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カテゴリ:東日本大震災
先日、どうしてもやらなければならない作業があったので、所用を終えた21時半頃、事務所に行った。
事務所の入口のシャッターが降りていたけど、シャッターを開けたら、濡れた傘が立て掛けてある。 そう、その日は、静岡では珍しい土砂降りの日だった。 あれ、間さん、まだ事務所にいるのかなあと暗い階段を登ると、入口ドアに嵌めてある半透明の窓から、所内にある蛍光灯の光が柔らかくこぼれていた。やっぱり残業しているんだ、と思いつつ、しばし、暗闇にこぼれる光の暖かさに心が奪われ、ドアの前で佇んでしまった。 去年まで、残業する時も休日出勤する時も、電気は自分でつけるのが当たり前だったから、他の人が灯してくれる光がこんなに暖かく柔らかなものだとは気付かなかった。 その瞬間、急に、この感覚は、以前にも感じたことがあるという想いが湧き上がってきた。 暖かな光、ほっとする光。闇にこぼれる光。 何だろう、って考え続けていたら、頭の中で、懐かしい声が幾つも響いてきた。 「先生、いつまで仕事してんのー?昨日、車で通ったらまだ灯りがついているんだもの。先生、身体壊さないでよ」 「夜道を運転してきて事務所に来るでしょ。灯りが見えると、あー、私には先生がいるんだ、一人じゃないんだって思います」 相馬時代、事務所のあるお堀端は、20時に事務所の最寄りのスーパーマーケットが閉まると、漆黒の闇に包まれた。弁護士過疎地域での仕事が20時に終わる筈はなく、打ち合わせが続く日もあれば、山積みの起案に向き合うこともあった。 だから、事務所の灯りは、深夜までついていた。 依頼者の方々は、闇の中故に、無意識に灯りのことを口に出されたのだろう。 でも、私は、私の事務所の灯りが、依頼者の方の心にも灯りを点している、と言われているような気がして、とても嬉しかった。 私がここにいることを、喜んで下さる方々がいらっしゃるということを、心から幸せに感じた。 弁護士ができることには限りがある。 他人の人生を背負うことも代わって引き受けることもできない。 時には、一緒に泣くことしかできないことだってある。 それでも、その場所で仕事をしているというただそれだけのことで、誰かの心に灯りを点すことがある。 そしてまた、事務所の灯りで励まされる人がいるという事実に、弁護士自身の心に灯りが点る。 私にできることがどれほどささやかであろうと、私は絶対に諦めない。 私ができることを、私の持ち場で続けていく。 東日本大震災から5年。 今日も、被災地で、全国で、沢山の弁護士が事務所の灯りを点しているだろう。 事務所の灯りが、被災された方々の心にも柔らかで暖かな光をもたらしてくれますように。 皆、頑張ろう。 それぞれの持ち場で頑張ろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.03.11 14:18:13
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