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テーマ:路線バスで小旅行(249)
カテゴリ:東大和市
(前回からのつづき)
反対方向のバス停を見ると、すぐ後ろに「史蹟蔵敷高札場」と書かれた大きな石碑が立っています。高札場があったということは、このあたりが旧蔵敷村の中心地だったことを意味しているといえるでしょう。慶長8年(1603)に立てられたものといわれ、多摩地域では数少ない現存する高札場の史跡です。バス停は「内野医院」と掲げられた病院の目の前にありますが、内野家は旧蔵敷村の名主であり、バス停を中心に高札場と名主屋敷が並ぶ様子は、村の中心集落としての歴史が凝縮された風景といえるでしょう。 バス停の手前から狭山丘陵へ向けて、左手に内野家の屋敷地を見ながら細い道を入っていくと、斜面に続く木立の中に、かつての村の鎮守である熊野神社がひっそりと佇んでいます。内野家から見ると北東方向にあり、鬼門除けの社として置かれていることがわかります。また、バス停の少し先を同じように丘陵側に入ると、小さな厳島神社の社もあります。山小屋のような趣の社殿ですが、建立は天保6年(1835)と伝えられます。境内の裏手は狭山緑地へと続き、木漏れ日の中を歩いていると、ちょっとした里山歩きの気分を楽しめます。 バス停で次のバスを待つ間、改めて青梅街道を眺め渡してみると、交通量は多いものの、周囲の街並みには旧街道的な雰囲気が色濃く残されていることに改めて気がつきます。この道が旧来の青梅街道と異なることは既に記しましたが、丘陵沿いの集落を結んだ古くからの道筋であることには変わりないかと思われます。これまでに見てきた、田無や小川周辺の新田開発地をルーツとする街並みとは明らかに違う山村集落的な景観は、私のような散歩者を無意識のうちに浮き浮きさせるような、不思議な魅力を備えています。 人気blogランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.04.15 23:05:53
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