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カテゴリ:東日本大震災
先日、広島で開催された第11回災害復興支援に関する全国協議会に参加してきました。
静岡から始発で出発、広島から終電で帰るという強行軍でしたが、疲れたどころか、エネルギーを充電できて、むしろ行く前より元気になった気がします。 元気なうちに報告を書かなきゃ(笑)。 全てのプログラムが素晴らしかったのですが、被災者支援の第一線で今も努力し続けている方々が、次々と総勢なんと10名、壇上に立って短時間(10分~20分)でその方の伝えたいことのエッセンスを凝縮して報告して下さるという企画は圧巻でした。 報告内容は、広島土砂災害の対応を皮切りに、茨城豪雨災害の報告、東日本大震災被災3県からの報告、原発事故訴訟・ADRの報告、被災者生活再建支援法改正意見書の報告、自然災害による被災者の債務整理に関するガイドラインの報告、改憲と国家緊急権に関する報告、とまあ、現場発信から政策提言まで、もうとにかく盛り沢山!! 10分~20分の短時間にまとめるのは至難の業と思われる重い報告ばかり。 でも、かえってポイントが凝縮されたのか、すべての報告のレベルが高くて、会場の空気が緩まないんですよね。 年齢も個性も語り口も多種多様な10人に共通する特徴をそれでも敢えて挙げると、 1,被災者に寄り添いたいという優しさと情熱を持っている 2,現場に根ざして、自分の言葉で発信している 3,第三者に「伝えようとする姿勢」が顕著 ということで、もうレベルが高い高い。 背中がしゃきっとするようなキビキビした報告ばかりで、もう同じ弁護士とは思えない、なんてキラキラしているのだろうと、憧れと敬服の気持ち一杯で拝聴しておりました。 日弁連災害復興支援委員会、ホスト役の広島県弁護士会をはじめとする、協議会の準備に携わられたすべての方々に心から感謝申し上げます。本当にありがとうございました。 さて、報告中盤には、このような様々な意味で非常に優れた能力をお持ちの日弁連災害復興支援委員会に所属されている弁護士が知恵を出し合って作成された「被災者の生活再建支援制度の抜本的な改善を求める意見書」のポイント解説がありました(ご報告:津久井進弁護士)。 この意見書は、日弁連HPで全文を読むことができますので、絶対に(!)お読み下さい。 http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/opinion/year/2016/160219.html 現状の法制度では何が足りないか、どのように改善すれば良いか、「被災者に寄り添い」「被災者と共に」考えてきた「法律家」にしか書けない珠玉の内容です。 私は、この意見書は、現役の法律家には勿論、法科大学院生や修習生、その他これから法律家を目指そうと考えているすべての方に読んで頂きたいと思います。 何故なら、この意見書には、「被災者生活再建支援法」を取り上げながらも、法律家がこの世に存在する意義が凝縮されているという普遍的な価値があるからです。 私なりに、ポイントをまとめてみました。 1,法律は人を幸せにするために存在する 1998年に誕生した被災者生活再建支援法は、家を失った被災者の住宅再建のためのお金を支給することを趣旨として制定された、当時としては画期的な法律でした。 ただ、災害法制が、「一人ひとりの被災者の『人間の復興』を実現するため」に存在するという目的からすると、この法律では救われない、こぼれ落ちてしまう沢山の方がいることを、意見書は鋭く指摘していきます。 2,現場から発信する 現行の法律で救われないのは、次のような類型の方々です。岩手の仮設住宅を巡回する在間文康弁護士の取り組みをはじめ、被災地の現場で被災者から聴き取ったという迫力に満ちた指摘を意見書原文を一部抜粋してご紹介します。 この数行に凝縮されている、「こぼれ落ちた被災者」の窮状が胸に迫ります。 これら被災者の生の声から浮かび上がってきた課題は実に多様である。支援の条件となる住家被害判定をめぐって多くの不満が寄せられたこと,支援対象が住家に限られているため生業関係の被害には何らの支援もなかったこと,半壊以下の被害には全く支援がないこと,非居住の所有者が支援の対象外であること,支援金の支給が世帯単位であるため家族が分散した場合に救済から漏れ落ちる被災者が生じること,世帯の人数の多寡にかかわらず金額が同一であること,支援金が生活再建に十分な金額ではないこと,支給期限が被災者の切迫感を徒に招いていること,原発事故の避難者を長期避難(全壊扱い)として支援しなかったこと,義援金の配分や自治体の独自支援制度が連動したため支援格差を拡大する結果を招いたこと,財源が不足していることなどが,その一例である。 3,問題の所在を正確・的確に指摘する 課題を把握するだけでも大変な労力ですが、その課題が生じた原因を分析しなければ、被害の発信をするだけになってしまいます(それだけでも非常に大きな意義があると心から思っていますが)。 ただ、言うは易く行うは難し。全体を俯瞰し分析することは、経験を重ねていけば自然とできることではありません。目の前の人を救うために何が必要なのか、目の前の人に寄り添いつつも、大空を飛び回って滑空するような視点を持つことを日頃から意識して努力するという日々の積み重ねが必要です。 意見書は、明快に指摘します(以下、意見書の一部を抜粋) これら改善課題が実行されない理由はいろいろ考えられるが,特に重要と考えられるのは,第一に,住家被害認定(罹災証明書)に過度に依存している点,第二に,一人ひとりの被災者が大事にされていない点,第三に,国の支援が被災者の生活全般を直視してない点にあると思われる。 (中略) 現代社会における生活の基盤の要素は,住宅のみならず,生活の糧となる生業・仕事の存在を欠かすことができないし,その前提として心身の健康と,家族との絆やコミュニティも重要な要素である。被災とは,住宅の毀損にとどまらず,こうした様々な生活基盤の要素が毀損することを意味する。 例えば,住家が半壊に過ぎなくても,生業を失い,家族と離れて遠方に避難せざるを得なくなった高齢者の被害は甚大であって,手厚い支援を必要とすることが明らかである。 また,住家が浸水して1階が毀損し,台所もトイレも使用不能であるのに,半壊認定だったため,そのままの状態で数年にわたって2階で暮らし続けている在宅被災者にも,何らかの支援の手が差し伸べられるべきことが明らかである。原発事故で生活基盤のある住所地から離れることを余儀なくされた避難者にもきめ細やかな支援が行われなければならない。 (中略) こうした被害の態様は被災者一人ひとりそれぞれで異なり,世帯単位で同一というわけではない。自然災害は県境や市町村境とは無関係に発生し,個人の被害は世帯の住所地によって規定されるものではない。被災地の法律相談に寄せられた深刻な悩みの多くは,まさに一人ひとりの事情を汲んでいないところに由来していた。 憲法が個人の尊重と幸福追求の権利を認めた上で(憲法第13条),健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を認めている(憲法第25条)ことに照らせば,被災からの復旧復興という局面においては,被災者一人ひとりの被害状況に対応した個別の支援策が講じられるべきである。 支援金は世帯単位で支給されているが,世帯単位とすることに,他の災害関連法令との整合性や行政の運用事務上の都合以外にさしたる理由が見当たらない。むしろ,家族の在り方の多様化,高齢化,そして大規模災害の影響が長期化して各家族の形態が変化を余儀なくされている実情に照らせば,災害前の世帯単位に拘泥するより,一人ひとりの被害状況に即応した支援に舵を切るのが相当である。被害を個別に把握する前述の適用要件にも整合する。 私は、特に、被害の態様は、被災者一人ひとりそれぞれ異なり、世帯単位で同一ではないのだから、支援を個人単位で行うことは、憲法上の権利であるという下りに、心打たれました。 言われてみれば当たり前のことかもしれませんが、私自身が、「被災者生活再建支援法は、世帯単位で支援金を給付する法律だ」という思い込みにとらわれていたことに、意見書を読んで初めて気付きました。 4,大胆な創造力を持って対策を提言する それでは、どんな対応策が必要なのか。被災者の声を真摯に受け止めるからこそ、一緒に考えたからこそ出てくる創造力に基づき、大胆な提言です。「大胆」ではありますが、「突飛」ではない。基盤に被災者の窮状に心を寄せようとする「想像力」があるからです。 そこで,国においては,第一に,現在の住宅の損壊・再建に対応した給付制度の増額や家賃補助制度のほか,一人ひとりの被災者の生活基盤の被害状況に応じた新たな支援金給付を設けるなどして支援を大幅に拡充するべきである。 第二に,一人ひとりの被害状況に適合するよう様々な支援策を組み合わせた個別の支援計画を立て,被災者が平時の日常を取り戻すまでフォローする「災害ケースマネジメント」の仕組みを新たに構築するべきである。 第三に,この計画を実施するため,生活支援や住宅再建等に関する専門性を備えた「生活再建支援員」を新たに配置し,情報提供・相談や寄り添い・見守り等を実施するべきである。 凄い、凄まじい、そんな言葉しか出てこない意見書です。 意見書記載の政策を実現させたいと心から思い、ご紹介してみました。 しつこいですが、本当に是非是非、原文にあたって、お読み頂ければ嬉しいです! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.03.04 05:49:36
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