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バス停地名学のすすめ

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2008.12.01
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カテゴリ:杉並区
(前回からのつづき)

山門から境内に入り、竹薮をまわり込むように左へ折れ石段を上がると、すぐに本堂正面に出ます。現在の本堂は昭和28年に再建されたものといいますが、その屋根をよく見ると、「釜寺」の通称の由来となる大きな釜が載せられている・・・筈が、あいにく私が訪ねたときは本堂の大規模な修復工事中で、釜の姿を見ることはできませんでした。

釜寺の釜は、山椒大夫に売られた厨子王と安寿姫が野良仕事や山仕事に追い立てられていたある日、厨子王が見せしめに大釜の熱湯にほうり込まれ、これを坊主に姿を変えた地蔵尊が抱き上げて助けたという伝承にまつわるもので、本堂にこの身代わり地蔵尊が安置されるとともに、屋根には大釜が載せられるようになったと伝えられます。江戸期から、西郊の名所として多くの人が訪ねたといいますが、もともとの釜は戦災で焼け落ち、現在の釜は戦後に寄進されたものとのことです。

山門を出ると、道路の向かい側に地蔵像の並ぶ小さな祠があります。このうち左側の像は、漆喰彫刻の名人と呼ばれた手塚忠四郎が、左官の鏝(こて)で作ったセメント造の珍しい地蔵像です。また、その脇には道標らしき石柱もあり、「釜寺近道」の文字が読み取れます。

神田川まで戻ると、環七通りの向こう側に大きな取水施設の建物が見えます。外からは想像もつきませんが、環七通り直下に掘られた総延長約4.5キロという長大な治水用トンネルへの入口が、ここにあります。

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最終更新日  2009.01.21 01:03:10
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