000000 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

弁護士YA日記

弁護士YA日記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

YYY0801

YYY0801

Calendar

Category

Free Space

〒420-0837
静岡市葵区日出町5-3
TEL 054-269-4590
FAX 054-269-4591
http://hinodecho-law.jp/
日出町法律事務所
2019年6月より1年間、日本弁護士連合会客員研究員としてイリノイ大学アーバナシャンペーン校に留学後、弁護士業務を再開しました。
弁護士葦名ゆき(あしな・ゆき)
2013.10.16
XML
カテゴリ:東日本大震災
10月始めに、日本弁護士連合会の最大のイベント、人権養護大会にて、「放射能による人権侵害の根絶を目指して~ヒロシマから考える、福島原発事故と被害の完全救済、そして脱原発へ~」と題するシンポジウムが開催された。

このシンポジウムに、私にとってもっとも近しい友人の一人であると同時に、心から尊敬している仕事仲間でもある渡辺淑彦弁護士が登壇し、今春、チェルノブイリを視察した際の報告をされた。私は、シンポジウムには駆けつけられなかったが、後日、渡辺さんから、報告の文字起こし原稿を頂き、渡辺さんの魂が込められた言葉の力に深く感銘を受けた。

渡辺さんの勤務する場所は、原発事故被害の最前線であるいわき市。
想像を超える忙しさの中、敢えてチェルノブイリへの視察を強行したのは、この2年半、もがき苦しんできた闇を一瞬でも照らす希望の光を見つけたい、その一心だったと思う。

物見遊山の観光旅行ではない。常に自らの置かれた環境に置き換えながら、感性を研ぎ澄まし続けての視察では、得るものも勿論多かっただろうが、比例する形で精神的な負担も相当大きかっただろう。
そしてまた、その視察報告を、多くの人に伝えられるように整理する作業は、困難極まりなかったのではないか。

何度も読み返しつつ、ただただ頭が下がった。
チェルノブイリに行くことだけなら誰でもできる。
でも、この報告は、渡辺さんにしかできない。

この魂の報告につき、渡辺さんに掲載の許可を頂いたのだが、ブログの設定の制約上、1記事に収まらず分割すると読みにくくなってしまうため、津久井進弁護士(災害法の第一人者であり、個人的にも大ファンです!)のブログにてご紹介されている全文を、一人でも多くの方に、読んでいただき、一緒に、原子力発電所の未来を考えていただきたいと思う。

http://tukui.blog55.fc2.com/blog-entry-918.html#comment


なお、私は、原子力発電所の未来に関する結論としては、渡辺さんに全面的に賛同する。

完全な無事故性、完全な無謬性の上にしか成り立たない技術というものはあり得ないと思います。
ミスを犯さない人間などいません。
この技術は、戦争の世紀である20世紀の負の遺産、人間とは共存出来ない負の遺産として、私たちの代で決別しなければならないものだと思います。
出来る限り次世代に負の遺産を残さないようにしようにするのが、今を生きるものの義務であり、その判断をする時に来ていると思います。


渡辺さんのような格調の高い表現ではないが、私も、随分前に同趣旨の記事を書いたことがあるので、よろしければご一読下さい。

http://plaza.rakuten.co.jp/yyy0801/diary/201106280000/

そして、私が、もっとも、はっとさせられたのが、下記の箇所である。

避難を選択したい人には、それを尊重しなければなりません。
そして、移住先でのきめ細やかな支援が必要でしょう。
避難選択区域を設定するのであれば、留まる方向を選択する人も、自分の故郷で豊かに暮らせるように、地域力回復のための措置と予算を投入する必要があるでしょう。

どちらを選んでも支援が受けられるという基盤を作って、はじめて自己決定を尊重することになるのであると思います。

今回のチェルノブイリの見学で、荒廃し、苔と森におおわれた村の姿が忘れられません。
浜通りの一部があのような姿で放置されるということを、地元の人間としてはどうしても是認することができないのです。

日本の国土は狭く、捨てることができる土地などないはずです。
原状回復して、次の時代に引き継ぐことは、私たち世代の義務であると思わざるを得ません。
私たちの代で除染も含めたできる限りの被害回復措置を行う。それと帰還を結び付けることはしない。
予算の効率的な配分という言葉で回避し、誤魔化されたくはありません。



私は、これまで正直なところ、高線量の地域を除染して再度住めるようにするという政策に、懐疑的だった。除染は一度やれば終わりではない。放射性物質は土やほこりと結合しているのだから、除染を丁寧にしても、風向きや降雪によって、簡単に元の木阿弥になってしまう。

このような河原に石を積むような作業に予算を大量投入するよりは、生活再建策に予算を投入する方が、余程、効率的ではないかと思っていたのだ。

また、日々取り組んでいる賠償の業務の中で、はい、除染しましたよ!=除染した以上は、帰還可能ということです、帰れるのですから帰って下さいね!=帰れるのですから、もう賠償は打ち切りますね!という定型的な流れに嫌悪感で一杯になっており、「除染」と聞くと、賠償切り捨てのための言い訳だ、と反射的に身構えてしまう癖がついており、良いイメージをもっていなかったということもある。

でも、今回、渡辺さんの報告を拝読し、私には、故郷を想う方々の視点が欠けていたと痛烈に反省した。

言われてみれば当たり前のことだが、故郷にとどまる選択をした方々にも、避難するという選択をされた方々にも、両方共に、豊かな生活を送る権利がある。であれば、早々に「除染は無理だ」「予算がない」等と諦めてはいけない。
おかしいのは、除染と帰還と賠償を連動させる政策であって、除染そのものではない。

そして、予算の限界は、とどまる人、避難する人、双方の権利を制約する言い訳になってはいけない。

原発事故前の空が高く空気が美味しく人々が笑いさざめいていた美しい浜通りを知っている人間の一人として、苔と森に覆われて朽ちてゆく愛する土地のことを心に浮かべただけで泣きそうになった。このまま黙って傍観することはできない。

私たちは、子どもたちの世代にどんな日本を残すのか。
大人はどんなに逃げたくても逃げてはいけない。逃げることはできない。

今を生きる、とはそういうことではないのか。

自分の生き方を、使命を改めて考えた。
渡辺さん、ありがとうございます。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2013.10.17 09:03:59
[東日本大震災] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.