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カテゴリ:弁護士業務
先日、ご来所された方が、こんなことを仰っていました。
「お医者さんだったら、自分のことでも家族のことでも、ちょっと体調悪いとなれば、色々な科の色々なお医者さんに会うじゃないですか、だから自然に、ああ、世の中には色んなタイプの医者がいるんだなって分かるんですけど、弁護士さんの場合、色々な弁護士さんがいるんだって分からないんですよね。本当に困った時だけ会う人だから」 「だから、もう、私、法律相談行ったときは、まさしく、『溺れる者は藁をも掴む』で、もう藁をも掴む思いで、必死で掴んだんですよね。どんな藁かなんて見ている余裕はなかったです。溺れているんですから」 「だから最初に会った人が、私にとっての『弁護士さん』ですよね。その人以外の弁護士さんがいるなんて思う余裕ないですよね」 私は、2005年~2007年、弁護士がほとんどいない弁護士過疎地域、福島県相馬市で仕事をしていました。 この時代、私は、「この方達は、私を積極的に選んで訪れたのではなく、他に頼れる弁護士が誰もいない状態でいらしているんだ。だから、私は、相談者の方にとって、積極的に『選んだ』弁護士じゃなくて『選ばざるを得なかった」弁護士なんだ」、「だから、私は、私を選ばざるを得なかった方々を決してがっかりさせてはいけないんだ」と強く意識しながら仕事をしていました。 ですから、約16年前に静岡市の法律事務所に移籍した時、ああ、これでこのプレッシャーから解放されると安堵した気持ちを、今でも鮮やかに覚えています。弁護士が100人以上いる静岡市、相談者の方は弁護士を選べる状態なのだ、私のイメージがそのまま弁護士全体のイメージとなってしまう今までとは違うんだ、と。相談者は、老若男女、専門分野、相性、よりどりみどりで、弁護士を選べるじゃないか、と。 でも、冒頭の発言をお聞きして以来、ずっと考え込んでいます。 弁護士目線では、弁護士の選択肢が多いように思えても、相談者、依頼者目線では、16年前と何も変わっていないのではないだろうかと。 弁護士の数がいくら多くても、選択肢が増えることには繋がっていないのではないか、と。 そうだとすれば、私たちが、市井の方々にとって「本当に困った時だけ会う」専門職で良いのだろうかという根本的な疑問は強く持ち続けなければならないと思いますが、現実問題として、法律相談で来られる方々にとって、私たちは、溺れるときにすがる最後の「藁」のような存在だということもまた、意識して仕事に向き合う必要があると感じたのです。 藁をも掴む想いで、他に何も掴むものがない状態で、溺れながら手を伸ばしている方々のために、正確な法的知識を元にした法的アドバイスは当然として、言葉、態度も含め、その方のすがる想いにきちんとお応えできる、あらゆる意味でのプロフェッショナルになりたいと改めて思いました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.08.21 17:55:00
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