲裁に入るというものである。ADRが、裁判所での調停手続きと同様、仲裁を本質とする以上、一般論としては、当事者主義は正しい姿勢のように思われる。
 


 しかし、原発事故損害賠償の場合、一方当事者は、常に大企業東京電力株式会社であり、被害者である申立人とは組織力、財力、時間的余裕等のあらゆる面で圧倒的な力の差がある。
 この結果、ADRの俎上にある紛争においては、東電の意のままに争点が作り出されているという実態がある。

 たとえば、東電は、ADRを経由しない東電所定の書式による直接請求では証拠がなくても認める請求も、ADRでは「立証なき限り無理」という対応をしてくる。

 また、先日、別記事で書いた通り、東電は、「避難生活に不可欠ではない」などの恣意的かつ独自の基準を打ち立て、明確な証拠がある請求でも賠償を拒否する。
 上記の対応によって、まさに東電によって争点が作り出されてゆく。
 
*「避難生活に不可欠ではない」基準の詳細はこちら
http://plaza.rakuten.co.jp/yyy0801/diary/201209080000/

2,「立証させること」にこだわりすぎている

 このように東電の意のままに増やされた争点に対して仲裁する立場のADRは、私の目からみると「立証させること」にこだわりすぎているように思われる。

 確かに、ある主張をする際に「立証」が必要なことは、法律家にとって常識である。
 しかし、このADRにおいては、通常の紛争とは異なり、立証をする「当事者」は、東電ではなく、常に100%被害者にある。

 地元にとどまっている被害者ならともかく、避難者の場合、現在の居所が、証拠資料が集中している元の居住地から遠く離れており、「平成23年度の源泉徴収票の取り寄せ」という一見簡単そうに見える作業ですら、困難を極める。
 


 元の勤務先がそもそも現在も存在するのか、存在するとしてもどこに連絡を取ればいいのか、初期段階で躓く。また、勤務先が現在も地元に存在している場合であっても、事故から1年半の時の経過で、地元にとどまった人、避難した人の心の溝は、実際の距離以上に深くなっており、「賠償請求のために源泉徴収票を発行して下さい」ということを気軽に依頼できる関係ではない。

 それにもかかわらず、ADRにおいては、東電が否認したために「争点」になってしまった請求につき、「立証」を求められる場面がとても多い。

 たとえば、避難先の親族宅で「謝礼」として支払った金額について、「領収書」がないか、「領収書」がないとしても、「いつ、いくら払ったのか明らかにする陳述書が出せないか」などと問われる。
 しかし、社会的常識として、たとえば子どもを連れて身を寄せた娘から受け取った謝礼に領収書を発行する親などいるだろうか。家を出る際に、謝礼としてまとまった現金を払う娘などいるだろうか。

 娘の方は、身を寄せた謝礼として、現金も支払うかもしれないが、どちらかといえば、積極的に買い物に出かけ両親の分の食費分も負担するとか、庭仕事や食事作り等の家事を手伝うとか有形無形の形で感謝の気持ちを示そうとするだろう。
 親の方も、娘が示す感謝の気持ちをいちいち記録等しないだろうし、ましてや、領収書など発行する親などいるはずもない。

「親族への謝礼」分の請求は、その性質上、立証困難であり、そうであれば、そもそも、被害者に立証をするよう要求すること自体、控えるべきではないだろうか。
 当事者の主張を聞いた上で、合理的な範囲で、ADR側で和解案を出せば済む話ではなかろうか。

 また、避難時にやむを得ず置き去りにしてきた家族の一員であったペットの犬が、一時帰宅の際に、骨と皮ばかりにやつれていたものの何とか生きており、その治療代の請求書を証拠資料とした事案では、因果関係を証明するために「診断書」の提出を求められた。東電が、「原発事故との因果関係が不明である」という認否をしてきたためである(この回答自体、冷酷この上ない)。

 しかし、「診断書」の発行には獣医の協力が必要であるところ、従前の状態を知らず、原発事故後、初めてその犬を診療した避難先の獣医に、「原発事故のために栄養失調になった」とまで踏み込んで書いてもらうことはなかなか困難なことである。

 この事例についても、東電の否認を真に受けずに、置き去りにしてきた原因が原発事故にあることは明白であるとして、これ以上、被害者に立証をさせる必要はないのではなかろうか。

 こうした追加的な「立証」の作業そのものが大変であることはもとより、多くの被害者は、追加的な立証を求められることで屈辱感で心が折れていくように見える。「金が欲しければ立証してみろ」と言われているように感じてしまうのである。

3,大胆な基準が打ち出されない

 また、ADRが、悪い意味で中間指針に忠実であるあまり(この点はそもそも中間指針に根源的な問題がある)、なかなか大胆な基準が提示されない傾向がある。勿論、個々の事例では、画期的ともいえる和解案が示されている例もあるのだが、一般則になっていないため、申し立てて主張してみなければ、どこまで認められるのか分からないという状態になっている。

 申立人代理人の立場としても、事故から1年半が経過しているのに、申立前に見通しを立てることができず、依頼者への説明が「直接請求と比べてどれくらい上がるか今の時点では分からないけれど一か八かやってみましょう」といった曖昧な説明しかできないことに焦燥感を感じる。

 そうすると、事案によっては、結果的に、東電への直接請求と金額がほとんど変わらないというものも出てくると思われる。
 避難生活で物理的にも精神的にも余裕がない被害者にとって、「時間がかかる上に金額が上がるかどうかがやってみなければ分からない、結果的にも直接請求とたいして金額が変わらなかった」という手続きは、使い勝手が悪すぎる。

 ADRが現状のままであれば、ADRの使い方として、東電への直接請求をした上で、どうしても譲れないところをADRを使うという二本立てが現実的であるという考えも大いにあり得るような気がしてくる。
 
 ただ、現場の実感として、二本立てが現実的とも思われない。
 多くの被害者は、賠償項目のすべてが不満なのであって、どうしても譲れないところを特定できる人の方が少ない。
 また考えてみればすぐ分かることだが、合わせ技は手間暇がかかる迂遠な方法であり、やってみなければどうなるか分からない手続きのために立ち上がる時間的、精神的余裕は多くの被害者にない。

 今の状態を放置すれば、ADRは、被害者救済の役割を十分に果たせないように思われる。
 ADRの制度設計ないし運営指針を抜本的に見直さなければ、いずれ機能不全に陥ってしまうのではないだろうか。
 
 なお、お断りしておくが、本記事は、ADR制度自体の問題を指摘することに意味があり、個々の事例における調査官、仲介委員の個人攻撃をするつもりはまったくない。調査官や仲介委員にもいろいろな人がいるという噂は聞くが、私が接した方は、皆、職務熱心で誠実な方ばかりであった。

 この記事は、被害者の立場を代弁する現場の弁護士として、肌で感じる危機感を一度言葉にして整理しておきたい一心で書いた。

 ADRが機能不全に陥った場合、喜ぶのは誰か、困るのは誰か、すぐに分かることだ。
 そして、ADRに魂を入れるためにどうすべきかを、被害者側の代理人を含め、すべての関係者が真剣に考える必要がある。


 原発事故の被害者救済は、良くも悪くもまだまだ始まったばかり。
 All or Nothing にならず、粘り強く打開策を探していく必要がある。私も、一人の弁護士として、決して諦めることなく投げ出すことなく、被害者のためにできることを続けていきたいと思う。






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Last updated  2012.10.28 23:12:31
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